魔導書と生贄

 祭壇の周りに描かれた円の内側にはやはり円を描くようにDANTALIONの文字がある。祭壇の上にいる女には怪我はなく、縛り付けられてはいるが乱暴された形跡はない。


「まおまおお?」


(ダンタリオン……と読むのか? 何かの呪文だろうか)


 マステマが床に描かれた円と模様を観察しながら祭壇に近づいていく。この模様は魔王軍の幹部達に与えられた印章とよく似ているが、マステマが見たことのない模様だ。


「大丈夫ですか! 今助けますっ」


 そこにティータが勢いよく入ってくると、すぐに祭壇へと駆け寄り女の縛めを解いていく。罠の可能性を微塵も考えていないことがよくわかる。マステマは呆れたように肩をすくめるが、これまでに見聞きしてきた情報と合わせてここに危険なものはないと彼女も判断していた。


「この魔界で悪魔が行うような儀式には見えませんが、いったい何が行われていたんですか?」


 祭壇の上で身を起こした女にティータが尋ねる。女はねじれた角を持ち青い肌を持つ人間型の悪魔で、乱れた様子もない服装は書店の店員であることを示していた。女が口を開こうとすると、入り口の方から扉が閉まる音と共に男の声が聞こえてくる。


「私が説明しましょう。密室の中まではストラス様も見通すことができませんからね」


 声の主は先ほど店の前で絶望の表情を見せていた店主の男だ。その顔には晴れやかな笑顔が浮かんでいる。


「まおー?」


「どういうことです? この方を生贄にしようとしていたのは貴方ではないのですか?」


「ええ、そうです。私がストラス様に上納する魔魂晶まこんしょうを作るために娘を生贄にしようとしていました。そのために必要な魔導書がストラス様から選ばれた者に手渡され、身内を生贄にすることを強制されたのです」


 その魔導書をアンドロマリウスが盗んでいったために、娘を生贄に捧げることができなくなったというわけだ。怪盗に盗まれたのだから、領主に逆らったことにはならない。娘を生贄にできなかったのは不可抗力によるものだという言い訳がたった。


「魔魂晶というのは、いったい何ですか?」


「まお」


 ティータが更に尋ねると、マステマも同調して頷いた。二人に見つめられた店主は眉をひそめて説明する。


「それが、魔王ベリアル様の軍備増強に使われるものだそうです。悪魔の魂から抽出したエネルギーを結晶化して、恐るべき兵器の動力源とするとか」


 バラクに魔焔鉱を集めさせていたのと同じように、ベリアルはストラスに魔魂晶を調達させているようだ。


「まお……」


(いかにも凄そうだが、そこまでして軍事力を高めないと攻め込めない相手の国がきになってきたな。あのベリアルが強大な力を欲するとは)


 顎に手を当て、思案するマステマの横でティータはまた燃えている。


「ストラスはなんという非道を行っているのでしょうか! 懲らしめてやらないといけませんね」


「まおー!」


 そんなメイドの目の前に、また札が突きつけられた。そこに書いてあるのは×の文字である。


「ええっ、どうしてですか? 町の住民を生贄にするなんて、許されることではないですよね?」


 ティータが疑問の声を上げる。彼女がマステマの意志に背くことはないが、それでも主の考えが分からないと困惑するのだ。


「まおー」


(今のところストラスが本当に生贄を求めているのか、確証がない。証拠となる物もないし、我々はストラスが住民に命令しているところを見たわけでもない)


 住民の証言だけでストラスを悪と断ずるのは気が早い。悪魔に対して悪と非難するのも変な話ではあるが、魔界の住民は法に従って生きているので不法行為は処罰されるのである。だからこそ、確たる証拠もないのに罰するわけにはいかないのだ。


「まおっまおー!」


 言葉で説明できない以上、行動で示すしかない。マステマは部屋の扉を開け、すぐに書店から出ていく。もはやこの店の店主と娘に興味はなかった。目指すは、先ほど訪れた古書店である。


(あの店主は明らかに何かを知っていた。もしかするとこの店と同じように魔導書を与えられているかもしれない。であれば、その魔導書こそが重要な証拠物品になるだろう)


「お待ちくださいお嬢様!」


 ティータがマステマの後を追って店を出る。後に残された親子は二人を見送ると、魔導書を盗んでいった怪盗へ感謝の言葉を言い合うのだった。


◇◆◇


「ホウ、あの小娘が魔導書を盗んだか」


 一方で、ストラスは相変わらず自分の部屋にいる。ターチマチェから購入した魔導書はもう読破したらしく、本棚の一角に収められていた。今このフクロウが手にしているのは、天文学について書かれた本だ。


「ホウ、ひときわ輝く一等星が真実を求めて町を行き来しておる。素晴らしいと思わんかね?」


 ストラスが、窓に向かって声をかけた。


「さすが、フクロウは目が良いのね」


 窓が内側からひとりでに開くと、その外から一つの影が飛び込んでくる。


「ホウ、蛇は侵入が得意なようだが、一つ重要なことを忘れておるようだ」


 部屋の中に立ち上がり不敵な笑みを向けるアンドロマリウスに、ストラスは変わらぬ調子で声をかけた。


「私が何を忘れているって?」


 蛇と呼ばれたアンドロマリウスは、その言葉を否定しない。彼女の手には見るたびに色の変わる不思議な蛇が巻き付いている。


「ホウ……フクロウは、蛇を狩る」


 音もなく、ストラスは部屋の天井付近まで飛び上がった。

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