三章 魔女のマベルは自信が欲しい! ④

 二人の意見を取り入れたアジェールの判断は、嫌疑不十分につき継続審議と相成った。

 マベルの待遇に関しては早急に改善せよとの通達が出された。

 しかしユーグはそんなアジェールの命令を聞くつもりはなかった。

 犯人が目の前に居るというのに、何を悠長な。何が待遇の改善か、と。

 さっさと吐かせてしまえばいいのだ。相手はいかな魔女とはいえ、たかだか十五の小娘だ。拷問の一つにでも掛ければ、直ぐにでも音を上げ涙ながらに許しを請うに決まっている。ユーグには確信があった。

 何故なら、大の男ですら一日ともたない様な数多の手法を、ユーグは修めていたからだ。

 拷問は審問官としての必須技能の一つではあるが、本来はそれ以上に聴取や尋問の技術を重要視している。ユーグもかつてはそうだった。しかし、マチルダの一件以降、腹の底にドロドロと溜まり続ける黒い何かをぶつける手段として古今の拷問を学び直し、それを架空の対象に頭の中で幾通りも試しては気を紛らわせていた。

 そして今、それを実践するべき時が訪れたのだ。

 マベルを連行していた兵士たちを教会の権威を使って脅したユーグは、強引にマベルを王城の一角にある拷問用の小屋へと連れて行った。

 小屋は他の建物から離れた場所にあった。

 更に小屋の中はガランとしていて、土の床に木の板が一枚あるだけだった。

 板は蓋になっており、持ち上げると地下へと続く階段がある。階段を降りた先が囚人や罪人等を拷問するための部屋になっていた。

 音を出来るだけ外に漏らさない為だろう、明り取りの穴などもない拷問部屋は、土壁に幾つかランプが備え付けられているだけ。ユーグがそれらに火を入れると薄っすらと部屋の全体が見渡せるようになった。

 部屋にはマベルも話でしか聞いた事がないような種々の道具や、見た事も使い方も分からない様な物があちこちに置かれている。どの道具も血の痕が残っているのが、薄明りの中でさえ分かってしまう。余り丁寧に手入れはされていない様だった。

「外に出ていたまえ」

 ユーグは兵士たちを外へ追い出す。

 兵士たちもここにはあまり長居したくない様で、マベルに申し訳なさそうにしながらも足早に離れて行った。

 兵士たちは地上へ上がると、階段に蓋をして外から鍵を掛ける。

 次にこの蓋が開けられるのは、夕刻の迎えの来る時間だ。

 蓋に鍵が掛けられ、兵士たちが去って行く気配を感じながら、マベルはゴクリと唾を飲み込む。

 悪しき魔女に課される拷問について、マチルダや姉弟子たちから耳にタコが出来る程聞かされてはいた。頭では理解していたし、覚悟も決めていたはずだが、それでもやはり実物を目の当たりにすると迫力が違った。

(うう……。怖い……。でも……、負けられない……!)

 師匠たちは「痛かったり熱かったり苦しかったりするだけで大した事ない」って笑って話してたけど、とてもじゃないが笑えない。それとは別に、「あんたは魔法が使えないんだから気を付けなさい」とも。

 まあそれも結局、「最悪死んじゃっても何とかするからヘーキヘーキ」と、姉様たちは笑って話してたなあと、場違いな事を思い出していた。

 しかしそんな事を思い出していたら、知らず「フフ」と声が漏れてしまっていた。

「何が可笑しい……っ!」

 マベルのその態度はユーグの癇に障ってしまったようだった。

「──痛……っ!」

 乱暴に髪を掴まれたマベルは、ユーグに強引に引っ張られ、部屋に唯一置かれている椅子に座らされる。

 椅子は革のベルトが付いた特別製で、床に動かないよう固定されている。

 縄で縛られているマベルは逆らう事も出来ない。

 例え縄で拘束されていなかったとしても、どうせ部屋から出る事は出来ない。暴れたところでマベルの腕では大の男には勝てもしない。ましてや相手は対魔女の訓練を積んだ審問官である。不意打ちでもしない限り万に一つも勝ち目などなかった。

