三章 魔女のマベルは自信が欲しい! ②
「戻って来たわね」
荷の積み渡しを終え店に戻ると、何故か満面の笑みを浮かべているアイリスと、顔を
このさして長くもなかった間に、二人に一体何があったのか知る由もないマベルは、二人の態度に違和感を覚えはしたが、今はそれどころじゃないとそれを無視した。
マベルとアジェールが向かい合ってテーブルに付く。マベルは薬の授受の証書を、アジェールは
「良い取引だった。またそう遠くない内に仕事を依頼する事になるだろう。その時も是非お願いしたいと考えているが、如何か?」
「ええ。是非御贔屓に。ただ、次からはもう少し期間を戴くかもしれませんが」
「ああ。それは構わない。その分早めに依頼させてもらえば済む事だからな」
「ご理解いただきありがとうございます」
「魔女殿に薬を作っていただくためなら、幾らでも便宜を図りますよ。それだけの価値が貴女と、貴女が生み出す薬にはある」
それは嘘偽りのない、アジェールの心からの言葉だった。
「証文の換金は直ぐにでも出来るように、帰りがけに近くの教会には私の方から連絡を入れておきます」
通常の流れとは違ったが、順序が少々入替る事など然程珍しい事でもない。教会はあくまで仲介役のため、両者が合意しそれを証明出来る物があるのであれば、特にそういった順序に拘りはしなかった。
とはいえ、千人分の薬の代金は結構な額。村の教会にそんな大金が在る訳もないので、直ぐに全額欲しければ王都の教会まで出向かなければならないだろう。
「では、私はこれで失礼すると致しましょう。あまり城を空けていると、宰相殿に怒られてしまうのでね」
少し悪い笑みを浮かべて自虐するアジェールに、マベルは釣られて笑みを零す。
「あ、そうだ。折角なので、一つ疲れ取りの液剤をいただけますか? あちらの分に手を付けるのはアレなので」
「申し訳ありません。依頼の分を用意するので手一杯で、余分な在庫……あっ」
あるにはあるのを思い出したマベルは、おずおずと尋ねる。
「余りの分で良ければ……」
「ああ! 全然構いません。こちらこそ無理を言って申し訳ない」
「いえ! では直ぐに御用意しますね」
マベルは工房で保管していた余った原料から、手早く一回分のドリンクを作成する。
「お待たせしました」
出来上がったドリンクを木のカップに移してアジェールへ。
受け取ったアジェールはぐいっと、一息に呷る。
「ふう。ありがとう。お代は──」
幾らか? と尋ねようとしたアジェールが、突然バタリと倒れた。
「殿下っ!?」
顔を青褪めさせ苦悶の表情を浮かべながら、息苦しそうに喉を抑えている。
立ちどころに表情を一変させたマベルが、鬼気迫る様子でアジェールの傍に屈んで素早く様子を確認する。
(痙攣と呼吸の乱れ、呼気から独特の臭い……。速効性もあるこの毒を誰が何時どこで……? ううん。考えるのは後にしよ。今は──)
事件の究明よりも、殿下の救命が先だとマベルは頭を切り替える。
しかしそうは思わない者たちも居た。
「ど、毒だ! 殿下が魔女に毒殺された!」
叫ぶユーグの声に、兵士たちが騒然となる。
周囲の騒ぎなど完全に無視しているマベルは、勝手知ったるアイリスとエミリーに指示を出す。
「アイリスさん! ミルクをありったけ持って来て下さい!」
「分かったわ!」
何時にない真剣な声に、アイリスは一切の疑問を挟むことなく、素早く動き出す。
「エミリーさんは
「承知致しました」
エミリーもマベルの指示に従い直ぐに行動を開始する。
マベルはアジェールから片時も目を離さず、容態の変化をつぶさに観察していた。
(まだ顔に血の気がある。呼吸も浅くなってきているけど、まだ自力で出来てる。大丈夫。まだ間に合う。大丈夫。大丈夫……)
