ダンタリオン
古書店に入ると、例の巨大な紙魚が本の整理をしていた。
「おや、また来んさったのか。欲しい本でもあるのかい?」
表情のよく分からない顔でマステマを見つめ、穏やかな声で話しかけてくる。だがマステマはその紙魚の手が震えていることに気付いた。震えが示すのは怯えか、怒りか、はたまた歓喜か。理由は分からないが、平静を装っているこの店主に何か裏の感情が渦巻いているのは確かだ。
「まおー?」
ティータの袖を引き、紙魚の手を指差す。気になることがある時の幼児になりきり、このメイドの興味を引く。彼女に注目させ手の震えに気付かせてやれば、きっと勝手に余計な詮索をして紙魚にプレッシャーをかけるだろう。
「あら~、どうしたんですかお嬢様」
マステマの幼児仕草にまんまと釣られるティータだが、効果がありすぎたらしい。手を引く幼女に目が釘付けで、紙魚の方には意識が向かない。
「まおっ!」
ダメだこいつ、と作戦変更をするマステマ。紙魚に駆け寄り手に持っていた本を奪い取る。
「こらこら、乱暴に扱ってはいけないよ。その本は貴重なんだから」
紙魚は変わらぬ調子でマステマに声をかける。持っていた本に秘密はないようだ。魔導書かと思ったが、見てみると人間界の哲学書だった。歴史的に価値のあるものらしく、確かに貴重な一品だということは分かる。
「まお……」
ページをペラペラとめくる。書かれている内容は今回の件とは関係が無さそうだ。この店主も生贄を要求されて気落ちしていたのかと思ったが、それらしい儀式の気配もない。見立てが外れたかと思いつつ本を埋め尽くす文字の列をなぞっていく。
「ほう、そんな難しい本が読めるのかね」
突然、紙魚の口調が変わった。声も先ほどまでの震えたかすれ声ではなく、力強い低音で腹に響くようだ。振り返って店主の顔を見ると、そこには先ほどまでいた巨大な紙魚ではなく、初老男性の姿をした悪魔が立っている。
「まおっ?」
店主の変化を見ていたはずのティータに顔を向け、何が起こったのかを視線で問いかける。だが視線を向けられたメイドは不思議そうにマステマ見返してくるだけだ。
「どうやら君は見た目通りの年齢ではないね? 私と同じだ」
楽し気な笑みを浮かべるその顔は、ロマンスグレー。初老男性の魅力にあふれた表情を見せる悪魔は、おそらく女性の心を掴む力の持ち主だろうと推測された。それもマステマには効かないが。
(見た目通りの年齢ではない……か。先ほどまでの虫の姿を考えれば、この悪魔にはいくつもの顔があるのだろう。別に珍しいことではないが……)
そう、悪魔にはいくつもの顔を持つ者がそれなりにいる。ただ、そのことをマステマやティータにも気取らせないでいたことが魔王の本能を刺激する。背筋に冷たいものが走る感覚。これは強者と対峙した時に決まって起こる体の防衛反応だ。
(こいつ、相当な力のある悪魔だな)
「まおー」
哲学書を返し、姿に変化がないか確認するが特に変わりはない。どうやら自分の意志で相手に好きな姿を見せることができるようだ。相変わらずティータはぼんやりとした表情のままだ。彼女には幼女と紙魚が本を受け渡ししているように見えているのだろう。微笑ましく見守っている空気が伝わってくる。
受け取った本をじっと見つめていた悪魔は、突然姿勢を正しマステマに向かって一礼した。
「まお?」
「大変失礼ながら、貴女のことを調べさせていただきました。今は力を温存するためにそのような姿になっているのですね。私の名はダンタリオン。本に棲むつまらない悪魔です」
「まおまおおっ!?」
(ダンタリオン!? あの模様に書かれていた名前ではないか)
さすがにティータも店主がマステマの正体に気付いたらしいことを察し、二人の間に割り込みダンタリオンを睨みつけた。
「あなたは一体何者ですか? ただの古本屋さんではなさそうですね」
「ふふふ、私はただの古本屋ですよ。今の魔界を憂いているだけのね」
ダンタリオンが震える手で本を撫でると、本の表紙が変化する。金の装飾が施されたカバーになり、マステマが書店で見た印章が表に描かれている。
「これは先ほど怪盗が返してくれた魔導書です。ストラスは囮として実に良い仕事をしてくれた」
「まおー!」
(お前が魔魂晶なる物を作る儀式の主催者か)
「魔導書にストラスというと、あなたがストラスと共謀して住民に生贄を捧げさせていた首謀者ですか?」
ティータもこの二つの単語からダンタリオンが生贄と関りがあると推測した。すぐに攻撃ができるようにファイティングポーズを取り、問いかける。
「いかにも。ですが大きな誤解があるようですね。あの怪盗と商人も、そしてストラスも。皆内に秘めた願いは同じだというのに、些細なすれ違いから争いを繰り返している」