 マベルは椅子に付けられたベルトで両手両足と胴を複数個所で固定され、身動きできなくされると、最後に目隠しを付けられた。

 真っ暗になった視界の外で、ユーグが動く衣擦れの音と何か道具を弄っていると思われる、ガチャガチャとした金属音だけが聞こえて来る。

 何をされるのか、何時されるのか、何も分からない事への恐怖に、マベルは只耐えるしかなかった。

 暫く道具の準備をしていたと思われるユーグの気配が近付いて来るのを感じる。

 あえてユーグは音を立てて動いていた。

 警戒するように身をすくませるマベルを見て、自らが今圧倒的優位な立場にいる事を確信し、愉悦が滲み出た邪悪な笑みを浮かべていた。

 しかし好きに拷問出来る状況を作れたとはいえ、本当にどんな拷問をしても良いわけではない。まだこれからアジェールたちの前で取り調べや裁判がある。それが済み、アジェール毒殺未遂の犯人と確定させ、悪しき魔女と認定されるまではあまり目立つような拷問は避けるべきだろう。

 こと西方世界において、魔女への畏怖、崇敬は根深いものがある。

 正しき魔女を不当に傷付けたと知れれば、正道派の魔女はおろか教会までもが敵に回る。市民たちからも、今度こそ罵倒や嫌がらせなどではなく、命を狙われてもおかしくはない。そして最もユーグにとって都合が悪い事は、城の兵士たちによってマベルへの拷問が邪魔されてしまう事だった。

 だからこれから行われる事は、拷問ではない。通常よりも“少し”厳しい尋問である。

 ユーグの手がマベルの肩に触れる。

 ビクリと反応するマベルに金属の固く冷たい感触が伝わる。

「あああああああああああああああああああああああああああ!」

 ユーグは体を大きく傷付けずに相手を苦しめる方法も熟知していた。

 マベルの絶叫は、夕刻の迎えが来るまで途絶える事はなかった。


 アジェールの通達を気を少し晴らしたユーグが許可した事で、マベルが連れて行かれた先は今朝までいた地下牢ではなく、城内にある小屋の一つだった。

 窓はなく、出入口は小屋の正面に付けられた戸のみ。戸には鍵が掛けられ、見張りが立っている。小屋の中には小さなランプが一つと、ベッドが一つ。これだけでも劇的な改善だったが、何と、見張りに声を掛ければ食事を用意してくれ、その上トイレまで連れて行ってくれた。

 マベルは疲れ切った心と体を癒す様にベッドへ倒れ込んだ。

 暫くはアジェールの調査結果待ちとなる。

 その間は、ユーグによる取り調べという名の拷問が繰り返されるだろう。

 翌日の事を考えると気が重くなるが、しっかりと寝なければ体以上に心がもたない。

 ちゃんと眠れるか心配していたマベルの心とは裏腹に、疲れ切っていたマベルはさして時を置かず深い眠りに就いた。

「……ぉぃ。……おきろ……」

 何か声がする。

「……のわーる……?」

 もう朝だろうか。

 寝ぼけた様子のマベルがむくりと起き出し周囲を見回すと、そこは星明り一つない真っ暗闇。

 そうだった。ここは王城の牢。ノワールが居る筈がない。

 ではさっきの声は?

