三章 魔女のマベルは自信が欲しい! ①

「これより被告人、魔女マベル・グランサージュの裁判を執り行う!」

 裁判所……等という気の利いた物などない時代だ。場所は王城の中庭。場を取り仕切っているのは白の神官服を着た男の審問官である。マベルも良く知る男だった。

 男の名はユーグ・ベルナール。前任のマベル=グラン付きの審問官だった男であり、師マチルダを捕らえて魔女裁判に掛け、処刑した男である。正にマベルにとって因縁の相手とも言える男であるはずだったが、笑顔で手など振っている。

 マベルの裁判を行う中庭には、審問官であるユーグ──この場では、裁判官と原告と検事を兼任している──と傍聴人のアジェール王子とリシャール陛下、マベルを拘束している教会の神官二人だけ。ただし、場所は開けた中庭である。声は筒抜け、周囲からも丸見えである。被告人のプライバシーなどというものは一切考慮されていない。むしろ見せしめのため、敢えて見せている節すらある。

「被告人。前へ」

「はい!」

 元気一杯返事をして、言われた通りに所定の位置まで進み出る。

 両手は体の前で木の枷が嵌められ、胴にも縄が巻かれ、神官の一人が逃走防止に縄の端を腕に括り付けている。もう一人の神官は短槍を握り、事あらば一突きにする構えだ。

 神官たちが醸し出す剣呑な空気も、王城に出入りする勤め人や商人たちからの好奇の視線も気にすることなく、むしろその全てを呑み込む程、マベルは場違いなまでの明るい笑顔を振りまいていた。

 何なら、周囲で遠巻きに見物している観客たちに、拘束されたままの手を振って見せている。

「被告人は余計な行動は慎むように!」

「あ、はい! 気を付けます!」

 失敗しちゃった。とでも言うかの様に、ペコリとユーグに一礼。

 その拍子に、ズレた帽子の位置を直す。

 マベルは珍しく正装をしていた。

 いつもの魔女服なのは言うまでもないが、その上に、大きな鍔の付いた黒のとんがり帽子を被っていた。

 このとんがり帽子はマチルダが使っていたものを、マチルダに魔女と認められた時に貰った大切な、それはもう命の次に大切な、マベルの宝物である。

 魔女としてハレの舞台に立つ時にしか被らないと誓っていた、マベルの最上位の魔女スタイル。

 その初舞台として選ばれたのが、自身の魔女裁判とは。しかし、マベルは人生で二度目の──一度目は貰った時に被せてもらった──魔女帽子にテンションは最高潮。頬はだらしなく緩みっぱなし、歓喜に爛々と輝く瞳は現在の状況を考えると、逆にいっそ不気味ですらある。

 しかしそこは快楽派の魔女マベルである。とにかくこのハレの姿を多くの人に見てもらいたくて仕方がなく、アピールに余念がない。

 そこにはもう魔女裁判などという張り詰めた空気は失せ、マベル劇場とでも言うべき、マベルを愛でるだけの空間が醸成されつつあった。

 そんなマベルの態度に、ユーグが苛立ちを募らせているのが手に取るように分かる。その狭量な心根は表情にもよく現れている。実に小者臭が漂う男だ。

 この空気感を壊し、自身に衆目を集めるべく、怒鳴る様に声を張り上げる。

「これより被告人、魔女マベルの罪状を読み上げる! 意見がある場合は、その後申し出るように! 意見なき場合、及び沈黙の場合は認めたものと見做します! 分かりましたか?」

