11話 彼女の決意表明
「……やっぱり、迷惑でしょうか」
「へ? メーワク?」
「その、私みたいなのがこんなことするのって、余計なお世話になっちゃってますかね……?」
烏丸さんは悲しそうな顔を浮かべると、うつむいてつぶやくように言葉をこぼしたのだ。
「なんで? そんなこと……」
「余計なお世話どころか……やっぱり気持ち悪いですよね。私みたいなゲロしゃぶ女からこんなことされるなんて……」
どんどん烏丸さんの表情が暗く沈んでいく。
ちょっとまて。なんでキミはそんなにネガティブなんだ。
「イヤイヤイヤ、そんなわけないじゃん。何回も言ってるけど、烏丸さんには感謝の気持ちしかないって」
俺は鼻声を大にして、否定の言葉をぶつける。
「ホントですか……?」
「当たり前だよ。二日連続美味しいご飯をご馳走になって、体調崩したときにこんだけ看病されて、それで迷惑とか思うヤツいないって。むしろ俺が迷惑かけっぱなしでゴメンって話しじゃん?」
「でも、ぜんぶ私が勝手に押しかけて独りよがりでしていることですし……」
「独りよがりだろうがなんだろうが、こんなにお世話焼いてくれる人いないから。俺はキミに感謝してるよ」
「でも、私は――」
あーもう。でもでもでもでも、さっきから後ろ向きな言葉ばっかり使いやがって。感謝してるって言ってんだろうが!
ていうかこちとら高校生活の三年間、男子校っていうウンコでコーティングしたウンコみたいな環境で過ごしてきたんだぞ? その間女子からの気遣いなんて受けたこともなければ、優しくされたこともないんだよ! そもそもコンビニ店員とオカン以外の女子と話す機会すらなかったわ!
それが二日連続で美味しい手料理お見舞いされて、風邪で弱ってるところエプロン姿で看病されてみろ?
しまいにゃ惚れるぞこのヤロー。
童貞舐めんなっつーの! こっちは視線があっただけで好きになっちゃうんだぞ!
「でもじゃない! 烏丸さんのご飯だって、本当は毎日食べたいくらいなんだから!」
それは紛れもない俺の本心から出た言葉だった。
が、しかしそれが今の彼女にとって地雷ワードであったことになぜ気づけなかったんだろう。
やっぱり熱でうだされていたんだろうな。
「ホントですか⁉︎」
烏丸さんの表情にパッと光が差す。
「じゃあ、これからも私が毎日ご飯を作ってあげますね! 任せてください!」
「あ、いや。もちろん毎日っていうのは言葉のあやでね……別に本当に毎日作ってもらおうとは……」
「嬉しいです! やる気が出てきました!」
「で、でもさ。これから授業やらサークルやらバイトやらでお互いどんどん忙しくなるだろうし、烏丸さんの負担になるでしょう……」
「何も問題ありません。ご飯を作る手間なんて、一人分も二人分もそう変わりませんし、さっきも言いましたが、私が好きにやっていることですから」
「でもさ……」
あれ、なんか今度は俺の方がでもでも言ってね?
そんな俺の言葉をピシャリと遮るように、烏丸さんは俺の名前を呼んだ。
「鳩山さん!」
「な、なにさ?」
「私、決めました」
「決めたって……何を?」
俺が問いかけると、彼女は少しだけ視線を伏せた後、意を決した様子で俺の方を見つめてきた。
「これから私――烏丸まどいが、鳩山さんの大学生活を全力でサポートさせていただきます」
…………
「は?」
突然の宣言に思わず声をあげてしまう。
何いってんだコイツ?