 気のせいかと寝直そうとするマベルを、何者かが引き留める。

「寝るな寝るな」

「その声は……っ!」

「そうだ。俺だよ」

「……誰でしょう?」

「分かんねぇのかよっ!」

「真っ暗ですもん。分かる訳ないじゃないですかリオネルさん。常識で考えて下さい」

「確かにこう暗くちゃ誰だか……分かってんじゃねぇかっ!」

 お互いに囁き声でボケとノリツッコミをしている二人。

「どうやってここに?」

 マベルの一言には複数の意味が篭められていた。

 どうして此処が分かったのかとか、どうやって中に入って来たのかとか、色々だ。

 それにリオネルは一言で返す。

「昔取った杵柄って奴だ。そんな事はどうでもいいだろ。それよりほれ」

「あ、私まだやる事があるので──」

「あ? ちげぇよ。お遣いで来ただけだ。あの黒毛玉の悪魔に頼まれたんだ」

 黒毛玉の悪魔とはノワールの事だろう。

 ゴトっとそれなりに重量のある物を置く音がする。

「確かに渡したぜ。バレないようにちゃんと隠しとけよ」

 そう言うと、リオネルは普通に戸を開けて出て行こうとする。

「あ、リオネルさん……」

 マベルはその背中に、何か言いかけたが……止めた。

 リオネルが振り返った気配がした。

「あー……村の連中が心配し過ぎて戦争でも起こしそうだったから、早めに帰って来いよ。あとな、あのフォンテーヌの嬢ちゃんたち──」

「あ──」

「独自に色々調べて回ってる。用は早めに済ませとくのをお奨めするぞ」

「ありがとうございます」

 戸を開けた事で出来たリオネルの影は、気にするなと言うかの様に、ヒラヒラと手を振っていた。

 戸に再び鍵が掛けられる音を聞き、はてそういえば見張りの兵士さんたちはどうしたのだろうかと少し気になった。

 中から戸を叩き、声を掛けてみる。

「あの……おトイレ、良いですか?」

 少し間が空き、何か慌てる様な音がしたかと思うと返事があった。

「す、直ぐ準備する。少し待ってくれ……!」

 どうやら眠らせれるか何かされていただけの様だ。

 職務に忠実ながら、私に気を使ってもくれる良い人たちなので無事で良かったと、マベルはホッと胸を撫で下ろしていた。


 突如現れたリオネルが去ったあと、ノワールに頼まれて持って来たと言っていた箱をそっと開けてみる。ランプの灯りが出来るだけ漏れない様にベッドに潜ってだ。

 箱の中にはマベルが魔法に使う道具が色々と詰め込まれていた。

 それと、綺麗に折り畳まれたマベルの魔女服が一式。師匠の帽子も一緒に入っていた。

「流石ノワール。気が利くね」

 箱の中を一通りあらためると、マベルは収納の魔法を使って箱を隠しておいた。

 具体的には、ベッドの下に穴を掘って埋めた。

 床は地面が剥き出しなので、道具されあれば穴を掘るのは簡単だった。

 ただ箱がそこそこ大きかったので、入るサイズまで掘るのは少々手間だったが。

 そんな事をしていて見張りはどうしていたのか?

 眠りの魔法──眠りの薬草を焚いた煙を戸の隙間から送り込んだ──で朝までぐっすりでした。

 一仕事を終えたマベルは気持ち良く次の朝を迎えた。

 見張りの兵士が運んで来てくれた朝食をありがたく頂き、特にする事もなくベッドに腰掛けていたマベルを迎えに来たのは、ユーグだった。

 昨日の尋問という名の拷問がフラッシュバックし、つい反射的に身構えてしまったマベル。それを気にした様子もなく、ユーグはマベルの腕を掴み強引に連行しようとした。しかし、それを止める者が居た。

