三章 魔女のマベルは自信が欲しい! ③
王城まで連行されたマベルは、そのまま地下にある牢へと入れられた。
牢に入れられる際に縄は解かれたが、兵士たちの前で所持品の一切──服も含めて全てだ──を没収され、粗末な貫頭衣と腰紐、そして魔女の魔法を封じるとされる首輪だけが与えられた。如何なる理由があろうと、この首輪を外せば即処刑してよいという代物だ。鍵は掛けられているので外したくても外せるよう物ではなかったが。
あまりの羞恥に兵士たちが居なくなってからも、マベルは小一時間程悶えていた。
不幸中の幸いだったのは、マベルのお子様体型に興味を示すような変態嗜好な兵士は居なかったようで、全く好色な目で見られなかった事だろう。それはそれで、マベルの心を深く気付付けたのだが。
牢は地下を活かした分厚い土壁で三方を囲み、廊下に面している所には木製の丈夫な格子が設けられている。マベルの身長の三倍程はある天井付近には、明り取りの小さな穴が幾つか空けてあった。完全な地下という訳ではなく、半地下──九割地下といったところか。
(流石にあの穴からは出られそうにないなあ。まあ、手も届かないけどね)
いつまでも羞恥に悶えていてもしょうがないと、牢の中を見回す。
広さは四畳程度。
格子にも触れてみるが、とても素手でどうにかなるような作りではない。
寝床は土に藁が置いてあるだけ。それもたっぷりの干し藁ならいいが、何時から置かれているか分からないような
不浄は木の桶が一つ。仕切りなどの隠せるような物はない。外から丸見えだ。これもまあ、床に穴を掘ってしろと言われるよりはマシだと言い聞かせた。
(大層な歓迎ぶりだなあ。うーん……、まさか処刑の日までずっとこのままって事はないよね……?)
そうだと困るなあと、マベルは自分の甘い想定に少し後悔し始めていた。
マベルの想定では、良くて王城の一室に軟禁。悪くて牢に監禁だろうと思っていた。
牢に監禁は想定の範囲内だったが、マベルの想像していた牢は地上の座敷牢の様な、ちゃんとした建物としての牢だ。こんな素材丸出しの地下の独居房ではない。
確かに状況としてはマベルが王子毒殺未遂の第一容疑者である。むしろ現行犯だ。自分が当事者でなければ、マベルだってそう思う。ただ、その後の救命活動等を考慮して、更に王子の口添えなんかがあればもうちょっと扱いを良くしてくれても良いのでは! という思いがついつい出てしまっても仕方がない事だろう。
「とりあえずこうしてても仕方がない」
余り身動きできない状態で王都まで運ばれ疲れ切った体を休めるため、マベルはさっさと寝る事にした。
「おい! 起きろ!」
牢番から声を掛けられたマベルは、もぞもぞと藁の寝床から起き出す。
明り取りの穴から射し込む光は明るく、マベルにしては遅い寝起きだ。余程疲れていたのだろう。
「ご飯ですか?」
「黙って付いて来い」
首輪があるからだろう。現れた牢番は二人。一人が逃亡や反抗を警戒、もう一人が慎重に牢に入って来る。マベルは大人しく牢番に従うだけだ。
連れて来られた時と同様、特に目隠しなどされる事もなく王城内を連行され、向かった先はアジェールの執務室。中にはアジェールとユーグ、そして見知らぬお爺さん──老宰相が居た。
三人にマベルを引き渡すと、牢番たちは何処かへ行ってしまった。
アジェールは書類にサインをしていた手を止め、顔を上げる。
「おお。魔女殿か。椅子を」
宰相のおじいさんがサッと椅子を用意し、マベルを座らせる。それをユーグがずっと睨みつけるようにして見つめている。とても不満気だ。
「はあ。どうにも扱いが悪くて済まない。少しの間辛抱して欲しい。待遇の改善について話はしているのだが、中々首を縦に振ってくれなくてな」
そう言ってアジェールはユーグの方を見る。
「当然です。あの魔女は殿下を毒殺しようとしたのです。本来ならその場で処刑されていてもおかしくないのですよ!」
