薬草採集

 軽やかな或鳩の足取りは村の外へと向かっていた。対照的に重い、仕方なく歩いているような二つの影がかろうじて見える夕闇の中で、辿り着いたのは――


「おい、どうして森になんて戻って来てるんだ?」


 止まる気配のない首根っこをつかんで、彪が訊ねる。

 しかし、或鳩は何故引き留められたのか分からずにきょとんとしていた。


「どうしてって、入浴の問題を解決するんだよ。食事と睡眠は後から何とでもなるとはいえ、入浴に関してはフローリアたちが目を覚ます前に手を打たなきゃならないからね」

「「手を打つって、どうやって」」


 眉間に皺を寄せた彪たちに、或鳩は手を広げ、木々を一望するように一回転してみせる。


「この中から薬草を探すんだ。漢方の起源・中国から伝わる薬草風呂を再現するよ!」

「……嫌な予感がしてきたぜ」


 薄暗い中でもわかるほどきらきらとした瞳に、星呉が視線を逸らす。


「そういうわけで星呉、君の出番だ。漢方に用いられる草木に似た植物を探してくれ」

「予想はしてたが冗談だろ!?」


 普段は声のトーンが低い彼も、これにはさすがに声を上げざるを得なかった。


「生薬がみんな森からとれるわけじゃねぇんだぜ? それに、乾燥させなきゃ意味ねぇし!」


 しかし、必死の抗議にも或鳩は涼しい顔である。


「君はちゃんと僕様の話を聞いてた? 『似た』植物を探せって言ったんだけどね。沖や山岳に生息している生薬があることくらい知ってるし、乾燥の必要性についても然りだ。

 けれど柚子風呂のように、生で使用するものもあるよね。ただの湯船にフローリアたちを浸からせるくらいなら、無いよりマシなんじゃないかな?」

「はいはいわぁーったよ。……その代わり期待すんなよ?」

「元からしてないから心配しないで」


 しれっと放たれた一言に、星呉は手近な幹をとりあえずぶん殴った。


 それから数十分の間。星呉が目を付けた草木を、残る二人――いや、主に彪だけ――が回収するというルーチンを組んで森を駆けまわった。

彪の腕いっぱいに葉やら茎やら根やらが抱えられた頃には日が沈んでおり、森の奥からフクロウのような鳥の鳴き声が響いていた。用を済ませた三人は逃げるように森を抜け、クライネ村の家々から漏れる明かりを頼りに、無事宿へと戻ってくることができた。

 フローリアたちは未だ眠りの中にいた。これ幸いと、或鳩たちは他の空き部屋から麻の寝間着をかっぱらってきて、ハーブのようなセロリのような独特の香りを漂わせる生薬を麻の服で包み、予め準備されていた、湯の張ってある浴槽へと投げ込んだ。

 しかし、本当に効能が発揮されるとは、おそらく誰も信じていなかっただろう。


「「「……なんということでしょう」」」


 葉から抽出される、抹茶に似た深い緑と、木の根から滲み出た煎茶のように鮮やかな緑。じわじわと流れ出た色たちは、湯気に蒸され、薫りを立ち込めさせはじめた。

 村の周囲が平地であるためか、芳しい湯気を払うような強い風もない。湯煙はゆったりと浴場全体へと行きわたり、手招きでもするように鼻孔をくすぐってくる。


「素晴らしいね」

「体に良さそうないい匂いだな」

「マジで露天風呂にいるみてぇだ」


 洗い場に立つだけで癒されるような空間が完成したことに、三人はハイタッチを交わした。






    ❤    ❤    ❤






 ふとしたきっかけだった。パタン、と扉の閉じる音。

 フローリアは、自分が屋外で意識を失ったことは覚えていた。ならば今の音は何なのか。

 ナタリーの宝石魔法に、扉を創造する類の術があるとは聞いていない。首をもたげた違和感が、まどろみに揺蕩う意識ごと押し上げて行く。

 重い瞼を開くと、天井の温もりが目に飛び込んできた。ランタンの薄灯りの中を、木材の香りが漂っている。見知らぬ室内だった。

 上体を起こしたフローリアは、両隣で寝息を立てている仲間たちの無事に安堵した後、部屋の中を見渡した。違和感の元凶である扉の方を見やると、そこには麻の上下で身を包み、額に巻いた黒い布で顔を隠した三人の男が座っている。恭しく頭を垂れる姿に、害意はないようだ。


「あなたたちは……?」


 問うと、一番大柄な男が「この宿の従業員でございます」と答えた。細身で背の高そうな男が、しきりに相槌を打っている。

 宿という聞き慣れた言葉と、彼らの優しげな声色に、フローリアの緊張がほぐれていく。


「そうですか。ええと……私たちはどうしてここへ?」

「はい。シュヴァ……(なんだっけ?)」「(シュヴァルベの森!)」

「シュヴァルベの森近くで倒れているお客様方を発見し、運んでくれた旅の方がおりまして」

「まぁ! それは、ご迷惑をおかけしましたね」


 彼女は、大柄な男と小柄な男が耳打ちをしながら告げてきた言葉を訝しむどころか、誰かが運んでくれたという親切に対して、両手を合わせて感激している。


「お礼をしたいのですが、その方もこちらの宿へ?」


 無垢な瞳で小首を傾げるフローリアに、従業員を名乗る三人の男は顔を突き合わせる。


「(お礼だってよ、どうする?)」

「(ここの代金払ってもらえばいいんじゃないか? オレたち文無しなんだし)」

「(バカ言え、同じ宿と分かったら彼女は顔を出しにくる。護衛であることはバレないにしても、僕らは一度フローリアと会ってるんだよ? 面倒事になるに決まってる)」

「あの……どうか、されましたか?」

「「いえ何でもありません!」」

「(こくこく!)」


 飛び上がる勢いで居ずまいを正す従業員たち。あまりにも急に体を起こしたため、顔を隠しているタオルがわずかにめくれ上がった。

 一瞬露わになった素顔に見覚えがあるような気がして、フローリアの首がさらに傾く。


「実はその方はもう出発されてしまっておりまして」


 大柄の男が申し訳なさそうに告げ、背の高い男が相槌を打つ様子にも見覚えがある気がした。


「そうでしたか……ところで、あなた方とどこかでお会いしたことはありませんか?」

「「「(ギクッ!?)」」」


 びくんと跳ねた従業員たちに、さすがに不信感を抱いたフローリア。しかし、


「僕らが君と会ったことがあるかどうかは今の会話に不要だ! も、もちろん会ったこともないしね。そんなことより君たちは客として、さっさと入浴を済ませてしまってくれないかな?」

「ご、ごめんなさいっ」


 小柄な従業員の勢いに呑まれて、反射的に謝ってしまう。


「ええと……お世話に、なります?」


 おっかなびっくりとした彼女の上目づかいに、小柄な従業員は満足そうに頷くと「帰るよ」と立ち上がった。その後を慌てて他の二人が付いて行く。

 再びドアの閉じる音。部屋に残っていたフローリアは、


「……何だったのかしら」


 呆然と、目をしばたたかせるだけだった。

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