04_上司
コンコンコンコンコンコンコンコンコン。会議室のドアが叩かれる。
「あれぇ? ドアって何回叩くんだっけ?」
語尾がのんびした男の声が聞こえた。
「4回よ、4回。3回だとトイレになっちゃうわ」
ハスキーボイスが続く。
「あんまり待たせても悪いし、早く入りましょうよ」
「うん、そうだねぇ。失礼するよ~」
人懐っこい笑みを浮かべて最初に入って来たのは、高瀬2人分くらいの横幅のある小太りの30代半ばくらいの男性(白髪交じりのぼさっとした頭髪に、無精髭が小汚く、パッツンパッツンのワイシャツと焦げ茶のスラックスの上に着込んだ白衣は、下っ腹が邪魔をしてボタンが途中までしか閉まっていない)と、食券機の前で顔を合わせたスレンダー美人。
「月とスッポン」と高瀬が反射的に呟くと、「こら高瀬君っ!」と片倉が肘で突く。
「だって……」とションボリしてみせる高瀬を見て、スレンダー美人は小太りの男性に向き直った。
「ほら見なさいよ智樹ぃ!! その汚ねぇツラ、ドン引かれてるじゃないのよ!! 今日くらい身なりを整えてきなさいって言ったでしょうが!!」
ハスキーボイスを通り越した野太い声音が紡がれる。
「研究が忙しくて時間が取れなかったんだよぉ~」
智樹と呼ばれた小太りの男性は、
「んもうっ‼ こう言うのは第一印象が大事なのよ!?」
小さく咳ばらいをした岡田は、ハスキーボイスで訴える。
「ごめん、ごめんて~。高瀬君もごめんねぇ? 君の上司がこんなおじさんでさ」
おっとりした口調でふんわり笑いながら言う。
「いや……。むしろ嬉しいっていうか……」
「あらやだぁ‼ 高瀬君、わたしみたいなのお嫌い?」
「いやぁ……嫌というか、慣れてないっつーか……」
「んふふ。なら時間をかけて慣れてちょうだい」
指先を彩る赤いネイルが印象的な手が、高瀬の頬を撫でた。ビクンと跳ねる肩。小さく引き攣った顔で片倉を見たが、心ここに在らずといった表情をしている。
「才蔵。高瀬君、小動物みたいに怖がってるよ。やめたげてよ~」
「仕返しをしただけよ。最初はデレデレ鼻の下を伸ばして腰振ってたくせに、わたしが男だと知るとこの反応よ」
「腰は振ってねぇっす!」
高瀬は真剣な顔で返す。
「こんな反抗的な子、たぁっぷり可愛がってあげたくなるでしょう?」
「……っ‼」
服の上から胸板を弄る手は、的確に高瀬の乳嘴を突いた。
「何するんすかぁ! セクハラっすよ!?」
「ピーチクパーチクうっさいわね。黙らせてやろうかしら?」
「なんか、ごめんねぇ。才蔵、変なスイッチ入っちゃったみたいだよ~」
前田はのほほんと笑いながら、「どうどう」と岡田を宥める。
「お黙り童貞‼ アンタなんかこうしてくれるわ‼」
「うわぁっ、ちょっと~、やめてよ~」
前田の背後に立った岡田はもぎゅっと豊満な乳房を鷲掴み、乱暴に揉み扱く。
「も~、人前ではダメだってば‼ もう学生じゃないんだよぉ? ほら見てよ、高瀬君泣きそうだよぉ? 片倉さんなんか意識どっか飛ばしちゃってるし‼」
高瀬は片倉を見る。顔色はだいぶ良い筈なのに、ボーッと遠くを見ていた。
「片倉さん?」
声をかけながら高瀬が肩を叩くと、片倉はビクッと肩を跳ねらせて其の手を振り払う。すぐにハッとして冷静を装い、人が良さそうな笑みを浮かべた。
「すまない、少し考え事をしてしまって」
「……まだ気にしてんすか? 霧島さんも言ってたじゃないっすか。本人が気にしてないから問題なねぇって」
「それはそうだが……」
「あらあら? 片倉さん、悩み事?」
岡田は片倉の前に立ち、膝を折って顔を覗きこむ。
「よかったら片倉さんが考えている事を聞かせてちょうだいな? ああ、別に今でなくてもいいのよ。人が居ると話しにくい事だってあるでしょうし、他人に話すことで解決する事だってあるわ」
「お気遣い、ありがとうございます……」
「部下がやるべき事に専念できる環境を作るのも上司の仕事なの。だから、なんでも気軽に相談してちょうだいね。些細な事でもいいのよ。貴方に良い仕事をしてもらう為ですもの。……船での事を気にしているのなら、霧島さんが仰る通り貴方が気にする事ではないわ」
「なっ――」
「ヴェルダン皇帝から箱庭を一任されているのは霧君だけど、わたし達所長クラスも管理者の一人として情報を共有する事になっているの。霧島さんも管理者の一人で、もっとも霧君に近い人よ。その彼が〝気にする必要がない〟と言っているのなら、本当に気にする必要がないの。例え霧君が《無印》で、貴方が考えているような人物だとしても変わらない」
困惑とも絶望とも判断の付かない表情を浮かべた片倉は押し黙る。
「岡田さん、霧を知ってんすか?」
「んふふ。高瀬君、人の話を聞きなさいって、お父さんやお母さんや学校の先生からよく言われたでしょう?」
「すっげー、岡田さんエスパーっすか!?」
「…………」
岡田はニッコリ笑った状態で前田を見た。