そう言い聞かせ自分を落ち着かせる。
僅かな時間のロスと、僅かな治療のミスが死に直結しかねない。
だというのに──。
「マベル! 何をしているっ! 殿下から離れないか! まさか殿下を毒殺するとは、貴女も師と同じく悪しき魔女だったという事かっ!」
ユーグは力づくでマベルをアジェールから引き剝がそうとする。
その手を、意外な程に力強いマベルの腕が振り払う。
「邪魔っ!」
ユーグはよろめき、尻もちを付いた。
それはあっけなく少女に振り払われたショックか、村付きの間一度として見た事がなかったマベルの激高にか、はたまたその両方か。
ポカンとした表情を浮かべていたユーグの顔は、次第に恥辱と憤怒で朱く染まっていった。それまで向かうべき方向を見失っていた矛先が、その狙いを定めた瞬間だった。
「持って来たわよ!」
アイリスが一抱え程もある、保存用のミルク缶をドスンとマベルの傍に置く。
「アイリスさん。殿下の体を起こして支えて下さい!」
「分かったわ」
アイリスに抱え起こされたアジェールの口を開いて上を向かせると、マベルはその口の中にミルクを流し込んでいく。アジェールが咽て吐き出したミルクが掛かるのも気にせず、カップでミルクを掬い取ってはアジェールの口に、胃に流し込む。遂に限界を迎えたアジェールが嘔吐するまで、それは繰り返された。
(これで応急処置は大丈夫。これ以上は毒で悪化する事はない……はず)
依然アジェールはぐったりとした様子だったが、呼吸は少し安定してきたように思える。
吸収されてしまった分はどうしようもないが、流し込んだ大量のミルクにより毒の成分を薄めると共に嘔吐により体外に強制排出。且つミルクの膜で胃を保護。次はアジェールの体力増進と体内に回った毒の排出促進だ。
マベルは次々とアジェールの治療プランを立てていく。
「マベルさん。準備出来ました」
「こっちに! アイリスさん、少し殿下をお願いします」
マベルは素早くカウンターの裏に回ると、薬棚から目的の薬を取り出す。
水をカップに一杯汲み取ると、アジェールの傍に駆け寄り、粉状の薬を口に放り込むとすかさず水を含ませ口を塞いだ。
口に入れられた薬の余りにも酷い苦味、エグ味が混然一体となり、この世の地獄が
「抑えて!」
鋭いマベルの指示に遅れる事無く反応したアイリスが、アジェールを暴れられない様に取り押さえる。マベルが両手で力いっぱいアジェールの口を押えていたのは、薬を吐き出させないためだった。
「殿下! 飲み込んでください!」
聞こえているかどうかも分からないが、マベルは必死にアジェールに訴えかける。
体が拒否反応を起こしているのか、アジェールは口の中の薬を飲み込めずにいた。
「……っ。アイリスさん。殿下の鼻を塞いでください」
口と鼻を塞がれたアジェールはそれでも暫くもがいていたが、やがてゴクリと薬を嚥下した。
「……ハァ……ハァ……ハァ……。魔女殿、私は一体何を……?」
飲まされたのだと、毒よりもある意味地獄の苦しみを味わわされたそれが何だったのかと、マベルを問い詰めようとしたのだが如何せん体に力が入らなかった。
先ほどまでとは異なる理由で再び体を横たえたアジェールの顔には、血の色が戻りつつあった。
山場を乗り切ったと胸を撫で下ろしたマベルは、少し笑みを浮かべてアジェールに答える。
「魔女特性の気付け薬です。商品名は『ヨミガエール』。鮮烈にして激烈に刺激的な、味と効能で死人も息を吹き返す──っていう謳い文句なんですが、どうでしょう?」
「偽りはないが、逆に死にそう……。ウォェ」
思い出しただけでえづいてしまう。
「それと、今日一日はこのお茶を飲んでください。体に入った毒を出す作用があります」