「ほう。では何故そうしなかった? 勿論そんな事は私が許さなかったが、そうしようという素振りもなかったな」
「それは……彼女が魔女だからです」
マベルが魔女である故にその場でバッサリ、とはいかない。そんな事をすれば他の魔女たちによる報復は必至だ。
よって魔女を裁くには、まずその者が魔女である事を証明する必要がある。
その上で魔女として行った罪を詳らかにし、刑を科す。
というのが建前であり、魔女を罰するための流れだ。
ユーグの目的は当然、そんな所にはなかった。
公衆の面前でマベルを嬲り、辱め、世間や周囲の人間からの扱いに対する負の感情を好き放題にぶつける。その捌け口としてマベルを求めていた。
「それで、私が呼ばれた理由は何でしょうか」
二人の会話を遮る様に、マベルはこの部屋に連れて来られた理由を尋ねた。
マベルは自分でも驚くほど落ち着いていた。
マベルの周囲に居たのは大人ばかり。子供も居るには居たが、それは歳が十ほども離れたような幼子ばかり。とても対等に遊べる相手ではなかった。
自然、大人たちと触れ合う機会が多くなり、独立してからは魔女として、一経営者として、一村民として大人の仲間入りを果たして来た。村の会合なんかにだって顔を出していた。
そう。マベルにとってこの大人の男たちに囲まれている状況というのは、とても馴染みのある空間なのだった。
「あの日の事を魔女殿からも聞くのに、牢では落ち着かないだろうと思ってな」
「何を聞く事があると言うのです。あの魔女以外に誰が毒を盛れたと?」
「だからそれを聞こうと言うのだ」
「聞くなどと生温い。拷問して吐かせれば良いのです」
「それで万が一冤罪だったらどうする? 快楽派の魔女を敵に回す気か? そんな事になればこの国など、翌日には
「快楽派の魔女たちなど、たったの九人。幾ら手練れだとはいえ、教会が本気になれば勝てぬ相手ではありません」
この王都に居る審問官は全部で
しかしその力はあらゆる魔女のあらゆる魔法を打ち消せる訳ではない。反魔力とでも呼ぶべきその力との打ち消しあいになるからだ。従って、力量に差があれば魔法を打ち消す事は出来ない。つまるところ、彼らが相手にできる様な魔女というのは、そこらの木っ端魔女程度である。とても九尾に対抗できよう筈がない。アジェールは決して魔女を侮ってはいなかった。
「一つ、宜しいでしょうか?」
マベルの澄んだ声が二人の間に割って入る。
「構わない」
少々熱くなっていた事を自覚したアジェールが、マベルに発言を促す。
「先生──」
「貴様に先生などと呼ばれたくはない!」
いつのも調子で先生と呼んだマベルに、反射的にユーグは怒鳴り散らした。
それにマベルは一瞬悲しげな表情を浮かべたが、直ぐに気持ちを切り替える。
「ではユーグさん」
「ふん。名前を呼ばれるのすら
「はい。では、ユーグさんとアジェールさんにまず一つ訂正があります」
「何だ?」
「仮に私が冤罪で処刑された場合、恐らくですが、正道派と邪行派も敵に回す可能性があります」
「「は?」」
マベルの言葉に流石のアジェールも驚きを隠せない。
ユーグに至っては腰を抜かしかけていた。
「そして更に一つ訂正させていただければ、冤罪かどうかに係わらず私が処刑されたとなったら……」
「「なったら?」」
「姉様たちに加えて、四聖と大罪の方々、そして何よりマリア様とマルガ様が黙っては
それはもう、魔女戦力の九割九分九厘。全ての魔女を敵に回すのと同義である。
「あっはっはっはっは! という事らしいがどうする?」
驚きを通り越して、もう笑うしかないアジェールはユーグに、それでも処刑するのかと投げかける。
「ふ……ふん。口から出まかせに決まっている。事実こうして捕まっても、誰も助けに来ていない! そんなコケ脅しが通用すると思わない事だ!」
そう言い放ったユーグだが、マベルの言に思い当たる節は幾つもあった。
