四章 魔女のマベルは秘密が欲しい! ②
「ないわよ。そんな物」
「え?」
キッパリと言い切るアイリスに、キョトンとした表情を浮かべるマベル。
「ええ────っ!」
「五月蠅いっ!」
少し間を開けて、非難染みた絶叫をあげるマベルをアイリスはチョップ一発で黙らせる。
「うう……。じゃあ何しに来たの?」
アイリスの存在がマベルの気を緩めたのか、口調や表情もいつものマベルに戻っていた。
「私が手伝った薬を毒扱いされて黙ってられるわけないでしょ。間違いは糺しておかないとね」
「私を助けに来たんじゃ?」
「それはついでね」
「ついで……」
まあでも、ついででも良いかと思うマベルだった。
友達が助けに来てくれるというシチュエーションだけで、既にマベルにとっては物語の中の様な出来事だったから。
「それで? もう終わりですか?」
これ以上の証拠がないのなら、これで裁判は今度こそ終わりだと、ユーグは態度で示していた。言葉に詰まるマベルに代わり、アイリスが悠然と前に進み出てユーグと対峙する。
「ユーグ司教。あなたは大きなミスを二つ犯したわ」
「? 何の話です? 証拠が出せないのなら、貴女の出る幕はありません」
部外者は引っ込んでいろと告げるユーグを意に介した様子もなく、アイリスは一方的に話を続ける。
「一つ。あの場にこの私が居たというのに、偽物の証拠をでっち上げてしまった事。
一つ。あの場に私が居たという意味を理解せず、この裁判を強行した事」
語りながらアイリスは前に歩を進め、遂にはユーグの真向いに立った。
「これがどういう意味か、審問官の資格を持つ貴方ならお分かりになるのではないかしら?」
「さ、さあ? 私には分かりかねますが」
ユーグの態度には明らかな動揺が見られた。
「あくまでシラを切る、と。まあそれも良いでしょう」
アイリスはスッと手を掲げ周囲の視線、注意を自身の一点に集める。
「独立審問官アイリス・プリスカ・ミシェル・ラ・フォンテーヌの名において宣言する! 魔女マベル・グランサージュが作り、プロット王国第二王子アジェール・ルイ・プロットが服した物は、確かに薬であり、毒ではなかった! 私自らがその現場を目にし、毒の痕跡がない事も確認済みである!」
「ぐっ……!」
この時代において、独立審問官の宣言はそれだけで決定的な証言、証拠足りえる。
これまでマベルに疑いの視線を向けていた人たちの意識は、ユーグがこれにどう返すのか、あの偽物の証拠をどう言い訳するのか、に変わっていた。
そう。アイリスの宣言一つで、ユーグが用意した証拠は偽物と断定されてしまったのだ。少なくともこの場にいる全ての人間は、その事に疑いを抱いていなかった。
これを更に覆そうとするならば、誰の目にも明らかな決定的な証拠が必要となる。
裏付けのための証人は準備済みだったが、それは最早用なしとなってしまった。
何も反論できないユーグに、周囲のざわめきは大きくなっていく。
「まあ、そもそも貴方がどんな証拠を用意したところで、こんな裁判に意味はないわ」
アイリスはくるりとユーグに背を向け、マベルの許へ戻っていく。
「何故なら魔女マベルに関して、暫く前から私の調査対象になっているからよ」
「あの時には既に──」
「アジェール殿下と貴方たちが魔女マベルの店を訪れるより前から、ね」
アイリスの言葉に、ユーグはがっくりと
アイリスの最後の一言が決定打になった事は伝わるのだが、アイリスがマベルを調査していたら何故裁判が無効なのか、それが周囲の者たちには理解出来なかった。
マベルもその内の一人であった。
「ど、どういう事ですか?」
アイリスはユーグから目を逸らさずに、マベルと周囲への疑問に答える。
「独立審問官には独自の裁量権があるのは知ってるわね。それは
「という事は……」
「そう。ユーグ司教が開いたこの裁判──いいえ、貴女を連行した時点からの一切合切が全て、私の職務に対する妨害行為。ユーグ司教による違法、越権行為に他ならない。弁解も反論も、一切認める余地はないわ!」
それはアイリスからの最後通牒。
聖職者による独立審問官への妨害行為は死罪相当と決まっていた。
それを聞いたユーグは覚悟を決めた。
「ユーグ司教! 貴方はここで私が裁いてあげる!」