 見張りを務めている二人の兵士達である。

 彼らは昨日からずっとマベルの見張りを続けていた。他の者には交代せず、二人で交互に休憩を挟んでいた。

 夕刻の迎えの時には、憔悴し切った様子のマベルを見た。

 そして今、怯えた様子のマベルをその目にしていた。

 兵士たちは王城に勤めて長い、アジェールの信の篤い者たちであり、それなりに歳を重ねても居た。

 マベルの年の頃は、丁度自分たちの娘と同じくらいであった。

 どうしても重ねて見てしまう所があった事は否定できない。

 それを抜きにしても、こんな可憐で幼気な魔女様を拷問に掛けるなどという行為を、いつまでも黙って見過ごせるものか、と。

 昨日は司教の位を持つユーグの脅しに屈したが、怯え震えるマベルを見て兵士たちは自分たちの過ちを悟った。そして奮い立ち、開き直っていた。

「司教様の手を煩わせるような事ではないでしょう。魔女様は我々がお連れ致します」

「魔女様。こちらへ」

 兵士の一人が壁になる様にしてマベルとユーグの間に割って入り、その間にもう一人がマベルの手を取って外へと連れ出す。

「自分たちが何をしているのか分かっているのですか?」

 怒りに震えそうになる声を必死に抑え、ユーグは努めて冷静に告げた心算で居たが、兵士たちの行動が逆鱗に触れた事は一目瞭然であった。

「我々の職務を遂行しているだけですが? 何か問題が?」

「……っ! ふん。好きにしろ」

 堂々と言い返され反論の言葉を失ったユーグは、肩を怒らせズンズンと一人で行ってしまう。かと思われたが、途中で振り返り、

「さっさとその魔女を連れて来ないか!」

 兵士たちを怒鳴りつける。

「はは。怒ってるぞ」

「最初からこうしてれば良かったですね。さ、魔女様、行きましょうか」

「安心して下さい。今日からは私たちも立ち会います」

 兵士たちの言葉にマベルは驚いた。

 ユーグに逆らった事ですら異例だというのに、ここまでマベルに気を遣う。

 司教ともなると王族ですらそうそう強くは出られない位だ。それを一兵士が面と向かって反抗するなど異例中の異例。それはユーグに対する個人の好悪だけでは越えられない、権威という名の壁を打ち壊したことに他ならない。

 二人が示した勇気に、マベルは思わず破願した。

「「──!!」」

 二人の兵士が、完全にマベルの味方に変わった瞬間だった。


 二人の兵士が中まで付き添い立ち会う事で、ユーグの苛烈な尋問は通常のそれへと変わらざるを得ず、ユーグの望む結果は一向に得られなかった。

 ユーグがマベルへの尋問を早々に切り上げてしまった事で出来た時間を、マベルは有効活用する事にした。

 証拠品として押収された物品を見せてもらおうとしたのだ。

 これには兵士たちも流石に難色を示したが、アジェールに尋ねに行ったところすんなりと許可が下りた。

 アジェール曰く、

「丁度良い。東方の薬に詳しい者が見つからなくて困っていた所だ。魔女殿に調べてもらうしかないだろうと話していた」

 という事だった。

「良いのですか?」

 少なくない驚きと共に兵士は聞き返した。一応は容疑者であるマベルを証拠品に近づけて、隠蔽などの心配はしていないのかと。

 アジェールは笑ってそれに答えた。

「そもそも私は魔女殿が犯人などとは微塵も思っていない。司教殿とは前提が違うのだ。だから魔女殿が調べてくれるのは有難いばかりで、何も心配などしていない」

 周りの目もあるから、一応監視をしているという名目の為にお前たちを付けているのだと。

 アジェールから快く許可を得られたので、早速マベルたちは証拠品が収められている倉庫へと向かった。

 道すがらすれ違った城勤めの下女の頭に簪が刺さっているのに気付いたマベルは、その事を兵士に尋ねた。

「先ほどの女性は東方ご出身ですか? 珍しいですね」

「いえ、この城に東方の者は……ああ!」

 マベルの質問に怪訝な表情を浮かべた兵士だったが、その意図に気付くと笑顔を覗かせた。

「殿下が初めて魔女様の所へ伺った帰りに、東方からの行商人と出会われたそうで。これは珍しい事もあるものだと、城の者に色々と土産として下賜してくださったのです。あれもその一つでしょう」

 そう言って、兵士たちは自分たちが戴いた物を見せてくれた。

 マベルも実物は初めて見るが、東方の呪具で『御守り』と呼ばれる物だった。質の良い織布が小さく袋状にしてあり、正面に東方の文字が刺繍されていた。文字を読んでみると、一つは家内安全、もう一つは安産祈願だった。

「何でも身に着けてると『ゴリヤク?』とかいうのがあるそうなんで、いつも持ち歩くようにしてるんです。神様に見放されたら、私たちみたいな下っ端の兵士なんて直ぐにあの世行きですから。それに殿下から戴いた物で、貴重な物でもありますしね」

「失くしたりしたら大変ですからね」

 大切そうに御守りを仕舞う二人。

 マベルはそれに何の御利益があるのかは黙っている事にした。

 持っていて害がある訳でなし、本人たちの気休めにでもなるならそれで十分に役に立っているとも言える。どうせ西方世界こっちで東方の文字を読める人など、魔女や貴族にも極僅か。平民となればほぼ皆無である。何が書かれているかなど些細な事だった。

 アジェールの土産物話に華を咲かせていると、目的の倉庫には直ぐに着いた。倉庫と言ってもマベルの家にある屋根と壁があるだけの物置とは全く別物で、マベルの家より大きく、地面からの湿気を防ぐためだろう、床は混凝土コンクリートで固められていた。