エミリーに沸かしてもらった、濃い茶色をした液体を差し出す。
またえげつない味がするのではとやや警戒するものの、ええいままよと飲み干した。
「これは──っ! 不味い……」
「辛抱してください……」
どれもこれも味が悪いのは、マベルとて百も承知の体験済みだ。
「まあ、先ほどの薬に比べればどうという事はない」
アジェールを毒殺の危機から救い、一件落着──。とは当然行かなかった。
アジェールを介抱するマベルを兵士たちが取り囲み、ユーグが正面に立って見下ろしながら宣言する。
「魔女マベル! 貴女──いや、貴様をアジェール第二王子暗殺未遂の現行犯で拘束する!」
「ユーグ!」「はあっ!?」
アジェールとアイリスが抗議の声を上げるが、ユーグはそれらを無視。
「抵抗すれば分かっているな? これでも私は審問官。魔女に対抗する力はある。大人しくしていれば、厳しい取り調べの後裁判が開かれる。申し開きがあるのならその中でするのだな」
ユーグの指示で兵士たちはマベルを拘束し、連行しようとしていた。
マベルは兵士に促されるまま大人しく立ち上がって、両手を差し出し縄で縛られる。
家から引き出される際、マベルは我関せずと日向ぼっこをしていたノワールに一瞥すると、ノワールは片目だけ開いてウインクを返した──様に見えた。
「待ちな──」「止めときな」
力づくで止めようとするアイリスを、ノワールが止める。
突然人間の言葉を口にしたノワールを兵士たちは気味悪そうにしながら、少し慌てたようにマベルを連れて行ってしまった。
アジェールも兵士たちに抱えられ、強制的に店を後にしていた。
残されたのは、テーブルの上の二枚の羊皮紙だけだった。
「どうして止めたのよ! あんな連中の百や二百、敵じゃないわよ! 明らかにこれは陰謀よ。私個人としても、独立審問官としても、到底見逃せる物じゃないわ!」
マベルの救出を阻まれたアイリスは、ノワールに対し怒り心頭だ。
アジェール一行はマベルを連れて既に村を離れている。それを見守っていた村人たちからは不穏な気配が漂っていたが、表面上は心配そうに見送るだけに留まっていた。
アイリスとエミリーであれば、今から追いかけても簡単に追いつく事は出来る。
その上でマベルを取り返す事も容易だろう。
ノワールの邪魔さえなければ。
「取り敢えずまずは落ち着きな。マベルも承知で付いて行ったんだ。仮にあんたが助けに行ったとしても、あの娘は戻って来やしないよ。逆に誘拐して監禁でもしておく気がないのなら、余計な事はしない事さね」
「────っ! じゃあどうしろって言うのよ!」
「そんな事は自分で考えな。新米とはいえ、独立審問官なんだろう? まあ、一つ教えてやるなら、別にあの娘は裁きに服するために付いて行った訳じゃないって事さ」
それだけ言うと、ノワールは珍しく──アイリスは初めて見た──家の外へと出て行った。
「どこに行くの!」
「ちょいと野暮用さ」
「私も──」「ダメだ」
付いて行くと言おうとしたのを先回りして拒否される。それも断固とした口調で。
アイリスが言葉に窮している間に、ノワールは行先も用事も告げぬまま、さっさと出て行ってしまった。
それは一見、主の居なくなったこの家にもう用はないと言っている様にも見えた。
勿論そんな筈はないのだが、ないよね……? ないない。ないったらない!
ポツンと残されてしまったアイリスは、突然の孤独感についネガティブな方向に思考が流れていきそうになるのを必死で食い止める。
こんな時でも──いや、こんな時だからこそ、エミリーはただ主人であるアイリスの傍に
助言も諫言もしてはくれない。
(全く。厳しいわね!)
