森のドラゴンさん
「森の中ってこんなに怖ぇのな……。モンスターが出てくるかもと思えば尚更だぜ」
「オレはどうせなら戦闘もしてみたいけどな。お前はこれも恐怖症なのか?」
彪に茶化され、星呉は「いや、これは診断されてねぇけどよ」と膝を震わせている。
フローリアたちが森に入ってから早速別ルートの探索をはじめた或鳩たちだったが、肝心のユベルドラッヘを探す方法を考えておらず、足取りは遅々としていた。
漠然と獣道を歩くこと十数分。ぽん、と或鳩が手を打つ。
「闇雲に探しても時間の無駄だし、おびき出すことにしよう」
「「どうやって?」」
「歌えばいい。上手い歌なら聴き入っても、下手なら怒って出てくるんじゃないかな」
「下手で悪かったな。……でも、何を歌うんだ。『森のくまさん』とか?」
「どっちかっつーと、森のドラゴンさんだよな。くまさんは彪のこと――悪ぃ」
便乗して茶化し返そうとした星呉。しかし、やや言い過ぎだと思ったのか、すぐに謝る。彪は苦笑して「いいよ、慣れてる」と自嘲気味に腹を叩いて見せた。
「でも、あの歌詞って変だよな。森でクマと会って、最後に歌うなんて」
「どこが変なのさ。見た目判断で相手から逃げるくせにちょっと優しくされると心を許す、ビッチという生き物を如実に表しているいい歌だよ?」
先行していた或鳩が、怪訝な顔で振り返る。
「歌詞中に『お嬢さん』と『白い貝殻の小さなイヤリング』しか主人公の情報がないことがいい証拠だ。それ以上の情報を書いたら誰も歌わなくなってしまうからね」
「そうか。じゃあ今の若者に緩い女が多いのは、幼稚園で森のくまさんを歌ったせいか?」
憂鬱と苛立ちの嘆息混じりに彪が睨むが、或鳩はケロッとした顔だ。
「彪、君に対しての評価を変えなければならないようだ。みくびっていて悪かった」
「そりゃどうも。その意見持って教育団体に陳述して来いよ。精神科紹介されるから」
「何でさ。明らかに日本の未来をよくする提案だよ?」
「男はみんな都合のいい女の子が大好きだから、ビッチを増やすのは大歓迎なんだよ」
彪は投げやりに捲し立てて話を打ち切る。何を返しても黙ることのない或鳩に、半ばやけくそだった。しかし降参の意を示したところで、長広舌をせき止めることはできない。
「それなら『クラリネットをこわしちゃった』でいくよ。壊したことについて、どうして譲渡したはずの父親が怒るんだ? 大切にしているなら小さい子供に与えるべきじゃない!」
「誰かこいつを黙らせてくれ……」
「歌唱禁止になった曲まで掘り返すのかよ……」
彪と星呉はほとんど木々に遮られている空を仰いで、嵐が去ることを天に祈った。
「見つかったら怒られるってどういうこと? あれだけパキャマラドパキャマラドと吹いているのに全く気づかないなんて、普段子供に目を行き届かせてないことが明らかだ。しかも、怒られることに子供が怯えているということは、説教とは程遠いDV行為が日常茶飯であることを示唆している。これは大人にこそ聴かせて反省させるべき歌だよ」
ようやく言葉の雨が止み、やさしい木漏れ日がそっと降り注ぐ。
「……満足か?」
おそるおそる問う被害者に、天才――もとい、天災の表情はは晴れやかだった。
「実例とともにパワーポイントでまとめてプレゼンができたら完璧だね」
「それは元の世界に帰るまで我慢してくれ。とりあえず、今は何を歌うか決めないと」
「そのことなんだが……もう必要ないっぽいぜ」
ようやく話を戻した矢先に、星呉がか細い声で呟く。
振り返ると、白い楕円形が二つあった。三人の中で一番身長が高い星呉の腰あたりまでの高さをもつそれは、つやつやとした表面を誇示するように、草木で作られた土台に鎮座している。
「卵か? でかいな……」
「卵でこの大きさなら、龍はどうやって遠ざけんだよ……」
「僕様に考えがある。巣だけでなく、卵もあるなら、親はそれを守ろうとするのが動物の習性だ。卵を遠くに移してやれば、そこで新たに巣作りをするはずだよ」
「この巣に愛着があったら?」
「愛着があったとしても、卵を持ち出すような外敵がいる場所には戻らないから問題はない」
沈黙数秒。言い出しっぺであるはずの或鳩は、当然のように「持たないの?」と急かす。
心のどこかでこの展開を覚悟していた彪は、反論するでもなく、渋々卵を抱えることにした。
「結構固いし、意外と温かいな。脈も打ってる」
「でもよ、卵が移動するところを親が見てなかったら意味ないんじゃねぇの?」
首を傾げつつ星呉も卵を持ち上げたところで、三人は、背後で鳴った枝を踏み折る音――それも二、三本などというものではない――に、心臓が凍りついた。
「……また必要ない心配だったみてぇだ」
星呉が歯をガチガチと鳴らす。もはや、振り返る必要などなかった。
すぅ、と三人の首筋を撫でるような生温かい息。確認しなくても分かる、おぞましい気配。
しかし、必要がなくとも振り返ってしまうのが、人間の性なのかもしれない。
「彪。戦闘してみたいって言ってたよね?」
「いやこれは無理だろ常識的に考えて」
或鳩たちはじりじりと後ずさった。頭だけでも彪二人分を超えるサイズの黒龍は、雄叫びを上げるでもなく、静かな怒りを秘めた眼をじっと向けてくるだけ。いや、違う。
僕らは後ずさっているはずなのに――その距離は確実に狭まっていた!