「うあああああああああああああああああああ!」
アイリスの言葉を契機に、追い詰められたユーグは隠し持っていた短剣を、マベルへと投げつける。その短剣は青みがかった液がたっぷりと塗られている、確実に狙った相手を殺すための武器だった。
大の大人であり、審問官としても鍛えられたユーグの投擲は正確で速かった。
狩りや魔法の練習はしていても、実戦はおろか戦闘訓練すらしたことのないマベルは全く反応出来ていなかった。
しかしユーグの突発的な行動を警戒し続けていたアイリスは即座に対応していた。目にも止まらぬ速さで剣を閃かせ、投擲された短剣を弾き飛ばしたのだ。
アイリスに弾かれた短剣はクルクルと回転し、遅れて「わっ」と頭を抱えて屈んだマベルの手を掠めて地面へと突き刺さる。
「「あ」」
アイリスとエミリーの声が重なり、
「は……はははは……はははははは!」
ユーグは高笑う。
「やった。やってやった。あの猛毒を受けては、いかな魔女と言えど生きては居れまい。直ぐにでも藻掻き苦しみ出し、そして、死ね!」
先ほどから浮かべていた悟ったような笑みは消え失せ、ユーグは狂った様な笑みで醜く顔を歪ませていた。
「マベル!」
アイリスが叫ぶと、その悲痛な響きとは裏腹の暢気な返事が帰って来た。
「あ、ありがと~。殺されちゃったかと思ったよー」
「……。マベル、体は平気なの……?」
「……? アイリスさんが守ってくれたんじゃない。掠り傷一つな──」
そこでマベルは手の甲に付いた傷の痛みに気付き、
「こんな掠り傷一つで済んだんですから!」
言い直した。
もしかしたら毒短剣が掠めたのは気のせいだったのかしら? という、アイリスの淡い期待は裏切られた。そこには確かに短剣が掠めた後が、赤い血の筋となって現れている。
「マベル……。ごめんなさい。あの短剣には毒が……」
「そうだ! アレには濃縮したポックリ草の汁をたっぷりと塗ってあったのだぞ! なぜ未だ平気そうな顔をしている……?」
怒りと混乱で頭の中がない交ぜになり、何故マベルが死なないのか、この後自分がどうすべきなのか、何も分からず、何も考えられなくなっていた。
マベルに追い打ちを掛けるでもなく、逃亡を図る訳でもなく、ただマベルを見つめ呆然とその場に立ち尽くしていた。
マベルは二人──実際はユーグの凶行を見ていた全員──が何で悲しんだり怒ったりしているのか、少しの間ピンと来ていなかった。
「ああ! ああ! なるほど! ごめんなさいっ! 私、毒物が効かないんですよ」
「「は?」」
魔女と言えど体は人間。毒を喰らえば苦しみもするし、放置すれば当然死に至る。魔法で簡単に治せるというだけで、全く効かないなんていう化物は、精々『
困惑する二人に、マベルは指と一体化した指輪を見せる。
「姉様たちが下さった物で、どんな毒でも無効化しちゃう魔道具なんです……」
「ふ……ふふ。流石私が見込んだ魔女ね。凄い魔道具を持ってるじゃない」
マベルの心配がなくなったアイリスは、ユーグを振り返り剣を向ける。
「二度はないわ。大人しく裁きを受けなさい」
「ハッ! もう好きに……楽にしてくれ……」
「苦しませる様な事はしないわ」
アイリスが剣を振り上げ、反射した陽光がキラリと光る。
「アイリスさん──っ!」
マベルは咄嗟に叫んでいた。
アイリスを止めたかったのか、ユーグを助けたかったのか。それとも単に目の前で人が殺されるのを見たくなかっただけか。
それは叫んだマベル自身にも分かっていなかった。
振り下ろされた刃は正確にユーグの首を狙っていた。
そのアイリスの剣がユーグの首に振れた瞬間だった。
「あ、ちょっとゴメンね♪」
どこからともなく現れた一人の少女が、無造作にアイリスの渾身の一振りを止めていた。マベルより幾つか下に見える、幼い少女だ。
指で受け止められているのも異常だが、挟まれている訳でもないのに、どれだけ力を篭めても微動だにしない。押す事も引く事も、横にずらす事さえ出来なかった。
「この子は私が貰ってくね♪ どうせ殺しちゃうんだからいいよね?」
「何だお前は……?」
「良い子だから今は静かにしてて、ね」
少女がそう言うと、ユーグは魔法を掛けられたかのように──、いや正しく魔法を掛けられたのだろう。抵抗も出来ずに意識を失っていた。
