任命

「エドワード様、件の勇士をお連れいたしました」

「――ちょっと待った」


 踏み出した彼の背中を、或鳩が鼻をひくつかせながら呼び止める。


「ここ……なんか焦げ臭くない?」

「ああ。実は今朝方、姫様がこちらで模擬戦を行われたのです。その際に、炎の魔法を――」

「炎だって!? 百年以上も完成していないサグラダ・ファミリアだって存在するのに、それに匹敵するような建造物の中で炎だって!? 冒涜だよ! ガウディへの冒と――」

「おいこら黙れ!」


 ラーゼンの切れ長の目が困ったものに変わるのを見て、彪は慌てて或鳩の口を押さえ込んだ。


まごふっふふぁ何をするのさ!?」

「下手なこと言って、勇者になれなかったらどうするんだ?」


 ばたばたと抵抗していた或鳩だったが、耳打ちされた『勇者』の一言に大人しくなる。

 改めて奥へと進む一行を待っていたのは、玉座にもたれる初老の男だった。


「厳ついね……」「厳ついな……」「怖ぇ……」


 第一印象に、思わず或鳩たちの頬が引きつってしまう。特別筋骨隆々だとか、顔に歴戦の傷があるという訳ではない。しかしその深紅の瞳には、一国を統べる者の風格が確かにあった。


「はじめまして。第二十六代フランドルフ国王、エドワード・フォン・フランドルフ=ケーニヒと申します。早速ですが、私から、あなた方をお呼びした理由をご説明させてください」

「オレたちに……ですか?」

「はい。あなた方に、勇者を影から護衛していただきたいのです」

「護衛だって!? この僕様に対して、勇者ではなく護えもがふごっ!?」


 くわと目を剥いた或鳩の口を押さえ込み、彪は愛想笑いでエドワード王に先を促す。


「この国は、遥か昔より魔族の国ザールフェルトと戦い続けてきました。四代前の勇者が魔王を倒し、以来均衡を保っているのですが、それ以後も代々勇者を旅立たせているのです」

「えっと……? 魔王を倒したんなら、勇者はいらないんじゃねぇっすか?」


 或鳩を制するのに必死な彪に代わって、星呉が進み出た。


「現在の勇者制度は、次期国王に見聞を広めさせるためのものなのです。勇者という名称は半ば形骸化しておりまして、伝統上の肩書でしかありません」

「ぷはぁっ、同じ根拠からの質問! 魔王がいないのに、護衛が必要なの?」


 ようやく巨体から抜け出した或鳩が挙手をすると、


「……そう、ですね。お話しいたしましょう」


 それまで優しげだったエドワード王の眉は弱り果て、彼の深呼吸の音だけが広間に響く。


「一つは、魔王を倒し切れていないことです。史伝によれば、勇者が魔王を切り伏せた際、その躰が消滅する前に、魂だけが抜け出したとのことでした」

「まさか、新しい肉体で復活する可能性が……?」

「はい。魔王は転生の術を操るのでしょう。初代勇者が倒した魔王とも、世代を超えて三度は戦った伝説があります。私の代では復活しませんでしたが、油断は禁物かと」


 誰からともなく「マジかよ……」と漏らす。或鳩たちにとっては、ゲームでは魔王――ひいてはラスボスを倒せばゲームクリアであり、永遠に続く戦いの系譜など予想の範疇外だった。

 自分たちが浮かれて旅に出たところで、勝つことが実質不可能な敵に挑む恐怖。改めて突きつけられたそれは、冴えない一般人でしかない彼らの膝を震わせるには十分である。


「もう一つの理由は、今回勇者を務めるのが、我が娘フローリアだということです。亡き妻に似て優しい子なのですが、どうやら勇者という役目に否定的でして」

「で、でも、どうしてオレたちに? 国から兵士を出すのは駄目なんですか?」

「そんな過保護にしていることがバレたら、あの子に怒られてしまうんですよぉ!?」


 玉座を倒す勢いで立ち上がり、今にも泣きそうに訴えるエドワード王。その豹変ぶりに、或鳩たちは立ち竦んでいたことも忘れ、無意識にぽかーんと開いた口にも気付くことはなかった。


「妻には先立たれぇ、あの子しかいないのにぃ! 嫌われでもしたらどうすればぁっ! !」

「親バカだね……」「親バカだな……」「きめぇ……」


 口々に呟いた感想が聞こえたのかは定かではないが、エドワード王は玉座に戻り、咳払いで場を取り繕った。淡々とした面持ちで脇に控えていたラーゼンさえもが、苦笑を堪えている。


「逸話が……あるのです」

「逸話、ですか?」

「はい。魔王を征伐した先代の旅には、異世界より召喚された人物が大きな協力をしていたと。名前こそ残されておりませんが、高名な召喚士によって呼び出されたのだとか。しかし、異世界と繋がれたのは、その召喚士が最初で最後だったのです。そこでラーゼンに頼み、遺された書物から魔法を再現してもらいました。彼ならば強大な魔法も扱えますから」

「恐縮です。元の魔法であれば自由自在に召喚を行えたのですが……私は三人が精一杯。足元にも及べませんでした」


 慇懃に頭を垂れたラーゼンに、王は改めて労いの言葉をかけ、或鳩たちに向き直った。


「あなた方に無理強いをするつもりはございません。まさか、まだ子どもだとは思わず――」

「十八、大人だよ! 少なくともナタリーより年上!」


 またも或鳩が言葉の端に噛みつく。慌てて彪と星呉が黙らせようとするが、彼の言葉の中にあった名前は、すでにエドワード王の耳に届いた後だった。


「おお、ナタリーをご存知なのですか?」

「あ、あー……えっと」


 彪は冷や汗をかきながら視線を宙に彷徨わせた。ナタリーとは、『フランドルフ』における最年少のヒロインである。

 どうにか誤魔化したかったが、王からの「さすが異世界人様」という視線に白旗を揚げた。


「あ、あー、オレたちは異世界の力で、このゲーム……じゃなくて、この世界についても、ある程度は。人についてだったり、その人がどうなっていくのか、とかも、多少は……はは」


 その言葉に、ラーゼンが興味深そうに目を細める。一方で、


「おお、それは頼もしい! ぜひとも、改めて影からの護衛をお願いしたい!」


 エドワード王は再び立ち上がり、拍手で歓声を盛り上げていた。


「どうする? オレは乗った!」

「俺も。ワクワクしてきたぜ」

「君たちは単純だな。一応言っておくけれど、僕らは勇者になれるわけじゃないんだよ?」

「活躍すれば、フローリアたちに好かれるかも」

「それに王公認だぜ? ほとんど勇者だろ」

「はぁ……。こうして妥協を覚えたから、人類は腐ったんだろうな」


 一歩も引く様子のない彪と星呉に肩を竦めた或鳩は、振り返り、指を立てて王に訊ねる。


「条件がある」

「もちろん、お聞きしましょう」

「僕らが元の世界に帰る方法を用意すること。旅が終わるまでにね」


 保障を求める彼に、王に代わってラーゼンの落ち着いた声が返される。


「それには私からお答えしましょう。召喚魔法に対をなす魔法については、書物に記載されていることが判っています。急ぎ解析し、必ずやご用意いたしましょう」

「なら僕様も乗った!」


 はしゃぎはじめた或鳩たちを見て、王は安堵に胸を撫で下ろす。


「助かります。旅に必要な金子はこちらで手配させました。ラーゼン、頼みますよ」

「御意に。それでは皆様、こちらへ」


 再びラーゼンに率いられた或鳩たちは、興奮冷めやらぬまま、広間を後にした。

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