「はい! ユーグ先生!」

「先生ではないっ!」

 一向に態度が改まらないマベルに対して、ユーグの我慢は限界を迎えようとしていた。

 しかし、そもそも何故魔女裁判などという事態になったのか──。それはアジェールとの薬の受け渡しの日にまで遡る。


          ◇


 アジェールがマベルの店を再び訪れたのは、お昼を済ませてから暫く経った頃だった。

 急ぎの仕事も終わり、普段なら訪問診療を始める時間だったが、今日はいつアジェールが来てもいいように、マベルは店で待機していた。

 コンコンコンと、上品に戸を叩く音に続いて呼びかける声がする。

「魔女殿は御在宅か? アジェールだ。約束の薬を受け取りに来た」

「はい! いま開けますね!」

 直ぐにマベルが戸を開けて、アジェールを迎え入れる。

 今日のアジェールは前回よりも多くの供を連れていた。

 前回も一緒に来ていた護衛に加え、荷車が数台とその荷車を曳くための人夫、そして何故か神官も一人随行していた。

 それはマベルも良く知った神官で──。

「あ! ユーグ先生! お久しぶりです!」

 アジェールに随行して来た神官は、ユーグであった。

「一年振りくらいですか。久しぶりにお顔が拝見できて嬉しいです!」

 ユーグはリオネルの前任の派遣審問官だった。

 マベル=グランに派遣されたのは、マベルが十歳になったころ。それから五年間、村の教会で子供たちに勉学を教えてくれていた。村の子供たちは親しみを込めて、ユーグの事を「先生」と呼んでいた。マベルも勿論その内の一人だ。

 当時のユーグは真面目で温厚。その一方で、若くして審問官の資格を取り、魔女の居る村へと派遣されるほど優秀な成績を修めた、期待の若手であった。

 村外から来た優しく強い、頼れる大人の男に、当時からファザコンをこじらせていたマベルは直ぐに恋に落ちた。マベルが自覚している中では、これが初恋だった。しかしその初恋は直ぐに破れる事となった。どうも師であり母であるマチルダと、良い仲になっている様だと気付いてしまったからだ。初恋の人がお義父さん……。それも“あり”だな、と。そんな風にマベルは気持ちを切替えていた。

 現在のマベルの想い人がヴィクトルであるのは言うまでもないが、さりとてユーグの事を忘れたわけでも、嫌いになったわけでもない。ユーグに対する好意は依然、心の中に残っている。もし仮に、いまこの場でユーグがマベルに愛を告げれば、歓んで受け入れる程度には。

 客観的に見ればユーグはマベルの仇とも言える存在だが、マベルからすれば、マチルダの小芝居に無理矢理巻き込まれた被害者である。「ウチの師匠がごめんなさい」という気持ちしかなかった。

 あの一件以来ユーグが村に立ち寄ることはなかったので、マベルは心から再会を喜んでいた。しかしユーグの心の内は違っていた。

「ええ。お久しぶりですねマベルさん。変わらずお元気そうで何よりです」

 表面上は昔通りの好青年を演じつつも、腹の中はマチルダへの憎悪にまみれ、ひいてはその弟子であるマベルにも、その矛先は向けられようとしていた。

 

(クソっ! この忌まわしい場所むらになど二度と足を踏み入れたくはなかったというのにっ! 殿下の御用命だからと話も聞かずに引き受けたが、ここに来ると知っていれば断ったものを! ああ! この娘の顔を見るとあの魔女の顔を思い出す! 二度と顔を見なくて済むように、責め抜いて苦しめてくびり殺してやりたい!)

 ユーグのこの一年は実に激動であった。

 マチルダの処刑を讃えられ、教会内での地位が一足飛びに上がった。周囲の皆から期待の新人だ、行く行くは教皇か、などど囃し立てられそのおこぼれにあずかろうとする者たちで、ユーグは一躍時の人となっていた。しかし、魔女大戦の噂が市井で広まると、ユーグの周りからは潮が引くように誰も居なくなった。

 教会での階位こそ下がりはしなかったが、最早誰もユーグを見向きもしないどころか、完全に腫れもの扱いだった。教会の中はまだいい。精々無視される程度の事だ。一番ユーグの心を壊していったのは、街の声だった。

「お前のせいだ!」「お前が余計な事をするから!」「責任を取れ!」

 街を歩く度投げつけられる罵詈雑言。時には言葉でなく、石が投げつけられる事もしばしばあった。店で買い物しようとしても、店主から「あんたに売る物なんかないね」と追い返される始末。日々の暮らしさえ困難になっていた。

 つい数日前まで救世主だ天の御使いだと笑顔で摺り寄って来ていた者たちが、今では蛇蝎の如くユーグを嫌い、排斥しようとしていた。

 誰も信じられなくなり、次第に追い詰められていったユーグは考えた。どうしてこんな事になってしまったのかと。考える時間だけは、幾らでもあった。

 そしてユーグは一つの結論に縋るしかなかった。

 全ては私を裏切ったあの魔女のせいだ、と。

 ある晩、教会の中にある私室で子供たちの授業のために教材を用意していた時の事だ。

 魔女マチルダは音もなくユーグの私室に現れ、こう言った。

「私を抱いてみる気はないかい?」

 ユーグは初め、その誘いを断った。快楽派の魔女のお遊びに付き合う気などなかった。しかし幾度となく繰り返させる魔女の誘惑。妖艶な魔女の魅力に、年若い青年がいつまでも抗う事は出来なかった。