マチルダが存命の頃から、マベルの家には多くの魔女が出入りしていた。余りに頻繁に訪れるものだから、一度尋ねてみた事があった。何をしに来ているのかと。
返答は皆同じだった。
「マベルちゃんの顔を見に来てるに決まってるじゃない」
その中に、マベルの言う様に他派閥の幹部たちが居たかどうかはユーグには分からないが、派閥を超えて魔女たちに愛されているのは間違いがない。
(奴らが嗅ぎ付けて来る前に済ませてしまわなければ……)
ユーグは強行するつもりだった。
マベルの言葉に嘘はない。村で長年見て来たユーグは理解していた。
予想外の大物の名前に驚愕はしたが、復讐さえ出来れば後がどうなろうと知った事ではない。例えどれだけ自分が無惨に殺され、国が、大陸が、滅びる事になろうとも。
しかしそんなユーグの悲壮な決意は杞憂でしかなかった。
マベルは彼女たちの事を誰よりもよく知っている……つもりだ。
マベルはマベルの目的があって付いて来たのだ。こんな所で処刑されてあげる心算はないので、いざいざとなればどうとでもして逃げる算段である。
なのでノワールには邪魔が入らない様に根回しをお願いしてある。
ただそうなると今度は面白がって、助けに来てくれなくなるのが困った所だ。
(自分からノコノコ付いて行って処刑までされちゃったら、またお姉さまたちに笑われちゃうよ……)
マベルの心配はどこか普通の人間とはピントがズレていた。
「そう思われるのならそれで構いません。それで、あの日私が気付いた事をお話すれば良いのですね?」
「聞かせてくれ」
「では、殿下が飲まれた毒はポックリ草由来の物です。恐らく、花の蜜と東方固有種である雪隠れという植物の根を混ぜた物でしょう」
「やけに具体的だな」
「殿下の呼気から特有の匂いと、症状が見られました。症状は似た毒は幾つもあります。匂いもそうですが、両方となると数は少なくなります。そして殿下は私の作った液剤を飲まれて倒れられました。液剤の原料で該当する物は、ポックリ草の花の蜜だけです」
「やはり毒ではないかっ!」
ポックリ草という言葉だけに反応したユーグが、鬼の首を獲った様に叫ぶ。
しかしマベルもアジェールもそれに殊更強く反応しない。
「そうですね。ポックリ草は根、葉、茎、花、全て人間にとっては毒です。花の蜜もしかり。しかし、そもそも薬と毒とは紙一重です。薬であるという事は即ち毒に出来るという事で、毒であるという事は即ち──」
「薬に出来るという事だな」
「その通りです。使う量が大事なのです。勿論、あらゆる毒が薬に出来る訳では、今の所ないですけど。中でも、ポックリ草は群落を作るので材料として見ると量を集めやすく、毒性も強い。薬としても毒としても長年研究されてきた歴史がある植物です」
ですので、とマベルは続ける。
「どの位の体格の人にどれだけの量を与えれば死に至るか、ハッキリと分かっています。私が作った液剤一つに入っている量は、致死量の千分の一程です。相当頑張って飲んでも体調を崩す事さえありません。ですが、先ほど申し上げた雪隠れという植物の根から採れる成分と合わせると、途端致死の毒へと変化します」
「その毒を、あの時裏に薬を取りに行く振りをして用意してきたのだろう!」
ユーグの言う通り、状況的に一番怪しいのはマベルが裏に取りに行った時だ。
薬にも毒にも精通したマベルなら、この程度の調合は容易である。
他にも、アジェールが口を付けた木のカップに、その毒を塗っておいてもいいだろう。
毒を盛るだけなら確かに、マベルでも幾通りも方法が思い浮かぶ。
しかしこんな
勿論、後先考えずにアジェールを殺しさえすれば良いのであれば、こういった方法でもいいだろうが、生憎とマベルにアジェールに対してそんな義理も怨恨も利害もない。むしろアジェールはマベルにとって非常に大切な客であり、夢への足掛かりでもある。
アジェールを救命したのはそういった思惑があって……という訳でもなく、マベルの「沢山の人を助けたい」という初心から来る行動に過ぎない。苦しんでいる人が居れば助ける。相手が誰でどんな関係かなど、その前には些細な事でしかない。