「すごいね、高瀬君。才蔵君が撃沈したよ~」
「お黙り童貞‼ ウブとバカは紙一重。わたしには冷静になる時間が必要なの‼」
「あはは。また変なスイッチ入っちゃったねぇ」
「俺、何かやらかしたっすか?」
「ん~? やらかしたって言うか、まぁ、才蔵と高瀬君は配属先が違うから気にしなくて平気だよ~」
前田はおっとり笑う。
「あらいけない。話が過ぎたようね。そろそろ行きましょうか」
「行くって、どこにっすか?」
「アンタ達の配属先に決まってるでしょうが!!」
「ひぃっ……」
「ほら行くわよ! 野郎共!」
コツコツヒールの音を鳴らして歩き出す。
高瀬達は再び地下へ潜り、電車に揺られてた。行けども、行けども代わり映えの無い殺風景なトンネルが続くだけ。等間隔に過ぎ去る橙色の蛍光灯を眺めていると、眠くなってくる。
「ふぁ……」
吊革を両手で掴んで全体重を預けるように立っている高瀬は、大きな欠伸をした。
「そうだ‼ 到着までまだまだ時間があるから、気分転換に箱庭七不思議を教えてあげるよ~」
出入口付近の手摺に掴まり立ちしている前田が満面の笑みを浮かべて言う。
「そんなので盛り上がるなんて、智樹と小学生くらいしか――」
「七不思議あるんすか‼?」
輝く瞳で前田を見る高瀬の声が弾んだ。前田の隣でドアに背を預けて立っていた岡田は目を丸くし、片倉は苦笑を浮かべながら「どこにでもあるものなのか」と、誰に言うでもなく呟いた。「じゃあ話すよ」と前振りをして、前田が口を開く。
「箱庭七不思議の一番目は森林公園の話でね、夜の森林公園は街灯があっても薄暗くて、肝試しの定番スポットなんだぁ。帝都の中心に在って住宅街からも近いから、色んな人が頻繁に近道に使うんだよぉ~」
おっとりした口調で話しが進む。
「ある日、残業帰りのサラリーマンが近道をしようとして、真夜中の森林公園を通ったんだ。ぽつり、ぽつりと街灯が道を照らすけどやっぱり周囲は薄暗い。空を見上げれば月が顔を覗かせてはいるけど、広がった木々の枝葉が陰になって月光は殆ど遮られて、行く先は真っ暗。誰ともすれ違わない森林公園はとても静かで、人が居る日中を知っているからこそのギャップは、サラリーマンの恐怖心を煽るのに十分だった。自然と鞄を抱きしめて小走りで帰宅を急いでいると、ふと前方に、ぼんやりとした蒼白い光がある事に気付いた。
それはサッカーボールくらいの大きさで、街灯の明かりを避けながら、ふらふらとこっちに近付いて来る。サラリーマンは息を詰まらせ、立ち止まり、目を凝らした。
ゆっくり近付いて来るソレは、なんとキノコだったんだ‼ 青いベニテングダケを彷彿させるキノコは、柄に浮かび上がった〝見ていると脱力する顔〟をサラリーマンに向け、『お勤めご苦労様です‼ 気をつけてお帰りください‼』と野太い声で言い、会釈を残して去って行った……」
「おしまい」と、にこやかに箱庭七不思議第一幕が閉じる。
「……キノコっすか」
「そうなんだよ~。森林公園のお化けキノコ。コレが、庭七不思議の第一。目撃情報が結構あってさ、不審物って騒がれたこともあるんだよ~。気になるようだったら、高瀬君も夜の森林公園に行ってみて。運が良ければお化けキノコに会えるかも!」
「え? 会えるんすか?」
「確定じゃないよ。運が良ければ会えるかも~‼ 程度だねぇ」
「大丈夫なんですか、そんなバケモノみたいなのを野放しにして」
片倉は呆れを滲ませた声音で尋ねた。
「おっおっ‼ もしかして、片倉さんは七不思議が実話だと信じる人なのかなぁ?」
前田の、真夏の太陽を彷彿させる輝きに満ちた眼差しが、片倉に向けられる。
「いえ、そういう訳では……」
「でも片倉さん、ヴェルダンの七不思議は信じてるんすよね‼」
「高瀬君‼」
「いいじゃねぇっすか。片倉さんが言ったんすよ? 隠したい事実を作り話として吹聴することで、蓋をすることがあるって。それって、ヴェルダン七不思議を実話だって信じてる、ってことっすよね?」
「…………」
片倉は、項垂れて深い溜息を漏らす。
「高瀬君。お喋りが過ぎる男は嫌われるわよ」
いつの間にか高瀬の隣に立っている岡田は、高瀬の顎をクイッと持ち上げて、息が届く距離で顔を覗き込む。高瀬の顔が耳まで赤くなるのを確認し、クツクツと喉を鳴らして笑う。
同じタイミングでアナウンスが第参研究棟に止まることを告げ、速度が徐々に落ちていく。
「片倉さん達とはお別れだねぇ」
完全に車両が止まると、岡田はヒールの音を響かせドアまで向かい、振り返る。
「さぁ、行きましょう。片倉さん」
開いたドアの先は、閑散とした地下鉄のホームだった。
「片倉さん、また後で‼」
無邪気に笑う高瀬は手を振った。発車を告げるベルが鳴り、ドアが閉まる。ゆっくり遠のく見知った顔。一抹の不安が片倉を襲う。
【Prologue】 終
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