03_似て非なる者

 佐々木が2人を呼びに来たのは、高瀬達が昼食を食べ終え30分ほどが過ぎた頃。


 急遽箱庭の最高幹部と顔合わせをすると告げられ、片倉の顔色が悪くなる。5階の第二会議室前で足を止めた佐々木がノックを4回すると、どうぞ。と若い男の声が。「失礼致します」と声を掛けてからドアを開け、「2人をお連れ致しました」と緊張気味に言った。


「ご苦労。下がっていいよ」

「はいっ」


 佐々木は微かに声を上ずらせ、一礼を残して足早に去って行く。不審そうにその背を見送っていると、「どうぞ座ってください」と声を掛けられた。声の主を見た片倉の顔はよりいっそう蒼褪め、高瀬は驚きに目をまるくする。


「え? あれ? 霧? 髪染めたんか!?」

「バカッ、高瀬君――」

「気にしないでください、片倉さん。残念ながら別人ですよ、高瀬さん。僕は霧島です」


 黒のスリーピース・スーツを着こなし薄い銀フレームの眼鏡を着用した、艶やかな黒髪で見覚えのある中性的な美貌の若い男は、「ところで」と心配を浮かべて片倉の顔を見た。


「片倉さん。顔色が優れないようですが、大丈夫ですか?」

「大丈夫、です……」

「そうは見えねぇ――」


 片倉に肘で突かれ、「痛てぇ」と大袈裟に声を漏らして高瀬は突かれたところをさする。


「にしても、すげぇ顔が似てるっすね。兄弟っすか?」

「他人の空似ですよ。ほら、よく言うでしょう? 世界には自分と似た人間が3人居る、って」

「いや、アンタみたいな美人が3人と居てたまるかって。世の中不公平すぎっしょ」

「誉め言葉として受け取っておきますね。ですが、ヴェルダンに美人は多いですよ。昔に比べて整形の技術も洗練されてきましたし、今では骨格から変える人もいます」

「ちゅう事は、霧に似せてるんすか?」

「どうして彼に似せないといけないのですか? ただでさえ、同一視されて嫌な思いをしているのに」


 冗談なのか本気なのか判断がつかない口調で言った霧島は、小さく笑い視線を片倉に向けた。


「片倉さん、そう緊張しないで。僕は、彼ではありません。ほら、僕の髪は黒いし、ウィッグでもない。長さも全然違うでしょう?」


 後頭部のところで1本に纏められた黒髪は、腰に届くほど長かった。「エクステでもないです」と言いながら、毛束を軽く引っ張ってみせる。


「ようこそ、箱庭へ。改めまして、僕は霧島です。本業は外科医なんですけど、一任者が熟睡中なので、僕が代理を務める事になりました。おふたりは、もう既にうちの最高幹部と顔を合わせているので、問題ありませんよね?」


「安心して座ってください」と再度促し、年の割に落ち着いた笑みを浮かべながら霧島は穏やかな口調で2人の配属先となる研究棟等の説明が始めた。だが、高瀬も片倉も上の空で、霧島は数秒間沈黙し、「貴方達の箱庭留学は皇帝のご厚意であり、先行投資のようなものです。此処で沢山の事を学び、是非とも本国で役立ててください」と話しを切り上げた。


 そして小さく溜息を漏らし、「困りましたね」と呟く。


「高瀬さんは兎も角、片倉さんはまだ僕が怖いようですね。違うとお伝えしたのに」


 感情の読めない声音に言われ、ビクッと2人の肩が跳ねた。「滅相もない」と絞り出した片倉の声は、高瀬でも分かるほどに震えている。


「正直な人ですね」と、綺麗に笑う霧島は、すらっとした長い足を組み替えた。


「貴方がした事は、ヴェルダンだったら死罪ですが……此処は本国を模倣した箱庭。《銀狼》の管轄外ですし、《鵺》も《鴉》も居ません。貴方が心配するような事は、何もないのですよ。僕も《無印》で彼と同じ立場ですが、本当に、彼ではありません。見間違えるほど顔付きや声音が似ているのは自覚していますが、同一視をされるのは不愉快です」