 一晩、二晩と夜を重ね、気付けば魔女が訪れるのを心待ちにするようになっていた。

 ユーグの中には、良くも悪くも「この魔女は俺の女だ」という意識が芽生え始めていたのだろう。そして、この魔女の力があれば……。と、密かに秘めるだけだった野心に、火が点いてしまった。

 そしてそれを魔女に見抜かれた。

「心から残念だよ。あんたにはあの娘の父親になって欲しかったんだがね……。ふむ。まあ丁度良い機会か。あの娘にも、私にも。ここまで付き合ってくれた礼はさせてもらうよ」

 その後の魔女の真意は、今でも全て理解した訳ではない。

 ただ、「礼はする」と言った言葉がユーグの望む形で果たされる事はなかった。替わりにそれは、マチルダが自らの命を捧げる事で果たされた。ユーグの環境は一変し、天へと昇り、そして地に叩きつけられた。

 マチルダへの憎悪はしかし向かうべき先がなく、王都の教会で荒れる日々を過ごしていた。そんな時、グルグルと回ってばかりだった矛先が定まる事になる事態が起きた。

 アジェールからの召喚である。


 理由も目的も告げられず、ただ「付いて来るだけで良い」とだけ言われ、途中から見知った景色に嫌な予感はしていた。

 早くこの場から去りたいという気持ちと、このまま帰ったとてそれでどうするという現実。マチルダの面影が残るこの家を見ているだけではらわたは煮えくり返るが、さりとてそれをどこにぶつけるのか。当のマチルダは自分の手で処刑したではないか。それから我が身に起きた不幸を、何の非もないこの娘マベルにぶつけられようか。

 ユーグは葛藤がおもてに出ないよう取り繕うのに必死で、声を掛けられるまである人物の存在に全く気付いていなかった。

「初めましてユーグ司教。お噂はかねがね。わたくし、アイリス・プリスカ・ミシェル・ラ・フォンテーヌと申します。以後、お見知り置きを」

「──っ!? あ、あなたは! アイリス独立審問官殿! こちらこそ挨拶が遅れて申し訳ありません。ユーグ・ベルナールです。良い噂は聞かれなかったでしょう」

「そうでもありませんよ」

 一瞬チラっとマベルを見るアイリス。

「そうですか……。ところで、アイリス殿はこちらに何用で? 失礼。出過ぎた質問を致しました」

「いえ、お気になさらず。ここには『ある魔女』に関して調査を行う為に滞在させて貰っています」

 アイリスの言葉にユーグはビクリと肩を震わせる。

 顔から血の気が引き、心が冷えていくのが分かる。既に地に落ち失うものなどないと思っていた我が身だったが、まだ落ちる先がある事を自覚してしまった。

 勿論、ここでアイリスが言う『ある魔女』とはマベルの事なのだが、ユーグはマベルが魔女でない事は百も承知だ。そしてまさか独立審問官たるアイリスが、マベルを魔女だと──それも非常に強大な──思って居る等とは想像もつかない。必然、『ある魔女』とはマチルダの事だと解釈した。

 この村でマチルダの調査を進めれば、いずれ遠くない内にマチルダとユーグの密約が暴かれてしまうかもしれない。書面などはない。あくまで口約束に過ぎなかったが、確かにそれは成された。成された魔女との契約の残滓を、果たして独立審問官が見逃してくれるかどうか。ユーグには非常に分の悪い賭けにしか思えなかった。

 アイリスの登場に動揺を隠しきれないユーグと裏腹──でもなく、全く異なるベクトルで動揺というか、溢れ出る脳内麻薬をアイリスは押さえ切れなかった。

(ふ、ふん……。顔の作りはイマイチ──つまりはそれなりに整っている──だけど、欲と失意と憎悪が綯交ないまぜになった顔……。ギャップがあって中々良いわ。合格点。真面目で自制心も強い……と。噂通りね。こういった相手ほどたがが外れた時の衝動は凄いもの。その衝動をどうやって私に向けさせるか……。ふふ……。ふふふ……。あははははははははは! 叫び出したいほど今! 私! 興奮しているわ!)

