ソフィア・フォルモント

 それからしばらくして、もう陽も落ちようかと言う頃。或鳩たちは、魔法学校から城を挟んで反対側に位置する教会へとやって来た。

 外壁の正面中央に、ステンドグラスで描かれているのは白衣の女性。開けた入口の奥に見える像は、描かれた女性と同じものだろうか。建物の脇には広場が設けられ、五歳から十二歳ほどまで、男の子も女の子も、思い思いにはしゃいでいるのが見える。ざっと十人はいた。


「すごいな、教会兼孤児院なんて映画みたいだ」


 感心している彪に、或鳩が大袈裟にため息をついて見せる。


「現代ほど教育施設が十分でない時代なら、宗教施設が福祉を兼ねるなんてよくあることだよ」

「でも、魔法学校はあるんだよな? ここは要らないんじゃないか?」

「僕様は教育施設が『十分でない』時代ならと言ったんだ。学習能力以前に人の話を聞いた方がいいよ。まぁ、日本の教育制度じゃあこの程度の豚を量産するのが関の山なんだろうけど」


 子どもたちの間をすり抜けながら、例の如くプチ喧嘩をはじめる彪と或鳩。その少し後ろから、嫌味な猛犬を彪に押しつけて悠々と歩いていた星呉が、思い出したように呼びかけた。


「確か、教会にはソフィアが大賢者セルティ様と住んでたはずだよな――ぁっ」


 突然しゃっくりをしたかのように声が裏返る。彼が女性に出くわした際に時に起こるものだ。


「どうした?」


 彪が空返事で尋ねる。ゴリラに似た容姿の男勝りな女性ですら恐怖対象となる星呉だが、雑踏に紛れていたり、子どもや高齢者相手であれば喋ることができるはずだからだ。周囲が子どもたちばかりの状況で恐怖症状がでるはずがない、と高を括っているのだろう。

 袖口を引かれ、或鳩たちはようやく振り返る。仕方なく指の先を目で辿っていくと、そこには広場とは別グループの子どもたちを相手に、本を読み聞かせている修道服の少女がいた。


「「ソフィアか……」」


 或鳩たちは本当に女性がいたことよりも、その姿に立ち尽くす。青空教室の教壇に立っていたのはソフィア・フォルモント。彼女もまた、フランドルフヒロインの一人だった。

 青いトゥニカを身に纏っているが、頭巾コイフは被っておらず、腰まで届くブロンドを遊ばせている。首、両手首、両足首にそれぞれ一個ずつ、ロザリオをあしらったチェーンチャームを巻きつけた姿はさながら破戒僧のそれだが、子どもたちを見る碧色の瞳は優しい深さを湛えていた。


「『成体の龍を倒すには、勇者様の持つ、伝説の剣が必要でした』」


 茫然としている二人と、女性を前に喋れない一人をよそに、ソフィアの読み聞かせは続く。勇者と龍。宮殿の天井に描かれた戦いをモチーフにした童話だろうか。


「『どんな剣でも切れなかった固い鱗を、勇者様は青と赤、二つの剣で切り落としました。こうして、困っていた村に平和が訪れたのです』」


 天籟だった。グレたような彼女の外見からは想像もつかない、優しく透き通った声。艶やかだが鼻にかからない流暢さで歌い上げられる物語は、騒ぎたい盛りの子どもたちですら、そわそわすることなく、うっとりと耳を傾けているほどだ。


「『勇者様が使った剣のうち一つは、国にあります。しかしもう一つは、長い歴史の中で行方が分からなくなってしまいました。もしかしたらあなたが、伝説の剣を持つかもしれません。』」


 すぅ、と穏やかな呼吸の余韻を残して、本が閉じられる。それを合図に、子どもたちからわっと賛辞が送られた。


「まるで歌姫だ……」「すごかったな……」「(こくこく)」


 子どもたちのものに紛れた三人――またも一人は心の中で――の声に気づいたソフィアが、


「えー……っと」


 気恥ずかしそうに、髪の毛を指で弄びはじめる。

 問いになっていないとはいえ、部外者の自分たちが何故いるのかは答えなくてはいけない。しかし、ソフィアの指が髪を巻く度に肘が軽くぶつかって胸が揺れるという光景に、彪と星呉の視線は釘付けだった。生唾を飲む二人の傍ら、或鳩だけが我関せずと教会の観察をしていた。


「どちら様で? もしかしてお店からの使いの人?」


 改めて問いかけられ、自分の視線がバレてないかと彪が焦り出す。


「いや、オレたちは――」


 通りすがりで、と言いかけた時だった。


「お客さん!?」「あそんであそんで!」「おれが先だよ!」


 我先にと押し寄せる子どもたちの奔流に或鳩たちが敗北するまで、数秒とかからなかった。


「こらこらこら。人に迷惑かけるんじゃないっていつも言ってんでしょうが!」


 駆けつけたソフィアが子どもをひっぺがしにかかるも、剥がしたそばから集まられてはキリがなかった。観念したのか、彼女は申し訳なさそうに、倒れている三人の前に屈んで、


「悪いねお客人。少しだけ、付き合ってもらえるかな」


 よりにもよって星呉に尋ねてくる。彼は半分引きつった笑顔でコクコクと頷くしかなかった。その返事に歓声を上げたのは女の子たち。はじめはやや遠巻きに見ていた他の子たちも、一人が星呉の腕を引くと、ぱっと笑顔を咲かせてそれに加わり、