 微かに鋭さのある声音で言われ、息を詰まらせる片倉。握った掌は汗ばみ、背中を冷や汗が伝い落ちていく。「なにより」と続く言葉に、息を呑みこんだ。


「被害者である彼が全く気にしていないのですから、周りが動く理由もありません。例え何があっても、此処では誰も貴方を責めたりしませんよ」

「よかったっすね、片倉さん‼」


 高瀬は嬉しそうに片倉の背をバシバシ叩く。安堵に胸を撫でおろすも、片倉の顔色は悪い儘だ。


「そうだ、話題を変えましょう」


 パン。と手を叩いた霧島は、人が良さそうな笑みを浮かべて言葉を続ける。


「昔、こんな事がありました。C地区で暮らすAさんは、溌溂とした人当たりの良い女性です。職場での態度は優秀で、近所でも器量よしと評判でした。ある年、Aさんは突然逮捕されてしまいます。罪状は殺人罪。Aさんを知る誰もが、『Aさんはそんな事をしない。するような人じゃない』と言います。ですが、C地区から離れたS地区でAさんを知る者は、『横暴で暴力的なAさんは、よくガラの悪い男と一緒に居た』と、証言をしています。何故だと思いますか。高瀬さん、お答えください」

「え、俺?」


 すっかり油断をしていた高瀬は、鳩が豆鉄砲を喰らったように困惑した。十数秒ほど思考を巡らせ、「んと……Aさんに二面性があったから、とか?」と答える。


「一見裏表のなさそうな人間は、一定の部分しか他人に見せていない可能性があります。誰も他人の心内は分かりません。もしも裏表がないとすれば、其の人は物事に素直なのでしょうね。片倉さんは、何故だと思いますか?」


 生きた心地がしない。と心情を顔に浮かべた儘の片倉は、「直ぐに答えることができません」と返す。霧島は、「会話を拒否されたようで、少し寂しいです」と返すが、その声音から読み取れる感情はない。


「さて、種明かしをしましょう。実は、Aさんが2人居たのです」

「え? どういう意味っすか?」


 高瀬は思考を放棄した。


「どちらも所持していた身分証は、正式に役所から配布された物でした」

「同姓同名だったんすか?」

「いいえ。2人は互いに面識のない赤の他人です。後の調査で、C地区で暮らすAさんが〝なりすまし〟だと判明したのです。此の話は、本人だと身分を証明する為のIDカードが使い物にならなかった一例として、今でも語り継がれている実話です」

「何が言いたいんですか?」


 片倉は怪訝で怯えを隠し、霧島を真っ直ぐ見返す。


「誰も自分が〝誰〟であるかなんて、証明ができないのですよ。貴方が貴方である証拠も、貴方が貴方ではない証拠も、何処にもありません。出生情報や学歴、仕事の経歴、家族構成……。俗に言う個人情報と呼ばれる物は存在しますが、必ずしも個人の証明になるとは言えません。個人を特定づける目的の基本情報は本人以外の閲覧はできませんが、其の情報を管理をしているのは人間です。あってはいけませんが、Aさんと同じような不手際が管理側で起こる可能性は消えません。結局のところ、僕達は相手の言葉を信じるしかないのです。登録してある遺伝子情報だって、書き換えられたら役に立ちませんし」


 霧島はふんわり笑う。


「現状では片倉さんを納得させるような証明はできませんが、僕は正真正銘の別人です。霧君も貴方を責めるような事はしません。どうか安心して箱庭生活を楽しんでください。僕からの話は以上になります。担当の者が来るまで、待っていてください」


「失礼します」と言い残して立ち去る背で、長い黒髪が小さく揺れる。ドアが閉まった瞬間、緊張の糸が切れた2人は項垂れ、同じタイミングで深い溜息を漏らした。十数秒の沈黙の末に、顔を見合わせ苦笑する。


「なんか、気ぃ張ったっすね」

「ええ、ほんとうに……」


 片倉の顔色は微かに回復していた。




――――――――――

補足

 霧島は霧と瓜二つの顔立ちをしていますが、髪を伸ばしてみたり、口元に黒子を書いたり、目の下に黒子を書いたりと、印象と変えようと頑張っていますが知る人には霧と間違えられています。霧より少しだけ身長が高いです。

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