大総裁バラク

 バラクの屋敷に到着すると、マステマは迷うことなく入り口の扉を開ける。入り口の鍵を閉める習慣がない魔界では普通のことだ。盗人には都合が良いように思えるが、入り口の鍵が開いている前提で貴重品などを管理しているので盗みが頻発するようなことはない。


「まおー!」


「おや、これは可愛らしいお客さんだ。どんなご用件かな?」


 出迎えたのはバラク本人ではなく、執事の男性だ。着ているスーツの布地からして、いかにも高級。主はよほど裕福なのだろうと察せられる。山羊のような二本の角を持つ初老の男性で、背筋の伸びた姿勢の良い佇まいは有能ぶりをうかがわせる。


「お邪魔します、私はこのお嬢様の付き人をさせていただいています、ティータと申します。実は先ほど怪盗アンドロマリウスなる者が町に現れまして」


 そこに追いついたティータが自己紹介をする。マステマを「魔王様」と呼ぶのはやめてお嬢様と呼ぶことにしたらしい。ベリアルのような悪魔が今のマステマの状況を知れば、完全に復活する前に始末しようと考えるのが当然である。ハルファスが語っていたのだが、彼の言葉を理解するまでに時間がかかってしまった。別にティータの頭が悪くて理解できなかったわけではない。あの時のティータは自分もマステマに撫でてもらいたいという気持ちが先行してハルファスの言葉をよく聞いていなかったのだ。


「ご丁寧にありがとうございます。私はバラク様の執事をしております、ラグナスと申します。アンドロマリウスは最近この町に現れたならず者です。盗人から盗品を盗んで持ち主に返すと言って窃盗を繰り返しておりますが、たとえそれが盗品であろうと官憲でもない者が勝手に裁きを下すことは認められません」


 ラグナスによるとアンドロマリウスは既に何件もの窃盗事件を起こしているらしい。魔界は悪魔の世界だが無法地帯ではない。彼等は魔王や領主などの統治者によって定められた法に従い、秩序ある暮らしをしているのだ。勝手なことをするアンドロマリウスは、ただの盗人でしかない。


「まおー!」


 先ほどから室内を見て回っていたマステマが、窓枠に挟まっていた手紙を見つけてラグナスに知らせる。もちろん勝手に触ったりはしない。あらぬ疑いをかけられては面倒だ。


「なになに……これは、まさに今話していたアンドロマリウスからの予告状ですな。バラク様が保管している魔焔鉱を盗み出し、ベリアル様に正当な金額で売るとのことです」


「あれ、魔焔鉱って商人から買っているのではないんですか? 怪盗アンドロマリウスは盗品を盗むんですよね?」


 ティータが不思議そうな顔をして尋ねる。彼女の言う通り、怪盗アンドロマリウスが盗品ではない魔焔鉱を盗むのは筋が通らない。ティータはアンドロマリウスとマリーが同一人物だと思っていないので、純粋に疑問を覚えて口に出したのだ。


「まおっ」


(察しの悪さが逆に役立ったな。悪魔というものは、法に従っているだけでなく自分自身のポリシーを持っているものだ。アンドロマリウスの場合、盗品を盗み返すという美学に基づいて行動しているはずだが、何故か盗品ではない魔焔鉱を標的にしてきた)


「もちろんバラク様は商人のターチマチェ殿から正当な取引で魔焔鉱を仕入れております。これはとんだ言いがかりですな」


「まーおまお?」


(ターチマチェ?)


 商人の名が気になって、マステマはラグナスを見上げて首を傾げる。


「ターチマチェとはどのような人物なのですか?」


 ティータがマステマの興味を汲んで質問した。それにラグナスが答えようとすると、階段の上から力強い声が聞こえてくる。


「ターチマチェ殿はタルタロスで広く商いをしている大商ですよ、ティータ殿」


 その場にいた全員が声の主に顔を向ける。そこに立っていたのは、天使のような姿をした若い男性だ。この屋敷の主であるバラクが騒ぎを聞きつけて降りてきたのだ。


「バラク殿……お久しぶりですね」


 バラクも魔王軍の中では有力な悪魔だったので、ティータとも面識がある。挨拶を返されて満足げに頷くと、傍に立つ幼い少女へと目を向けた。


「……なるほど」


「まおっ」


(ひと目で我の正体に気付いたか。こいつは今やベリアルの部下だ、厄介なことになったな)


 正体を見抜かれたことを悟り身構えるマステマだが、バラクはすぐに階段を下りて一階の床に立つと、そのまま跪いた。


「ご安心を。序列第62、総裁のバラクがベリアルごときに服従することはありませんぞ、サタン様」


「ええっ!?」


 ラグナスが驚きの声を上げると、すぐ主人に倣ってマステマの前に跪いた。


「まおー」


 マステマは面倒くさそうに手を振って二人を立たせる。敵対するつもりがないなら話を続けよ、と動きで示しているのだ。旧魔王軍の幹部達は誰もが魔王の一挙手一投足からすぐに意図を読み取ることができる。メイドのティータは察しが良くないが、あくまで使用人の立場だから許されているのである。


「はい、魔焔鉱のことですね。あれは間違いなく正式な取引を行ってターチマチェ殿から仕入れたものです。この予告状によると不当に値段を吊り上げていると言われていますが、需要の高まりに合わせて仕入れ値が上がった結果ですよ。相手が相手なので、多少色を付けていますがね」


 最後の言葉でニヤリと笑うバラクを見て、マステマは確信する。こいつは不当に値段を吊り上げているなと。同時に、それがベリアルに対するささやかな反抗によるものだとも。


「まお、まお」


 構わんぞ、と手をヒラヒラ動かして示す。バラクは笑みを深め、また深々と頭を下げるのだった。

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