「かっこいいお兄ちゃん、こっちこっち!」「ずるい、わたしも!」


 あっという間に星呉は連れて行かれてしまった。


「人気だねぇ色男? それなら、あたしもご相伴にあずかろうかね」


 二人ずつ分けた方がいいと判断したのだろう。連れ添うソフィアと、会話に窮して声なきイエスマンと化した星呉を、或鳩たちは成す術もなく眺めているしかなかった。


「……あいつ、大丈夫なのかな」

「人の心配してる場合? 僕様は押し倒されるの、今日二度目なんだけど!」


 吠えた或鳩に怯んだ男の子たちは、押さえつける手を離すと、標的を彪に変更した。


「やいデブ! おれがやっつけてやる!」「チビは弱そうだからほっとけ!」


 去り際にも捨て台詞を以て、安心しかけた元標的あるくを貶める。見事な手際の子どもたち。


「ちょっとそれは聞き捨てならないな。確かに僕様は男子高校生の平均身長、いやこの際低く見積もったとしても、現時点で君たちにチビと言われる筋合いはないよ!」


 怒りに任せて飛び上がった或鳩は、男の子のうち一人と彪とに交互に指を突きつけ、


「ついでに言うと、二乗三乗の法則で鑑みるに、君は彪と同程度のデブだ!」

「或鳩、それフォローになってない」

「当然だ。豚が豚を豚と呼ぶのは滑稽だと言っただけで、彪を擁護するつもりはないからね」


 ぐったりと無防備に大の字となった彪を見下ろしながら、或鳩は鼻で笑う。すると、それまで彼のマシンガン口撃こうげきを唖然とした顔で見ていた男の子たちは、


「何こいつ、うざい」「つまんねー。いち抜けた」


 次々と或鳩たちから離れていく。解放された彪はおそるおそる体を起こして、


「……助かった?」

「擁護するつもりはなかったけど、結果的に救ったみたいだ」

「ああそうだなありがとう」


 目一杯の皮肉を込めた謝辞を或鳩に送ると、ゆっくりと立ち上がった。


「セルティ様んとこ行こうぜ!」


 誰かの一言で弾かれたように散っていく男の子の一人を、彪が慌てて引き止める。


「待った、向こうに行くなら、あのお兄ちゃんを呼び戻してくれないかな?」


 すっかり女子のオモチャと化している星呉を指差すと、男の子は心底面倒くさそうに答えた。


「えー。しゃあねぇなぁ」


 しばらくして、無事救出された星呉が戻ってきた。或鳩たちに合流したところで、なぁ兄ちゃん、と男の子が星呉を見上げる。


「ソフィア姉ちゃんからどんな話されたの?」

「え? 男子と女子の遊び分けが難しいとか、フツーの話……っつうか、一方的な相談? 愚痴? くらいだけど」


 ぽかん、と星呉が要領を掴めずにいると、或鳩がにまぁ、と唇を吊り上げた。


「ははぁ、さてはマセガキめ、気になってるな?」

「ちげぇよ! あんな、オトコグセの悪いデカパイなんて、気になるはずないだろ!」


 必死に否定する男の子だったが、火に油。或鳩の意地の悪さに薪をくべていく。


「アインシュタイン曰く『純粋な者が純粋さを見るところに、豚は汚れを見る』。痩せたらどうかな? もう少し見方が素直になると思うよ」

「或鳩、黙れ」

「君にも同じ言葉を送るよ」


 見かねて止めに入ったはずの彪も、飛び火をかわすことができずに撃沈した。二人を放っておくことを決め込んだ星呉は腰を落とし、目線を合わせて男の子に向き直る。


「男癖が悪いって、どういうことだ?」

「だってソフィア姉ちゃん、皆と出かけても、よくお店の男の人と奥行って内緒話してるんだ。何て言うんだっけ、とっかえひっかえってやつ?」


 どこで覚えた言葉なのか、たどたどしく吐露する男の子。星呉はその頭に手を置くと、


「まぁ、俺は別に変な話されてないから気にすんな。あんまり悪く言ってやるなよ」

「……うん」


 微笑まれて少しほっとしたのか、男の子は「またね!」と笑顔で教会の中へと去って行った。


「お前が女性にフォローを入れるなんて珍しいな」


 驚きを隠せずにいる彪に、星呉は鼻の頭を掻いた。


「まぁ……他の女子と比べたらそこまで怖くなかった、つぅか」

「結局会話ができないなら、恐怖の大小は関係ないと思うよー」


 或鳩は棒読みでツッコみ、歩き出す。


「ほら行くよ。今晩の宿でも探さないとね」


 残された二人は肩を竦めて無言のやりとりを交わすと、或鳩に続いて教会を後にした。

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