姫様の苦手なもの

 川沿いの道は、時折森の中を縫うように入り組みながら続いている。本当にこの道であっているのか不安になってきた頃、ようやく或鳩たちは、集落のような一帯を確認できた。


「あれって、クライネ村かな?」

「やっとまともな道に戻って来たぜ……」


 歩き通してくたくたな彪と星呉。そんな二人を、或鳩が鼻歌混じりに率いていた。


「どうしてそんなにダウナーなの? 自分の足で異世界を旅しているという夢の状況なのに」

「……一番もやしに見えるのに、どうしてそんなにタフなんだ?」

「一番エネルギー摂ってるのに、どうしてそんなにヤワなのかな?」


 或鳩にわざとらしく肩を竦められ、彪はさらに肩を落とした。


「……オレは燃費が悪いだけ。馬力は十分」

「費用対効果が悪いものを何て言うか知ってる? 『役立たず』って言うんだよ」

「言い争いは止そうぜ……余計疲れるだけだ」


 星呉の一言に、或鳩も引きさがらざるを得なかった。今は異世界で黒龍との遭遇を経た高揚感がアドレナリンをマッハで垂れ流しているが、体の疲労は確実に溜まっていたからだ。

 平穏な空気の中、三人は思い思いにストレッチや肩回しをしながら歩みを進める。


「……あの卵、食べれなかったのかな」

「脈打つまでになった受精卵は、すでに食糧ではないよ」

「小坊ん時、鶏小屋からパクった卵から半分ゲルのひよこが出てきたのはトラウマだぜ……」

「サンキュ星呉、想像したら少し空腹が紛れた」


 逃げおおせた安心からか、黒龍の卵についての談笑ができるくらいには余裕が戻ってきたらしい。再び地図を広げ、自分たちと集落との位置関係から、もうすぐフローリアたちと合流できるはずだ、なんて笑い合う。……そんな時だった。


「――いやぁあああ!?」


 突然聞こえてきた悲鳴に、或鳩たちははたと顔を見合わせる。


「今の、フローリアの声じゃないか?」

「行ってみよう!」






    ❤    ❤    ❤






「それはやめて! 近づけないで!」


 草原のど真ん中で、涙目で身をよじっては、震えながら後退りするフローリア。その正面から、半透明の青いゲルを抱えてにじり寄っているのは、ソフィアだ。


「無害だから大丈夫だって。こんな可愛い子が魔物だなんて、未だに信じられないわ」

「ごめん、とてもじゃないけど同意はできない!」

「えー、どうしてよ」

「ネバネバしたものが苦手なの!」


 膝を擦り合わせて、子犬のように縮こまるフローリアの姿は、年相応の少女そのものである。


「どっちかっていうとヌメヌメよ?」

「言わないでぇっ、想像しちゃうからっ!」


 そんないじめっ子といじめられっ子の構図を、ナタリーがあわあわと、キョンシーのように突き出した手をどっちつかずに彷徨わせている。


「ソフィちゃん、やめてあげようよぉ……」

「こういう機会に苦手克服しないと駄目だってば。フローラだって、最終的には魔族と共存する道を探したいんでしょ? ほれ」

「それとこれとは話が――ひゃうっ!?」


 おもむろに放られた青いゲルを掴み損ね、フローリアは慌ただしくお手玉を始める。しかし健闘も虚しく、ゲルは彼女の肩へと落下してしまった。

 声にならない悲鳴を上げながら、全身を竦み上がらせるフローリア。


「あああ、あの……? スライム種とは絶対に戦わないということで手を打たないかしら?」


 石臼のようにぎこちない首を回し、おそるおそる語りかける。人の言葉を理解したのかは分からないが、スライムはきぴぃっと嬉しそうな金切声を上げ、肩の上を蠢きだした。


「そのまま降りてくれるとありがたいのだけど――だ、ダメダメダメっ! そこは……」


 首筋に触れてくる舐めるような感覚に、フローリアの緊張は治まらない。


「――あひっ!?」


 びくん、と彼女の肩が大きく跳ねた。襟の隙間から、スライムが服の中へと滑り込んだのだ。

 胸鎧を固定している帯が胸囲を一周しているはずなのだが、それさえも器用に潜り抜けられる。うなじから始まった嫌な感触はついに腹部まで到達し、へその辺りをくすぐってきた。