 そろそろ三桁目が見えて来た運命の相手に、鼻息を荒くするアイリス。

 また病気が始まったと、諦めの極意を修めたエミリーは相変わらず無表情を決め込んでいた。

 まさかこんな奴隷志願の逆肉食系? 性獣にロックオンされていようとは、秘密の露見に怯えるユーグが気付けるはずもなかった。


 ユーグがアイリスと話を始めたのを契機に、マベルとアジェールも仕事の話を進めた。

「お待ちしていました殿下。約束の薬、御用意出来ていますよ」

「おお! そうか!」

「数が数ですので、こちらへどうぞ」

 マベルは一旦店を出て、一行を離れの倉庫へと案内する。

 鍵を外して倉庫の戸を開けると、中には所狭しと薬の詰められた木箱が積まれていた。

 昨夜三人で、やっと完成した薬をせっせせっせと運んだのだ。マベルが薬を箱に詰め、エミリーが干し藁を詰めてクッションに、アイリスが蓋をして倉庫に運ぶという分担だ。

 そうとは微塵も感じさせない堂々たる態度で、さも余裕で間に合ってましたよ感を演出していた。

あらためさせてもらって良いか?」

「勿論です。どうぞ、御確認下さい。緑の印が傷薬、白が止血薬、黄色が強壮剤です」

 見ると確かに、それぞれの箱に色分けした丸印が付けられていた。

 蓋は仮蓋で、簡単に外せるようになっている。

 護衛の兵士たちが中身を確認すると、人夫たちは蓋を釘で打ち付け、次々と荷車に乗せていく。

「どれもこの辺りでは見た事のない薬だな。それに臭いも少ない」

 箱の中からそれぞれ一つ取り出し、実際に中身の薬を見て、アジェールは感心する。

「中央や東方の薬学も学んでいますので。彼方あちらに比べると、西方こちらは余りにも遅れ過ぎです。あまりマティヤフ様の事を悪くは言いたくないですが……」

「魔女殿の言いたい事も理解はできる。が、私もマティヤフ教の門徒なのだ。ただ、魔女殿の教戒、ありがたく頂戴しておこう。良い薬、良い医術があれば、もっと多くの民を助ける事が出来るようになる。それは国の発展にも大いに期する」

 マティヤフ教の下では医療従事者の社会的地位は低かった。死体や傷病人ばかりを扱う事になる医師は、浮浪者の一歩手前の様な扱いだった。職業としては最底辺の賤業である。薬師も同様で、質が低かったり、そもそも薬ですらない様な偽薬が当たり前の様に出回っている現状、その多くは詐欺師の如き目で見られるのはザラである。その分翻って、良く効く薬を作る薬師はこれでもかというほど有難がられる存在でもあった。些細な怪我や病気から死に至る事も珍しくないため、本当に効く薬は貴重な物だった。

 そんな医療従事者の代わりに社会的地位が高いのが、奇蹟の力を振るうとされる呪術師や魔法を使える魔女たちである。

 特に病気の治療に呪術師を雇うのは常識で、高名な呪術師になるほど確かに病気から快癒する者は多かった。それが本当に奇蹟の力かどうかはともかく、その結果に多くの人が価値を見出しているのは確かだった。

 しかし、そんな常識にもマベルは懐疑的であった。

 とはいえ、人事を尽くせば後は本人の体力と運否天賦次第。天や神に祈るしかないのも事実。それ自体を止めさせようとは考えてはいなかったが、それだけに頼るのは違うと、声を大にしてこの西方世界に伝えたいのだが、その手段がない。仮にあってもぽっと出の魔女一人が叫んだところで、誰の心にも響きはしない。世間に浸透している常識というものは、そうそう覆るものではない。

 マベルはしかし、そんな事で夢を諦めるような魔女ではない。

 間違った常識を覆すには正しい知識を広く知らしめる必要がある。

 正しい知識を理解する為には教育と実践が必要である。

 教育には長い長い時間が必要だが、実践はそれと比べると容易である。正しい物とそれを正しく使う知識さえあればいい。

 先ずは実践を通して、正しい治療というものを知り、学んでいく。

 この薬たちがその新たな一歩になってくれる事を、マベルは期待していた。

 これはマベルが行う、西方世界を救う大陸規模の超々広域魔法である。

 その為の確かな一歩になるはずであった。

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