 倉庫の番をしていた兵士にアジェールからの書状を見せ、中に入る。

 倉庫の中はキッチリと整理されていて、管理が行き届いている様子が伺える。置かれている物は城の整備や管理に使われる道具類や、野外での何かの催事に用いられると思われる良く分からない品々、等々。貴重品などは余りないようで、良く使うものは手前に、滅多に使わない物ほど奥に仕舞われている様だった。

 倉庫番の兵士の案内で倉庫の中を進む。

「えーっと……、ああ、これだこれだ」

 押収された証拠品が収められた箱を、倉庫番が棚から引っ張り出し監視役の兵士に手渡す。

 流石に持ち出しは出来ないので、その場で箱を開けてもらい中身を確認する。

 監視役の兵士たちは興味深そうに、倉庫番の兵士は初めはマベルが何かしないかと監視していたが、真剣な眼差しで証拠品を一つ一つ丁寧に検めている姿を見て、気付けば感心した様子で繁々とマベルのする事を観察していた。

 目視による色の変化。異常なし。

 鼻を近づけ臭いを嗅ぐ。異常なし。

 時間経過による劣化や変質も考慮に入れて何度か確認する。

 兵士たちにも説明し、気付く事がないか確認させたが、結果はマベルと同じ。

 最後にアジェールが口を付けた箇所と薬を入れた器の底──乾燥した液剤を指で少しこそぎ、口へ運ぶ。

「「「あ!」」」

 兵士たちが止める間もなく、マベルは嚥下してしまう。

 兵士たちにはマベルが自死を図った様に見えたのかもしれない。

「うっ……」

 途端、口を片手で押えるマベル。

 直ぐに駆け寄った監視の兵が相方に指示を飛ばす。

「直ぐに医者だ!」「ハッ!」

 駆け出そうとする兵士の裾を、マベルはもう片方の手で掴んでいた。

「だ……だいじょう……ぶ……。おぇ……。不味い……」

 余りに酷い味に吐きそうになっていただけだった。元から味は良くなかった液剤だが、酸化乾燥する事によってよりえげつない味へと進化していたのだ。

 兵士から手渡された水を飲んで口の中を洗い流すと、やっと人心地ついた。

「それで……、どうでしたか?」

「はい。これに毒はありません」

 ないのは予想通り。ない事を確認出来たのが大事だった。

 アジェールに毒を盛った人物に、マベルは確信を持てたのだから。


 その日の夜。

 牢からコッソリ抜け出すマベルの姿があった。

 眠りの魔法で今日も兵士を眠らせ、鍵開けの魔法──昨夜リオネルが来た時にすり替えておいた──で開錠。大きな箱を抱えて王城の敷地をウロウロしていたのだが、それを見咎める者は居なかった。


 マベルが王城に連行されてから一週間が経ち、遂にその日が来た。

「魔女殿の裁判を、明日行う事に決まった」

 アジェールに呼ばれて赴いた執務室で、そう告げられた。

「随分と急ですね」

「ユーグ司教の要請でな。何故か急に早く裁判を開くようせっつかれたのだ。まあ、あまり大っぴらに出来る裁判でもない分、告知や準備の手間と時間を省けた結果でもあるが」

 裁判の名目としては、魔女による王子の暗殺未遂事件だ。あらゆる方面に波紋を広げかねない事件だけに、内々に処理したい思惑も透けて見える。

 用はそれだけだった様で、直ぐに牢へと逆戻りだ。

 特にもうする事もないマベルは、明日の裁判とその後について頭の中でシミュレーションを繰り返していた。

 不意に戸が開いたのを察し、意識を戻して視線を向けると、ユーグが立っていた。

「そうしていられるのも今の内だ。明日の裁判で必ず『悪しき魔女』の烙印を押してやる」

 それだけ言い放ち、さっさとこの場から去って行った。

 その背中を見送り、マベルは一つ、溜息を零した。


 翌朝、マベルを迎えに来た神官たちが牢の戸を開けるとそこには──

 とんがり帽子を被り、漆黒の魔女服に身を包んだ完全武装の魔女、マベルが不敵な笑みを湛えて神官たちを待ち構えていた。

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