「いやっ、あ……あぁ……」


 フローリアは瞳に涙を浮かべ、わなわなと膝を震わせていた。必死の思いで動かすことができた手も、布越しですらスライムに触れることは能わずに止まってしまう。


「あっははは! これは傑作だわ」

「ふ、フローラちゃん、今助けてあげるからねっ!」


 腹を抱えて笑っているソフィアの代わりに、ナタリーが解決策に乗り出した。わたわたと駆け寄って、フローリアの剣帯をわずかに緩めてやる。


 一際きつく締められた腰元が解放されたことで、スライムは重力のままに落下し――


「そ、そこはだめぇっ!?」


 フローリアの下半身を包む薄布へと入り込んでしまった。身を守ろうとする羞恥と、少しでも身じろぎすれば背筋を走る怖気とに挟まれ、唇を噛みしめたまま動くことができない。


「フローラ、脚の力抜きなって」

「ムリムリムリ、動けないっ!」


 首から下を極力動かさないよう、ふるふると頭だけを振って救いを求めるフローリア。さすがに見かねたソフィアは、彼女のフレアスカートの中へと腕を突っ込んだ。


「よーし捕まえた。それじゃ、ばいばい」


 引き抜いた青いゲルを、そっと大地に降ろす。相変わらず奇怪な鳴き声を発しながら、スライムは草の上をぬるっと、流れるように逃げて行った。


「はぁ……はぁっ……助かったぁ……」


 フローリアはほっと胸を撫で下ろすと、ゲルが這った跡のテカテカとぬめる草を大股で避けながら、小さな魔法使いへと縋りつく。


「ねぇナタリーお願い、カッツェで癒させて?」


 手を合わせて上目づかいに小首を傾げる姫様に、ナタリーは苦笑しながら左の袖を捲った。

 長い袖から覗いた小さな手。その中指には魔力を媒介するための指輪が付けられている。


「おいで、【琥珀猫ベルンシュタイン・カッツェ】!」


 ナタリーが呪文を唱えると、ぼうっと仄かな光が、彼女の左腕を走る。肩口まで続く光の筋がいくつもの魔法陣を描いていることは、服越しにも判った。

 特殊な呪文を使役する彼女だからこそ必要な、普段は隠している刺青である。

 子どもが無邪気にキャンパスを埋めるように、可愛らしく宙を踊る指。魔法陣の外周を描き終えた指が跳ねたかと思うと、陣の中央から現れた琥珀の結晶が、瞬く間にその姿を変えた。

 くあー、とあくびをするように体を伸ばした猫が、フローリアの前に召喚される。


「きゃ――! ! カッツェくんは本当に可愛いわね、お姉ちゃんがすりすりしてあげるっ!」


 黄色い声で琥珀猫を抱き上げる彼女の動きは凄まじかった。ソフィアとナタリー、そして森の木立の陰から様子を窺っていた或鳩たちまでもが思わず目を擦ってしまったほどだ。


「あぁ、たまらないわ……安らぐぅ……」


 宝石から顕現したとは思えない柔らかさの毛並を堪能しはじめたフローリアは、口がふにゃふにゃ、涎は垂れ流しという、完全にだらしない顔をさらけ出している。


「ねぇちょっとフローラ? あのう、フローラさん? フローラさぁん?」

「あはは……完全に自分の世界に入っちゃったね」


 琥珀猫はまんざらでもなさそうに、フローリアの腕の中でごろごろと喉を鳴らしていた。

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