ただ、そんな事を説明したところでユーグが納得しないだろうことは、流石のマベルも察していた。すっかり変わってしまった先生に一抹の寂しさを覚えながら、しかしマベルの頭は冷静に切り口を変えた。
「仮に私が殿下を毒殺しようとするなら、こんな毒は使いません。何故ならその毒は“臭う”からです。加えて速効性。これでは私が犯人だと言っている様なものじゃないですか。ですので、私が毒を盛るとすれば無味無臭で、摂取してから最低一日は経ってから効いてくる様な物を使います。それに殿下は以前に一度私の液剤を飲まれています。次同じ物を出されて、以前しなかった臭いを発していたらどうします? 何の疑問も抱かずに飲み干しますか?」
「口すら付けないだろうな」
王族として毒に対する警戒は当然の事である。
一度目は魔女の信を得るために呷って見せたが、それも確信あっての事だ。
「あくまでも毒を盛ったのは自分ではないと言い張る心算か!」
「事実です。私に非があるとすればそれは、私の薬を毒に利用されたこと、そしてそれを見抜けなかったことでしょう」
「仮にそれが魔女殿の非だとしても、私の命を救ってくれた事を
「なりません! 解放するなどとんでもない!」
元々マベル寄りだったアジェールの決定を、ユーグは断固拒否する。
不敬にも問われそうな行動だが、司教という立場がそれを許している。
「そうです! もう解放するなんてありえません!」
何故かマベルもユーグに追従する始末。
これにはアジェールはおろか、ユーグまでも「何を言ってるんだコイツは?」という怪訝や呆れを通り越し、不気味な生き物を見るような目でマベルを見ていた。
(今の状況で解放されたんじゃ、
というのがマベルの心の中の主張である。
「私を利用したまま事件を曖昧にされては、魔女としての沽券に係わります」
表立っては建前を主張しておくが。
姉弟子たちならいざ知らず、独立して未だ一年程度のマベルに、係わるような沽券などない。
アジェールに盛られた毒に関しての推察には自信がある。盛った方法もおおよそマベルには見当が付いていた。これもほぼ間違いないだろう。しかし、誰が、何の意図で盛ったのかが分からなかった。
雪隠れの根自体には特筆すべき臭いはない。煮汁は多少根っこに共通の土臭さがあるが、持ち運びのしやすい粉末であればそれもない。
雪隠れの根はポックリ草の蜜と違い、それ単体では毒ではない。勿論大量に摂取し続ければ何だって毒だが、一度の大量摂取程度であれば命に係わる様な事はない。
そんな雪隠れの根も、ポックリ草の蜜と混ぜるとポックリ草を超える毒性と、強い臭いを放つ。とてもではないが、暗殺に使えるような代物ではない。
(絶対に突き止めて、私の目の届く所で二度と同じ事はさせない……!)
マベルは怒っていた。
そう、マベルは怒っていたのだ。
アジェールとの取引は、沢山の人を救うというマベルの夢への大きな一歩。
その上、初めて出来た年の近い女の子のお友達──だとマベルは思っている──と一緒に作った記念の薬たちだ。
連行される最中に聞いた話だが、アジェールが強く主張したため、薬はちゃんと使ってもらえる様だが、あわや全て廃棄される所だったらしい。
千人分と一口に言っても、千人が一回使う分ではない。
千人が一年程は使えるだけの量だ。
液剤は流石にそうは行かなかったが、塗り薬の二つはアイリスとエミリーの二人と相談した上でそれだけの量を用意した。上手く使えば千人どころか万を超える人を助ける事も出来るだろう。
それだけの物を台無しにされかけて、どうして何もせずにおめおめと引き下がる事などが出来ようか!
マベルの瞳には、決意の火が灯っていた。
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