翌朝
翌日。どこかボロい――趣のある安宿の玄関を出た或鳩たちは、朝の日射しを堪能するのもそこそこに、げっそりとした面持ちだった。
「……散々だったな」
「宿代で六十フラン飛んでっちまった……もう四十フランしかねぇよ」
彪と星呉が口々に悲愴感を垂れ流す。宿で明かした一夜は混迷を極めていたからだ。
王宮で配給された金は、銀貨が十枚。銅貨一枚を『一フラン』として、百フランあった。
ゲームにおいては、三十ゴールドもあれば宿に泊まることができるだろう。一ゴールド=一フランと仮定するならば、銀貨三枚で一泊することができることになる。
「彪が食べ過ぎなかったら三十フランで済んだし、朝食にもありつけたんだけど」
或鳩から不機嫌そうにぼやかれ、彪はバツの悪い顔で視線を逸らす。
「だって、おかわり自由って書いてあったから」
「食べ放題の店でも、度が過ぎると店からストップをかけられるの知ってるよね!」
「悪かったな! お前だってベッドや照明に文句つけただろ、交換の代金も上乗せなんだぞ!」
「最悪なのは君のいびきだ。睡眠時無呼吸なのにどうしてCPAPを持ってこなかったかな!?」
「持ってきてたとしても、コンセントが無いだろ!」
朝っぱらからぎゃーぎゃーと言い争っている二人の後ろから、青筋を浮かべた宿の亭主が顔を出し、「まだ寝てるお客様もいるんだ、さっさと消えてくれ!」と箒で追い払ってきた。
小走りで距離を置き、さぁ第二戦と息巻いたところで、ふと、彪が首を傾げる。
「そういや、星呉はどこにいった?」
「さぁ? さっきまでそこにいたけれど……トイレかな」
一緒になって確かにぼやいていたはずの仲間が消えていることに立ち往生していると、宿とは反対側から紙袋を抱えて戻ってきた星呉が、いい匂いを運んできた。
「ほら、食えよ。腹減ってっからカリカリするんだぜ?」
そう言って、袋から一つ差し出してきたのは、固めのブレッドに、トマトやベーコンを挟んだ定番の軽食だった。焼き立てほのかなバターの甘い香りが食欲をそそる。
「おお、美味そう! どこで買ってきたんだ?」
「そこのカフェみてぇなとこ。無言でも指差しで買えるのは嬉しいよな」
示された通りには、早朝開店している店があった。多くの若い女性で賑わっている。
「この世界にもBLTサンドはあるんだな」
「メニューにはシュペック・ラティヒ・トマテ・サンドって書いてたぜ。ラティヒとトマテは何となくわかるけど、シュペックってなんだろうな?」
名称への興味より食い気が勝っていた彪は「緑色した醜いオーガの肉とか?」と笑いながら、朝食へと手を伸ばす。ちょうど店の偵察から戻ってきた或鳩も、一つ受け取って頬張った。
「シュレックじゃなくてシュペック。ドイツ語のベーコンだ。というか星呉、いくら使ったのさ」
「えっと、俺と或鳩で二人分、彪用に三人分で、しめて二十フラン」
「なんてこった……やっぱりだ」
「「何が?」」
或鳩は空を仰いでから、気づいていないの!? と目を剥いて彪たちを睨めつける。
「BLTサンド――この場合はSLTサンドだけど、このサイズなら日本では一個百九十八円がいいとこだ。つまり、二フランで日本円の百円に相当するわけだけど、僕らがラーゼンから貰ったのは百フラン。多く見積もっても五千円程度しかもらってない!」
「「…………」」
「開始時は裸にひのきの棒だけなんてのはRPGのお約束だけど、こんなのってある? 本当に伝承では異世界の人物が魔王討伐に貢献してたのか疑問だね、扱いがぞんざいすぎるよ!」
朝から元気な饒舌を捲し立てられ、反応に窮した星呉は、
「とりあえず、それ食って一旦落ち着けよ」
大元の問題である空腹の解消を勧めることにした。
簡単な朝食を済ませた一行は、街の中心部を目指していく。道中の道を冷やかしながら練り歩いていると、昨日も通りかかった武器屋が見えた。
「昨日はスルーしたけど、なんか買ってくか? 旅に出るわけだし」
「バカ言え。残金二十フランで何が買えるっていうのさ」
或鳩に白い眼を向けられながらも、彪は「まぁ見るだけ」とスキップしていった。
「このナイフなんかカッコいいな。四千フランか。ええと、日本円だと……」
「およそ二十万だよ。日本での短刀の値と比較すれば、まぁ妥当だろうね」
追いついた星呉と或鳩も加わって盛り上がっていると、店の奥で相変わらず図面とにらみ合いをしていたオヤジが顔を上げる。
「らっしゃい。何か買ってくかい?」
彼の鍛え上げられた肉体に、或鳩と彪は思わず数歩後ずさった。一方、女性でなければ平気なのか、星呉だけが店先に残って答える。
「すみません、見てるだけっす。朝早いんすね?」
「おうよ。今日は姫さんの旅立ちってことで、縁起にあやかって買ってく客もいるんだ」
「ゲン担ぎが有効なら、人類は一度、世界中の神社仏閣教会をすべて回るべきだね」
すかさず割って入ろうとした或鳩を、後ろから彪が押さえこむ。「え、何だって?」と聞き返したオヤジの気を逸らすべく、星呉も咳払いをした。
「と、ところで! このナイ……(おい或鳩、ナイフってドイツ語で何て言うんだよ?)」
言いかけ、耳打ちする。或鳩は羽交い絞めにされたままで憮然と「メッサー」とだけ返した。
「このメッサー、素敵っすね。こんなにムラが無くて明るい刃って、そうそう見ねぇっすよ」
「おお、分かるか兄ちゃん! オレの自信作なんだよ。なぁ、半額の二千フランでどうだ?」
「あー、えー……っと、すんませんす。今、手持ちがねぇんすよ」
「そっか、残念だな。でも気に入ったぜ兄ちゃん。二千フラン貯まったらまた来な」
自身が鍛えた短刀を褒められ、上機嫌になっているオヤジに礼を残して店を後にする。
しばらく進むと、すでに広場には人だかりができていた。
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