第一章 三バカと異世界と勇者の黒子
異世界
「おい起きろ、起きろ或鳩!」
揺すられている感覚に、或鳩はまどろみから意識をもたげた。
「何だよ……まだ十分な睡眠時間をとれていな――いだっ!?」
体を起こそうとして頭を打つ。額をさすりながら、鈍い痛みの原因を確認すべく、寝ぼけたままの瞼を気だるそうに開いた。するとこちらを覗き込んでいる視界いっぱいの顔と目が合う。
「ぎゃああ潰されるううう!?」
或鳩は脱兎のごとく滑り出して巨体から距離を取り、着衣の乱れやチノパンのジッパーを手早く確認していく。冷や汗を拭いながらひとしきり全身を叩くと、ほう、と安堵の声を上げた。
「よかった、どうやら彪に貞操を奪われてはいないようだ」
「奪うか!」
上擦った声で叫んでから、彪がすかさず「起こそうとしただけだってば」と弁解する。
しかし、或鳩は理由などどうでも良かった。自分が十八歳にしては小柄ということもあるが、それでも彪とはゆうに二回り以上は体躯の差がある。本人が動けるデブと自称しようが歌えようが踊れようがスカッシュのスコアが高かろうが、接近されれば恐怖の対象でしかない。
「そんなことより或鳩、ちょっと見てみろよ」
ふとかけられた声に顔を上げると、星呉が頭の横で人差し指を立て、くるくると回していた。
「……別に君の頭がくるくるぱーだなんて、今更だと思うけど?」
「ちげぇっての。周りを見てみろってこと」
呆れたように自身の後方を指示しなおす彼の指先を目で辿った或鳩は、そこで初めて、自分が屋外にいることに気がついた。
まず目に飛び込んできたのは、まるで町全体を礎に建てられたような、巨大な宮殿。
見渡す限り、横いっぱいに広がる石造りの城壁。その向こうから突き抜けて見える四基の塔は、太陽を一身に受けてステンドグラスを煌めかせ、その荘厳さを誇っている。壁の切れ目に位置する門は開けていて、奥には木造の軒並みが窺えた。
ぐるり。日本とは似ても似つかない光景に、或鳩は体を背けて現実逃避を試みる。しかし、現実は無慈悲にもそれを許すことはなかった。
左手側には森が、右手には草原が広がっている。城門から伸びているだろう道も、とても舗装されているとはいえない踏み固められただけのようなもので、森の薄闇へと消えていた。
地平線に沿った山々の一部は遥か上空の雲を突き抜け、断壁のテーブルが形成されている。
人はおろか、集落すら見えない広大な風景。森を抜けた向こうには、町があるのだろうか。
「ここは、まさか……」
口をあんぐりと開いたまま、震える声を漏らしていると、彪がそっと肩に手を置いてくる。
「オレたち、『フランドルフ』の世界に来ちゃったみたいだな」
「そんな……ありえない」
或鳩は不貞腐れたように上体を投げ出す。しかし、自身の目で見た煙霞は否定できなかった。
胸の内とは裏腹な青空が眩しい。日本はクリスマスだったが、この辺りの季節は春だろうか。彼は心地よくも憎らしい風に前髪がそよぐのを感じながら、彪の言葉を口の中で反芻する。
フランドルフ。自分たちがプレイしようとしたゲームのタイトルであり、その舞台の名称だ。
「電話も財布も部屋だし、今持っているのはこれくらいだな――ほれ、或鳩」
星呉がやりきれない様子で、細長い何かを投げてくる。寝転んだまま或鳩が受け取ると、それは真紅の鞘が特徴的な剣型コントローラー『エアヴェルメン』だった。
「そうか、こいつを使おうとしたら、炎が出てきたんだっけ」
おそるおそる、嫌な重厚感を放つ剣の柄を、ほんのわずかに引き抜いてみる。今度は炎こそ噴き上げなかったが、その刃の材質はアルミ製と呼ぶには程遠く、秋霜の輝きを放っていた。
「コントローラーから炎が出て異世界だって? はん、馬鹿馬鹿しい」
剣の峰に映る自分の顔に怖くなり、或鳩は努めて気丈に振る舞いながら鞘へと戻す。
沈黙数秒。彼はがばりと上体を起こし、ようやく重い腰を上げた。
「もしここがフランドルフの世界なら、帰る方法を探さなきゃ」
「認める気になったか?」
彪のからかうような問いに、或鳩は尻を払う手をはたと止め、「仮に、だ」と半眼を返す。
まだ納得はしていないと目で訴える彼の脇腹を、星呉が不敵に笑いながら肘で小突いた。
「そんなこと言って、或鳩もワクワクしてるんだよな?」
「……否定はしない」
「よし決定、行こう」
ベルトに鞘を引っかけた或鳩を見て、言質がとれたとばかりに、彪が意気揚々と手を打った。
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