怪盗の罠

 魔界の悪魔というのは、かつて人間界にあって神として崇められていた数々の神だったり、あるいは現在最も大きな勢力を持つ神に仕えていたしもべだったりする者達だ。


 マステマはの忠実な僕だった。かの魔神たちが敗北し、処罰を受けようとしている時に「人間に試練を課すため彼等を利用する権限をください」と願い、神に認められて悪魔の統領となりサタン神の犬の称号を得た。


 実際のところ、マステマが願わなければこれらの魔神たちは一柱たりとも残らず消滅させられるはずだった。彼女は神に彼等の命乞いをしたのだ。


◇◆◇


 数秒の後、屋敷の灯りが戻ると部屋の中に荒された形跡は無く、変化したことといえば開け放たれた窓の桟に立ってポーズを決める怪盗アンドロマリウスの姿が現れたことだ。


「怪盗アンドロマリウス、参上!」


 なお、窓は微妙にアンドロマリウスの背丈よりも縦幅がなく、かがみ込んだ体勢でポーズを取っている。


「お主がアンドロマリウスか。いったい誰の差し金で私の魔焔鉱を盗もうとしているのだ」


 バラクがアンドロマリウスに問いかける。首謀者に心当たりがあるとはいえ、こちらから迂闊に名前を出すのは下策と言えよう。


「はははっ、何言ってんの。盗もうとしてるんじゃなくて、もう盗んだのよ!」


 それに対してアンドロマリウスは余裕たっぷりの態度で返す。これに驚くバラク、ラグナス、ティータの三人。


「そんな馬鹿な!」


 バラクは焦って魔焔鉱の保管場所を確認しようと振り返り――


「まおっ!!」


 目の前に×の札が掲げられ、幼女に行く手を阻まれた。


「バツですか……?」


「まおっ、まおー!」


 マステマはアンドロマリウスを指差し、また×の札を掲げる。


(これは盗人がよくやる手口だ。狙われている物が大丈夫か持ち主に確認させることで、その隠し場所を自ら教えさせようとしているんだ)


「アンドロマリウスがバツ……つまり、あの女の言っていることが嘘だということですね!」


「まおー」


 今度は○を掲げる。そのやり取りを見ていたアンドロマリウスは、舌打ちして窓から外へ出ようとする。


「逃がしません!」


 そこにティータが追いすがり、アンドロマリウスの足を掴む。跳ぼうとしていたところを強い力で引っ張られ、バランスを崩して窓枠に手をついた怪盗をそのまま部屋の中へ引き込もうとするティータだが、相手も伊達に怪盗を名乗っていなかった。


「悪いけど、君と遊んでいる暇はないの」


 次の瞬間、強烈な光が全員の視界を真っ白に塗りつぶす。閃光を放つ何らかの道具を用いて相手の目をくらませ、ティータの手が緩んだ途端にするりと抜け出しどこかへ飛び去っていった。


「今日のところは退散させてもらうわ。そのおチビさんに感謝するのね!」


(あのガキ、そういえば宿の時も私の邪魔をしてきたな。どうやら一番厄介なのがあの犬耳幼女らしいわね)


 捨て台詞を吐いて逃走するアンドロマリウスをティータは追おうとするが、どこに逃げたのか皆目見当がつかない。マステマも駆け寄って×を突き付け、追うことを諦めさせた。


「申し訳ありません、油断しました」


「まお、まお」


 掴んだ手を放してしまったことを謝罪するが、マステマは気にするなとジェスチャーで示した。


「ありがとうございました、サタン様。危うく怪盗の罠にかかるところでした」


「まお、まお」


 バラクとラグナスもマステマに頭を下げるが、気にするなと手を振る。


(だいたい、戦争準備のためにベリアルが集めている鉱石なんてそう簡単に持ち運べるような量ではないからな。あんな一瞬の隙で盗み出せるわけがないのだ)


 マステマは怪盗本人よりも、彼女に命令した黒幕の存在について思いを巡らせていた。ターチマチェという商人の目的はよく分からないが、その名前になんだか聞き覚えがあるような気がするのだ。


「まおー」


(ベリアルの手下か、それともまた別の何者かの差し金か?)


 ベリアルは戦争の準備をしているのだ。それはつまり、攻め込む相手の国があるということでもある。魔王を名乗り国を建てた者は複数いる。ベリアルの他の四天王も同様のことをしている可能性が高い。ターチマチェはそちらの手の者である可能性も考えられる。そもそもまだターチマチェが黒幕とは決まっていないのだが。


◇◆◇


 ベリアルは自分のことを天上において最も位の高い天使だったとよく自慢していた。これは嘘ではない。


 かつて神は最初の天使を創った時に二柱の天使を同時に生み出した。一つは『神の光』ルシフェルであり、もう一つが『無価値なる悪意』ベリアルだった。神は天使長となるルシフェルを最も強く純粋な光の天使として生み出すため、己の写し身を作り出し、そこから不純物を取り除いた。それがベリアルである。


 ルシフェルは神の寵愛を受け、ベリアルは無価値なる者として捨て置かれた。


 その後ルシフェルは大罪を犯して神の国を追われたが、ベリアルはそんな扱いさえも受けることなく、悪意の化身として自らの意志で魔界にやってきて魔王軍に所属するのだった。その実力から魔王軍を率いる四柱の悪魔の一柱となり、四天王などという扱いまでされたが、彼女の序列は68。バラクよりも下の序列であり、魔王軍の69幹部の中で下から二番目だった。


 この序列に大した意味はない。単にマステマの配下に名を連ねた順番に過ぎないのだが、当の悪魔達はそう思ってはいなかったようだ。

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