「まおー?」
ダンタリオンからは敵意を感じない。ティータも構えを保ちながら、話の続きを待つ。
「私は今、猛烈に感動しているのですよ。不遜にも魔王を名乗る不届き者どもに頭を下げ、察しの悪い悪魔達にイライラさせられながら進めてきたことが、実を結びつつある」
「つまり、どういうことです?」
ダンタリオンの言葉は曖昧だ。マステマにもその真意は測りかねたが、少なくとも魔王を名乗るベリアルや他の悪魔達を快く思っていないことは分かる。つまりマステマと敵対する意志はないのだろう。
「大サタン復活の儀ですよ。悪魔を生贄にしてまで行わねばならぬことが他にありますでしょうか?」
「まおー?」
(そういえばハルファスもそんなことをしようとしていたな。商人からやり方を聞いたそうだが……もしやこいつがターチマチェに伝えたのか)
「生贄はストラスがベリアルに献上する魔魂晶を作るためのものでしょう? それに、魔王様はこうしてご健在なのですから、あなたの企みというのはむしろ無駄に終わったのではないですか」
珍しくティータが筋の通った反論をしている。さすがにここまで情報が出そろうと彼女でもあらましは分かるようだ。
「あの本屋から聞いたのですか。魔魂晶はベリアルの力を強めてくれるでしょうが、本当の目的はそれではありません。貴女もおわかりでしょう、大サタンは今、ひどく衰弱しておられる。その魔力を回復させるために、多くの贄を必要としているのですよ。魔王様に多くの命を摂取していただくために、魔界を巡って様々な食事をしているのでしょう?」
「えっ……そ、そうです!」
「まお……」
そんなつもりは全くなかったティータだが、そういうことにしておいた方が侍女としての対面が保てるととっさに判断したようだ。
「つまり、魔王様の魔力を回復させるために悪魔を生贄にしようとしているというわけですか。そんなことを魔王様が望むわけがないでしょう!」
「まおー!」
そうだそうだ、とマステマは○の札を挙げてティータに同調した。
「そうですな、マステマ様は大変慈悲深い天使だったとお聞きしています。魔神達の命を守るために魔王として魔界に君臨なされた」
「そ、そうですよ!」
「まお……?」
ティータはこの話も初耳だったが、なんとなく同意しておく。マステマのジト目がメイドの横顔に突き刺さった。
「だが、今の魔界は危険な状態にあります。すぐにでもベリアルや他の四天王達を大人しくさせないと大いなる戦乱が巻き起こり、数えきれないほどの悪魔が命を落とすでしょう」
「それはそうですけど」
それを防ぐためにマステマは旅を始めたのだ。ダンタリオンが言いたいことは分かる。悠長に細かいトラブルを潰していくより、偉大な魔王が再び立って彼等を諫めれば済む話だ。多くの命を救うために少数の命を犠牲にすることがダンタリオンの選択というわけだ。
「まおー」
(手の震えは、コイツの覚悟に秘められた様々な感情の発露か。それにしても我が城を発って以来出会ったトラブルは、全てコイツが糸を引いていたということになるな。一番魔界の治安を乱しているのが魔界の安定を願う者だというのは皮肉なものだ)
マステマはとりあえず×の札をダンタリオンに突き付けた。お前の気持ちは分かった、余計な心配はせずに我に任せておけという気持ちを込める。
「おお、ありがたきお言葉……分かりました。これ以上差し出がましい真似はいたしませぬ」
「まおっ!?」
(伝わった!?)
「私はいくらか心を読むことができますゆえ」
「まおっ!!」
(なんだその便利な能力! このポンコツと交代しろ!)
「魔王様ー、なんか悲しいことを考えていませんか?」
これはティータにも読み取られた。余計なことにばかり鋭いメイドである。
「私の力が必要な時はいつでもお呼びください」
「ダメですっ! なんとなく私の存在意義が脅かされそうな気配を感じます!」
「まお、まお」
ティータが騒がしいので古書店を後にすることにした。言葉が通じないのは多少不便ではあるが差し迫った必要性を感じないので、いざという時に呼ぶことにしようと思いつつダンタリオンに手を振って別れるのだった。身の回りの世話をするメイドが不要になることはないのだが、ティータには疎外感を与えてしまうだろうと考えたマステマである。
「さて、どうしましょうか?」
「まおー!」
マステマはストラスの屋敷を指差す。ダンタリオンの言葉によると、彼もベリアルに忠誠を誓っているわけではないらしい。意思の疎通を図っておくことにする。
「分かりました。ストラスの屋敷へ向かいましょう」
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