「晩ごはんは毎日お裾分けという形でいいですよね。お昼ご飯もご希望があればお弁当を作りますがいかかですか?」
「あのー烏丸さん?」
「あ、それと共通授業のノートもお任せくださいね。必要とあらば代弁にも積極的に協力をさせていただきますね。実験レポートも協力していきましょう? それと、あと、お手伝いできそうなことは何かあるかな……?」
「もしもーし? 人の話聞いてますか?」
「え? はい、なんでしょう」
きょとんとした顔を浮かべる烏丸さん。どうやら俺の声が聞こえていないわけではないらしい。
「なんでしょうじゃなくて、なんか今話がものすっごい飛躍した気がしたんですけど」
「そうですか?」
「そうですか? じゃないでしょう。俺の大学生活をサポートするって、なんでそういう話になるのよ」
「それはもちろん、私がそうしたいと思っているからです」
「いや、だからその理由がわからないっていうか……」
すると、彼女は不思議そうに首を傾げながらこう答えたのだ。
「だって、鳩山さんは私のことを助けてくれたじゃないですか。理由なんてそれだけで十分です」
「……っ」
烏丸さんのその言葉には、俺に反論を許さない不思議なプレッシャーがあった。
そして、俺はなんとなく烏丸まどいさんという人間の本質を垣間見た気がした。
この子は、そう。極端なのだ。
マイナス方向にも、プラス方向にも。
「もちろん、鳩山さんにご迷惑がかかるようなことがあれば、すぐにやめます。ただ、ほんの少しでも私の助けを必要としていただければ、ぜひ協力させてほしいのです」
「そりゃあ俺としてはありがたい申し出だけど……」
「では、よろしいですか?」
「烏丸さんは、本当にいいの?」
「はい!」
即答。それから烏丸さんがずいっと身を乗り出してきた。瞳がキラキラと輝いているのがメガネのレンズ越しでも分かる。
俺の返答が求められていた。
彼女の申し出を受け入れるか、断るか。
重要な二択だ。
正直、俺にとってメリットしかない申し出だと思う。隣に住んでる女の子がわざわざ毎日ご飯を作ってくれるなんて、それこそラノベの世界くらいでしかありえないことだ。
しかし、不安もあった。
それはこの先の俺自身の大学生活について。
人生で一度きりの大学生活。
俺は充実したキャンパスライフを夢見ている。
気の合う愉快な仲間たち、楽しいサークル活動、そしてかわいい彼女。
大学を卒業してふと振り返ったときに、宝石箱のようにキラキラとした想い出として残る、そんな青春を送りたい。
そしてそれはありふれたものでいいのだ。
凡百の先人が歩んできた、ごく普通のキャンパスライフ。俺が望む青春はそれだった。
正直、今、俺のキャンパスライフはややイレギュラーな方向に向きかけている。
烏丸まどいさんという人間に踏み込み過ぎている気がするのだ。
ここいらでリセットして、彼女もは普通の同級生の関係に戻るのも賢明な判断なように思われる。だって俺の大学生活はまだ始まったばかりなのだから。
俺は、どうするべきか。
多分、思考の時間は一瞬。
だけど、その時間は永遠にも感じられた。
そして、俺が下した決断は――
「……よろしくお願いします」
俺は、自らの意志で。
烏丸まどいという摩訶不思議な隣人に、一歩踏み込むことを決めた。……決めてしまった。
その言葉を聞いた瞬間、烏丸さんの顔に満開の花が咲いた。
(ああ、この子は本当に――この笑顔が可愛いんだ)
「はい! もちろんです! 不束者ですが精一杯頑張りますのでよろしくお願いしますねっ!」
まるでプロポーズでも受けたかのように、嬉しそうに何度もうなずく烏丸さん。
それから俺は「一晩中看病します」と勇み足の彼女をなんとかなだめすかして、隣の彼女の部屋にお引き取り願った。
「なにかあったときはこちらの番号に連絡してくださいね。いつでも駆けつけますから。おやすみなさい」
その代償に……と言ったら失礼な物言いになってしまうが、俺は烏丸さんと連絡先を交換することになった。
烏丸さんが帰った後、俺はベッドでボンヤリとスマホの画面を眺めていた。
画面に表示されているのは烏丸さんの電話番号。
この画面をタップすればすぐに彼女と繋がる。
そもそもアパートの薄い壁一枚を隔てた距離に彼女はいる。
そう思うだけで、なんだか心がざわついた。
「これでよかったのかな……?」
俺の選択は正しかったのか、間違っていたのか。多分いくら考えたところで答えはでない。
多分俺はさみしかったんだと思う。
自分を知る人が誰もいない、故郷から遠く離れたこの場所で、新しく生まれた数奇な絆。
その糸を断ち切ってしまうことが寂しくて、彼女の提案を呑んだのだと思う。
俺はスマホを枕元に置いて、天井を見上げた。
さっき飲んだ薬のおかげか、はたまた烏丸さんお手製の卵雑炊のおかげなのか、風邪の症状は少しはマシになっていた。とはいえまだ身体はダルいし、ちょっとでも気を抜くと、重たい睡魔が襲ってくる。
俺はそれに抗うことなく、瞳を閉じた。
ここ最近、烏丸さんと過ごした時間を思い出す。
「ふっ、ははっ……」
思わず口元が弛んで、笑みがこぼれでた。
ああ、きっと俺は、楽しかったんだ。
そんな今更なことに思い至る。
ここ数日、俺の大学生活に色をつけてくれた女の子のことを思い浮かべながら、俺の意識はゆっくりと眠りのふちに沈んでいった。
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