湯煙~SIDE GIRLS~
「うふふ。気持ちいいですかー?」
フローリアの声が、そっと湯煙に反響する。薬草風呂から肩を乗り出した彼女は、桶に汲んだ薬湯の中でちゃぷちゃぷと毛づくろいをする琥珀猫を前に骨抜きになっていた。
そんな彼女を尻目に、ナタリーとソフィアが泡に包まれている。
「カッツェ、あっという間に捕まっちゃったね……」
「可愛い物には目がないからねぇ。お? ナタリーまた大きくなったんじゃない?」
「えへへ……そうかな。ありがと」
天然成分でたっぷりと立った泡ごしに、ナタリーは照れくさそうに胸を撫でる。
昔は巨乳のソフィアから成長を褒められても、持てる者の嫌味だと感じることもあった。しかしいつしか素直に受け取れるようになっていたことに、改めてはにかむ。
「それにしても学園の奴らも見る目ないわよねぇ。こんな可愛い子が教師なのに」
「仕方ないよ。教師と生徒間の恋愛は禁止されているし、わたしは皆に嫌われているから……」
半ば空虚な微笑み。それをソフィアが見逃すことはなかった。しばらくはブロンドヘアを梳くように洗う手を止めず、気づかないフリをしながら、
「あたしなら、そんな可愛らしいおっぱいを見たら揉むね。というか揉ませて」
隙をついて手を伸ばす。ぼうっと物思いに耽っていたナタリーはそれを躱すことができない。
「ひゃうっ!? ちょ、ちょっとソフィちゃんっ!?」
「いーからいーから。おねぇさんに身を委ねなさい」
「やぇめぇてぇ。……んっ、だめ、そこつまんじゃ――きゃあっ!?」
もみ合った拍子に、どちらからともなく足を滑らせる。全身に纏った泡が描く軌跡は、まるで飛行機雲のように放物線を描き――
「えっ、なになになに!?」
フローリアの真後ろで大きな水飛沫を作った。勢いよく溢れるお湯にびくんと飛び上がった琥珀猫は、彼女の頭上へと緊急避難する。
「「ぷはぁっ!」」
浴槽へと落下した二人は勢いよく顔を出すと、まだ少し泡の残る頭に笑い合う。しかし、
「お風呂場で騒ぐなんて……二人とも、覚悟はできているわね?」
その笑顔が凍りついた。顔を上げれば、カッツェの去った桶を片手に仁王立ちをする修羅。
およそ姫のものとは思えない威圧感に、ナタリーは涙目で竦みあがる。そんな震える肩に手を置き、進み出る命知らずがいた。ソフィアだ。
「あのさ、フローラ」
「……何よ。言い訳なら聞かないわよ」
琥珀猫との至福のひと時を邪魔されたフローリアはお冠だった。しかし、それでもソフィアはたじろぐことをしない。そして、立ち上がったフローリアの、湯から出ている膝から上部分をしげしげと眺めてから、おもむろに呟く。
「相変わらず、あんたのアソコってすべすべよね……」
ずっこけたフローリアによって、二つ目の水飛沫が上がった。
ソフィアとナタリーが体の泡を落とし、浴槽からも泡をかき出して戻ると、いじけたフローリアは湯船の隅で小さくなっていた。
「穢された……ソフィに馬鹿にされた……」
「穢してないし、馬鹿にもしてないから」
「もう、お嫁に行けない……」
「や、あんたの場合、婿を取る側だから」
ソフィアがいくら宥めても、水面にのの字を書く指が止まることはない。
そこへ、ずっとフローリアの頭の上に乗っていた琥珀猫が、ぽんぽんと肉球で頭を撫でる。くあーという鳴き声一つで、ぱっと彼女の表情に明るさが戻った。
「慰めてくれるの? ありがとう! んー、やっぱり君はいい子だねー」
「現金ねぇ……」
「あはは……」
あまりの豹変ぶりに、ソフィアたちは苦笑を漏らすしかなかった。
立ち直ったフローリアが合流し、改めて薬草風呂を堪能する。見上げれば、いつの間に暗くなった空で、星が瞬いていた。
「それにしてもいい湯ねぇ。誰だか分からないけど、運んでくれた人には感謝だわ」
目一杯体を伸ばし、ソフィアが肌を撫でる。湯船に浮いた麻袋は不格好だが、そこから絶えず滲み出る薬効成分は一流。肌に馴染む香りも繊細だった。
「……けれど、私たちが生きているということは、あの剣士に見逃されたってことよね」
苦々しく拳を握りしめたフローリアの一言で、賑やかな浴室の空気が張りつめる。しん、と急激に下がった湯煙の温度に合わせて、彼女たちの口は一様に重くなった。
「動きもそうだけど、対処が早かったよね。わたしの魔法も知っているみたいだったよ」
二つの魔法を打ち崩されたナタリーは、腕の刺青を震える手で抱き締めている。ソフィアもまた、獲物が銃であると知られていたかのような先制攻撃への対処を思い出し、夜空を仰いだ。
「なりは派手だったけど、少なくとも噂の黒龍ではなさそうだね。長生きしている龍なら一般魔法と戦ってきて知ってるかも知らんけど、さすがに宝石魔法は初見のはずだわ」
「けれど、家臣にもあんな人いたかしら? 『お見知りおきを』って言っていたくらいだから初対面だと思うのだけれど……私たちの技だって、そうそう人前で見せてないわよ」
「オルカーンだっけか。せめて、姓でも判れば家の見当もつくんだろうけどねぇ」
打つ手なしだった。ナタリーの頭上へと戻ってきたカッツェが、心配そうに尻尾を振る。
オルカーンに勝つ方法どころか、その素性や目的でさえも不明のまま。ただただ見逃されたという屈辱感だけが湧き上がる。心の傷までは、薬湯でもどうにもならなかった。
「ともかく、私たちの手の内は全てバレていると思った方がいいわね」
目を閉じて悔しさに打ち震えながら、フローリアが一人ごちる。
「必ずまた現れるはず。その時は、全力で立ち向かうしかないわ」
開いた瞼から、覚悟を決めた瞳が覗く。ナタリーとソフィアも、腹を括って頷き返した。
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