「「「うわあああぁぁぁあああ!?」」」
雪崩を打って逃げ出す三人。あわよくば卵さえ返せば許されたかもしれないが、すっかり緊張に固まってしまった彪と星呉の腕は、逆に卵にしがみ付くような状態になってしまっていた。
「これやべぇって! コミケの開幕ダッシュを経験してなかったら死んでた!」
「なぁ或鳩! お前にブレインバーストとかインストールされてたりしてないのか!?」
「してないし、どうせ速くなるのは加速世界の中だけだよ! とにかく走って!」
龍の代わりに叫びを上げたのは、一目散に森の奥へと逃げる或鳩たちの方だった。
そんな騒がしい逃走劇にも、すぐに壁が立ちはだかる。或鳩たちはできるだけ獣道に沿うように逃げていたが、目の前に二股の分かれ道が迫っていたのだ。直線的に伸びた左の道と、大きく弧を描いて奥が見えない右の道。止まって迷うわけにもいかず、彪が悲鳴を上げた。
「なぁ! こんな森の中でどっち行けばいいんだ!」
「ゲームのお約束なら、遠回りが正規ルートだよ! アインシュタイン曰く『ゲームのルールを学んだ後は、誰よりも上手にプレイするだけだ』。僕様ならできる、ついてきて!」
手ぶらで身軽な或鳩が先を走り、分かれ道を右に曲がる。彪と星呉は勿論、黒龍も周囲の木を翼やら顎やら爪やら足やらでごりごりと削りながら後を追ってきた。
狩人の口から洩れる怖気のするほど生温い息は、常にこちらの背中に届いていた。そしてそれは、少しずつ、しかし確実に温度を上げていく。次の悲鳴は星呉だった。
「このドラゴン、炎吐いたりしねぇよな!?」
「卵を持っている以上大丈夫だよ! 卵は熱に弱いからむやみに吐くわけ――」
宥めようと或鳩が首だけ振り返ると、すでにその視界の端に赤が映っていた。
とんでもない出力のバーナーのような轟音を上げて迫る火炎の息吹は、一瞬にして或鳩たちの頭上を追い抜いていく。直撃こそしない挑発の一撃。しかし、頭上から降り注ぐ焼けた空気の残骸は、生身の彼らを涙目にさせるには十分すぎるほど熱い。
「星呉がフラグ建てるから!」
「悪ぃ、つかこいつ容赦なさすぎんだろ!」
「もしかして耐熱性!? 生物の卵がタンパク質で構成されている以上ありえないのに!」
どのくらい走ったろうか。阿鼻叫喚の三人を嘲笑うように、さらなる壁が立ちはだかる。
弧を描いていて見えなかった道の先――ようやく見えたそこは、向こう側に傾いた木と、その間を埋めるように生い茂る草の壁に塞がれていた。
「やむを得ない……卵を捨てて茂みに突っ込んで!」
これ以上の卵の運搬を諦めた或鳩は、腕を交差させて顔を守りながら草の壁に飛び込んだ。彪たちは返事もそこそこに卵をぶん投げ、必死の形相で茂みへとダッシュする。
バリバリと枝を折り、その向こうへ到達したことを一陣の風が教えてくれた、刹那。ぐん、と体が重力に引っ張られる感覚に、或鳩たちは落ちていく。
空を切りながら、或鳩はああ、と呻いた。草の壁の支柱となっていた木が曲がっていたのは、そこが崖になっていたからだ。剥き出しの斜面に根を張った草木をクッションにしながら、やがて、谷間を流れる川のほとりへと墜落する。
「……助かった?」
「信じられないことにね……」
「死ぬかと思ったぜ……」
喉はからからだった。それを潤す水が目の前にある状況で、しかし、そんな余力のない三人は、命が無事だったことにほっと座り込んだまま、しばらく放心していた。
川沿いに歩けばフローリアたちの進む道に戻れることを彼らが地図で確認するためには、もう少し時間が必要のようだ。
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