考得る人

Noi_

...今日も疲れた。特に疲れた。

空は暗く時計の針は夜10時を指している。


仕事初めの月曜日はいつも嫌だと感じる。特に今日は酷かった。

午前9時からの会議。

午後は、到底無理であろう今週のノルマを告げられ呆然としてしまい、寧ろいつもよりも仕事が手につかなかったくらいだ。

幸い、持ち帰り残業は認められない会社であるから、今はゆっくり休める。

だが明日、明後日と続く日々に圧迫感を感じる。

寝室に辿り着くと、物が雑多にひろがるベッドに倒れ込んだ。


コロコロコロコロ...

「お前は楽しそうでいいよな」

楽しそうに回し車を回っては、時折水を少し飲んでまた回る。そんなハムスターは俺の唯一の生き甲斐だ。

「…いいなぁ」

自分の言葉に耳を疑う。思ってもない発言をつい言ってしまうと、いつも自分自身に驚いてしまう。ハムスターに嫉妬なんて俺らしくないな。


いや、これが本心ならば…あるいは…


オーバーヒートしそうな頭を鎮めるためにテレビを付ける。テレビを見るのは好きだ。特にバライティは。ニュース番組もいいな。

とにかく情報が一方的に流れてくれて、何も考えない時間を与えてくれるのは非常に心地よい。だからクイズ番組とかは苦手なんだと思う。楽に生きたいんだ、これ以上考えさせないでくれ。


『…次のニュースです。国内での行方不明者が去年と比べ2倍以上に増加してます。原因は不明で、警視庁は現在も調査を続けています。』


物騒なもんだ。家から出ることが少なくなった今行方不明者が増えるなんてとんだ皮肉だな。そういえば…


プルルルルルルル…


止まらない思考を途切れさせる音が鳴る。仕事なんてもう考えてられるか。今日はこれを子守唄にでもして寝てしまおう。

着信音が鳴り終わる前に寝るなんて、今の俺には造作もないことだった。


…激しい光が瞼の裏に突き刺さる。

「なんだ…!?」

飛び起きた先には全く知らない世界、いや、知ってるが知らない世界だ。


ベッドの上


それは分かる。


自分の家


それも分かる。


だが自分の置かれた状況が理解出来ない。


ありのまま伝えるなら

「周りのものが全て巨大化している…!?」


…やっぱり理解出来ない


そういえばベッドの端に手鏡があった気がする。

慎重に一歩一歩進んでいく。自分がどうなっているか確認出来れば何か分かるはずだ。そんな希望も実際に目の前にしたら打ちのめされた。

「いや、いやいやいやいやいや!?」


そこに居たのは驚く顔をした小人だった。そりゃそうか、周りのものが全て巨大化するなんて現実的じゃ無さすぎる。俺自身が小人になったって考える方が合理的だもんな。

「…十分現実的じゃねぇよ……」

夢の中でこれは現実か疑うことがあっても、現実でこれが夢ではないかと疑ったことはない。それが自分の身に起きていることが事実である事の証明だった。


…どのくらい時間が経っただろうか。

窓から差し込む朝焼けが、明かりの付いた部屋をより一層明るく照らす。

冷静になるには十分な時間だったが、この状況を解決するには余りにも足りなかった。

幸い、この身体は運動能力がずば抜けて高い。部屋の中は自由に動くことは出来た。だがどれだけ走り回っても、飛び回っても、自分の部屋は自分の部屋だ。

「流石に怖いな」

自分の高さの二倍を優に超えるハムスターに、命の危機さえ感じる。実際にはケージの中にいるため、心配は杞憂であり、ハムスター自身はこちらに気づいている様子はない。

糸口の見えない問題と戻れない日常に、ホームシックのような感覚さえ覚える。

落胆を通り越して呆れと諦めに打ちひしがれていた。


「よぉ」

背後から見知らぬ声がする。振り返ると

、自分と同じ様な見た目の所謂小人が数人立っていた。この際どこから入ったのかなんて、もうどうでもよかった。


「新しい人生へようこそ!」

「歓迎しよう!」

「いやー仲間が増えて嬉しいな!」


同時に放たれた言葉の一つ一つはうまく聞き取れなかったが、それが俺自身の希望となり得ることということは理解した。それになにより、彼らはこの状況をきっとよく理解してる。


「この状況について教えて貰える?」

ぶっきらぼうにしか言えない自分に腹が立つ。まずはありがとうと言え。それからだろ、教えてもらうのは。


「ここは人間の生活に疲れた者だけが暮らせる小人の世界。そして君はそんな世界に入れたとても運が良い存在だよ。」


「最近小さないきものに憧れたりしてない?そんなにんげんが来やすいんだよー。」


「煩わしいニンゲンがいなくてとっても楽しいぜ!」


1に対して返ってくるいくつもの返答に困惑する。だが、なるほど。心当たりは無いわけでは無い。ならあと聞きたいことは1つだけだ。


「どうやったら戻れる?」


満面の笑みを浮かべてた小人たちの表情が一瞬強ばる。


「戻る必要なくない?」


「小人のままでボーッとしたりするのも楽しいよ!」


「アニメとかの娯楽も問題なくみれるし〜」


小人達は続ける。


「だから一緒に小人として暮らそうよ!」


「働かなくていい、考えなくていい、ただ楽しいことだけができるんだぞ?」


「さぁ、仲間になろうよ!そして小人の世界へようこそ!」


最前にいる小人が手を差し出す。そうか。小人として生きていけば働かなくていいのか。楽しいことだけしていていいのか。


それはとても…


差し出された手に手を伸ばす。


小人達の笑顔が眩しい。


きっととても楽しいんだろうな。


そんな手を俺は




振り払った。


明らかに驚いた表情をする小人達。そんな彼らに申し訳なさを憶えながらも、微笑ましい笑顔で言葉を綴った。


「まずはありがとう。でも俺は、僕は考えることが無性に好きなんだ。まだやりたいこと、人間でなきゃいけないことが沢山ある。

だから小人にはなれない。きっと小人であることが楽しいってことはよく分かる。

でも、そうして考えを止めることが、それは、僕にとってはとても最悪なことなんだ。不思議だよね。」

訳が分からないような顔をする小人達の視線が痛い。きっと彼らからしたら俺はとてもイタい存在なんだろうな。

小人であることを選んだ時のきっと楽しいであろう日々を想像し、心苦しくなりながらもまた言葉を紡いでいく。

「僕は、人間である僕自身をまだ信じたいんだ。僕自身の可能性をもっと知りたいんだ。もし僕が本当に疲れきってまたここに、この世界に来た時は、その時はきっと仲良くしよう。

でも今は、バイバイ。」


眩い光が自分を包む。きっとこれで戻れるだろうなという安心感とひと時の非日常に寂しさを感じる。

そしてこんなご都合主義的な展開に少し笑ってしまった。


ジリリリリリ…


体を起こし、8:00を指している時計を少し強めに押さえつけて、また倒れ込む。


「あーあ。折角楽に過ごせそうだったのになんで断ったんだろうなー。仕事行きたくないなー。」


棒読みに呟く俺の口元は綻んでいた。


そして日常はなんの変哲もなく続いていく。

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考得る人 Noi_ @karatuki-

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