「あなた……魔女ね! 一体どこの──」
「さあ? ──きゃっ♪」
それまで傍観の構えだった屋根の上の影──ヴィクトルが、少女に向けて矢を放っていた。それを見もせずに避けた少女は明らかに只の少女、いや只の魔女ではなかった。
「こわーいオジサンが睨んで来るから退散するね。じゃーねー♪」
「待ちなさい!」
アイリスが手を伸ばした時には、その魔女は、現れた時と同様に忽然と姿を消していた。
マベルはその謎の魔女が自分を見ていた様な気がしたが、全く見覚えのない魔女だったので気のせいだろうと直ぐに頭から追いやってしまった。
「消えた……?」
「転移の魔法……かなぁ」
「転移?」
「一瞬で遠くに移動できる魔法だよ。師匠や姉様たちがよく使ってたのに似てる……と思う。たぶん……」
マベルも余り自信があっての発言ではなかった。
「つまりはもうこの近くには居ないという事ね?」
「うん。だと思う」
「はあ。じゃあ、まあしょうがないわね」
取逃がした事は悔しいが、相手がそれ程の魔女なら仕方がないと割り切った。
アイリスはユーグが立っていた檀上に立つと、周囲に聞こえる様に宣言する。
「魔女マベル・グランサージュの罪を問うこの裁判、ユーグ司教による越権と捏造、違法な取調べが行われていた! よって、この裁判を無効とする事を、アイリス・プリスカ・ミシェル・ラ・フォンテーヌがここに宣言するものである!」
それは裁判の終わりを告げるものであった。
それを受け、アジェールが率先して立ち上がり、父王を立ち上がらせると護衛の兵士を呼んで先に退出させる。
それを見届けてから、未だ騒がしくざわめいている城の見物人たちに告げる。
「裁判は終わったぞ! さあさあ仕事に戻れ! サボっていた分仕事が押しているぞ! かく言う私も宰相殿にどやされないかとヒヤヒヤしている!」
周囲に明るく笑いかけながら、場を後にしてみせる。
館に入る直前に立ち止まると、一度だけマベルを振り返った。
何事か兵士に伝えると、そのまま中へと姿を消した。
アジェールが仕事に戻ったのを見た見物人たちは、それぞれの感想を友人知人と交わしながら三々五々に仕事に戻って行った。
中庭から人が居なくなるまで、マベルは熱に浮かされた様にぼうっと立ち尽くしていた。
マベルが「そうだ! ヴィクトル様にお礼を言わなきゃ!」と屋根を見上げた時には、もうそこにヴィクトルの影はなかった。
その時のマベルの落ち込みようと言ったら筆舌に尽くしがたい物で、この世の終わりの様に落ち込むマベルをアイリスが宥めていた所に、様子を窺っていた兵士が恐る恐る声を掛けて来た。
「アジェール殿下から言伝です。『魔女殿に迷惑を掛けたお詫びとして、手始めに今夜ささやかではあるが一席設けるつもりだ。折り良い返事を期待する』との事です」
「えっ。──どうしよう?」
チラっとアイリスに視線を投げかけるが、アイリスの返答は素っ気ない。
「貴女へのお詫びなのだから、貴女の好きにしなさい」
「えー……うん、じゃあ……、分かりました。伺いますとお伝えください」
「了解しました」
マベルの返事を聞くと、兵士は館の方へと去って行った。
全くの他人である兵士と話したお陰か、マベルはこれ以上落ち込む気分でもなくなっていた。
「はあ。まあ何か不完全燃焼な感じだけれど、取り敢えずこれで一件落着って所かしら」
「へ? ああ……。ソウデスネー」
マベルの返事はどこか心が篭っていない感じがする。
そんなマベルをジトーっとした目で睨んで見せるが、マベルも素知らぬ顔で対抗する。
「まあいいわ。で、さっきの魔女は貴女の知り合いかしら?」
「ううん。私も初めて見る魔女さん……ううん。あんな転移の魔法を使えるような魔女なら、様の方がいいかな?」
「知らないわよ。どっちでもいいわ。私にとっては魔女は魔女よ。それ以上でもそれ以下でもないわ。それに貴女、マリアやマルガは『さん』付けで呼んでるじゃない。あの二人より上の魔女なんて居ないんだから、皆『さん』でいいんじゃないの?」
どっちでもいいと言いながらも、ちゃんと答えてあげるアイリス。