そんないつも通りの、最も頼りになるメイドの姿にアイリスは気合を入れ直す。
「よし! 私たちは私たちでこの件を調査するわよ! マベルが何を考えてるかなんて知った事じゃないわ! 私たちが苦労して……苦労して作った薬なんだから、毒扱いされたまま黙ってなんか居られないわ!」
「はい。お嬢様」
「ま、まあ。そのついでにマベルを助けてあげるのも
「はい。お嬢様」
照れくさそうにする主人を見つめるエミリーの無表情に、笑みが浮かんでいた。
◇
「──様、よろしいのですか?」
「そうですよ! あんな連中に一時でもあの方を……っ!」
「しかも縄なんか掛けられて……。おいたわしい」
「ああ……。今頃どんな扱いを受けているか……」
「もし……傷物になんてされていたら……」
「「「只じゃ済まさねえ」」」
「落ち着きな馬鹿ども」
アジェール一行にマベルが連行されたその日の晩。村の寄合所に男衆が集まり、上座に座る何者かに訴えかけていた。
寄合所の広間にはランプが一つ。隣に座る者の顔さえはっきりしない。
どうせ顔など見えずとも、勝手知ったる者たちばかり。誰が誰かなど、見えずとも分かっている。
「あんたら、ちょっとアレを甘やかし過ぎなんだよ」
「しかし、そうは言われますが……」
村長が皆を代表して、上座の何者かに意見を述べる。
「我々はそもそも、あの方をお守りするために集められた者たちです。あの方が居なくてはこの村が存在する意味も、私たちがここに居る意味もありません」
そうだそうだと、他の男衆たちも気炎を上げる。
「心配するなとまでは言わないが、勝手にあの娘がもう戻って来ないなんて想像をするんじゃないよ。あの
「ですが!」
「くどいよ。それとも何かい? あんたらはあの娘とあの馬鹿を信じれないって?」
「いえ……。決してその様な……」
「じゃー大人しくあの娘が帰って来るのを待ってな。いつも通りにね。ここは──この村はね、いつでもあの娘が安心して帰って来られる場所じゃなきゃあいけないんだ。分かってんのかい!」
「「「はっ!」」」
上座の奥に潜む何者かの一喝に、男衆は只々平伏すことしか出来なかった。
いつ暴発するとも知れなかった村衆──女衆も気持ちは同じだった──をどやしつけて大人しくさせ、それなりに納得させた所で解散させた。
これで暫くは大人しくしているだろうと、何者かはヤレヤレと胸を撫で下ろす。
「ご苦労な事ですな」
男衆の輪に加わらず、じっと息を潜めていた男がスッと姿を現した。
「ふん。あの馬鹿がどっか行っちまったからね。お目付け役として、これもワタシの役目さね」
上座からトンと降りてランタンの傍に歩み寄って来たのは、使い魔のノワールだった。
アイリスを拒んだのは、こんなみっともない所を客人に見せる訳にはいかないからだ。
「それで、俺は何の用で呼ばれたんですかね? 早く帰って寝たいんですがね」
その男は村の男衆とは違い、ノワールに対してぞんざいな口の利き方をしていた。それをノワールも咎める事はない。
「リオネル。あんたにお使いを頼もうと思って呼んだのさ」
男はあの教会のやる気のなさに満ち溢れた、不良神官だった。
「はあ? 嫌だよ」
「へぇ……そうかい。勿体ないねえ」
「何がだよ」
「引き受けてくれたら、遠見の魔法を使ってやろうかと思ってたんだが、断られたんじゃあしょうがないねえ? 遠く離れた娘の顔ぐらい見たいかと思ってねぇ」
「まあ待て。誰もやらねえとは言ってねえだろ。わぁーったよ。やるよ。やりゃあ良いんだろ。お使いぐらいパパっと済ませて来てやるよ」
「本当かい! いやあ助かるねえ」
「糞が。どの口が言いやがる。──で? 何処に何を持って行きゃあ良いんだ?」
「それはね──」
こしょこしょと、万一にも誰にも聞き咎められないように小声で伝える。
「はあ? ふざけ──」
「何だい。出来ないのかい?」
「ぐっ──。あーあーあー! 糞! 約束は守れよ!」
「クックック。勿論さ」
話はこれで済んだと、一人と一匹も夜の闇へと消えて行った。
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