「あの二人はその……私が『様』って付けると嫌がるんだよ。小さい頃からお世話になってて、『お姉ちゃん』って呼んでたから……」
ある程度歳も大きくなり、二人の偉大さを理解できるようになった頃、一念発起して呼び方を変えた事がある。
すると、二人は顔を青褪めさせて叫んだ。
「やめて!」「やめてくれ!」
それでもマベルが渋っていると、恥も外聞もなく涙ながらに「やめてよぉ」「後生だぜ……」と、みっともなく足に縋りついてくる様を見ては、流石にマベルが折れるしかなかった。
それから、長い話し合いの結果、何とか『さん』付けで着地したのだ。
そんな事をアイリスに説明すると、流石のアイリスも呆れ顔だった。
「私の『千年魔女』のイメージが……」
独立審問官といえど、アイリスも一人の少女。
それなりに『千年魔女』というものに、ぼんやりとした憧憬のようなものを抱いていた。
マベルと知り合ってからというもの、アイリスの魔女に対する幻想は現実に塗りつぶされつつあった。
「よし。さっきの魔女ちゃんの事は挨拶できた時に考えよう!」
マベルは結論を未来の自分へ丸投げして、とりあえず自分より年下ぽかった──魔女の年齢は見た目で判断できない──ので、仮で『ちゃん』付けする事にした。
「アイリスさん。エミリーさん。改めて、来てくれてありがとう! 嬉しかった!」
「別に、どうって事ないわ! 私は私の目的があっただけよ!」
「珍しくお嬢様が照れていらっしゃいます。お可愛い事」
「エミリー!」
「おっと。口が滑りました」
「ふふ。ね、夜まで何してようか」
「どこか出掛ける訳にもいかないでしょう。どこかで休ませてもらいましょう」
「そっか。出掛けて居なくなったら困らせちゃうもんね」
「そういう事よ」
「それではこちらへ」
勝手知ったる王城とばかりに、エミリーが先導して主にマベルを客間へと案内していく。
「ねえ、ところでマベル。一つ聞いてもいいかしら?」
「何? アイリスさん」
「結局、誰が、どうやって毒を盛ったのよ?」
◇
「う……。ここは……? 私は……」
「あ、起きたー♪」
「何だ君は──。ってちょっと待て! 離れなさい!」
「む~~~」
突如少女に唇を奪われそうになったユーグは、事情も分からぬまま懸命に押し止める。
ユーグの意思に反して無理矢理する心算はないようだったが、少女の顔は不満気だ。
「ここは一体どこだ? 私はどうなった?」
ユーグが周りを見回すと、そこはどこかの部屋である事は間違いがなさそうだった。
見た事もない鮮やかな白の壁と天井。どうやって光っているのか分からない天井の灯り。窓には透き通った透明のガラス。窓の外に広がる景色も、まるで見た事のない物ばかりだった。
「ここはあなたの事を知る人が誰も居ない場所。時間。そして
どう見ても十歳前後の少女。
しかし纏う雰囲気は老練な大人のそれをも超越していて、神々しさすら感じる。
ユーグが他人に対してこんな感想を抱くのは、マチルダに逢った時以来だった。
「あなたは……魔女なのか……?」
そう思ってよく少女を見てみると、抑えられてはいるが、薄っすらと魔力の気配を感じる。
「あら? そろそろ気付いてくれても良いんじゃないかしら? 約束したでしょ。遅れちゃったのは謝るけど」
「──っ!? もしかして……、いや、そんな筈は! 余りにも私に都合の良い妄想だ」
「妄想じゃないわよ。ほーら」
チュッ。
唇を軽く触れさせる、優しいキス。
「本当に、マチルダ……なのか……?」
「……そうよ。中々の演技だったでしょ? あの娘や他の魔女達にバレないように色々と準備するのに手間取っちゃ──きゃ♡」
マチルダはユーグに強く、強く抱きしめられていた。
ユーグは泣いていた。
大粒の涙を流しながら、小さくなってしまったマチルダの体をかき抱き、感情の赴くままベッドに押し倒した。
「もう……、もうあなたを放さない……。約束です。ずっと私の傍に、いて下さい」
「そこは『居ろ』って言って欲しいかなあ。でもちゃんと言ってくれて嬉しいわ。これからはずっとあなたの傍に居るわ。そう、ずっと、ずーっとね……。ふふふ……。フフフフフフ……」
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