二章 魔女のマベルは時間が欲しい! ②

「そ……、そうだ! アイリスさんのも聞かせて貰うんだから!」

 マベルはファザコン認定のショックから覚めやらぬままだったが、アイリスの恥ずかしい性癖を聞き出す事で、何とか心の何かをイーブンに持っていこうとする。

「勿論よ。約束は守るわ。まあ、私はマベルと違って至って普通だから? 御期待には添えないかもしれないけれど、ね?」

 堂々と言い放つアイリスに、エミリーは「よくもまあ」と心の内で感心するばかり。

「婚約者の方から先に教えてあげる。この国の第二王子、アジェール殿下よ。武芸はからっきしだけど頭脳は明晰。政治手腕に長け、人望も厚い。人柄も温厚で後暗い噂なんか聞かないような人物よ」

「はー! 王子様が婚約者だなんて、アイリスさんってやっぱり公爵令嬢なんだなあ」

「面倒事も多いけどね。その分以上に、都合も良かったわ。まあ、宛がわれた婚約者は精々十点ってところだけど。勿論百点満点でよ。顔はまあ、嫌いな方ではないから、そこだけは評価してあげるわ」

 仮にも自国の王子に対して酷い言い様である。

「えー? 話を聞く限りじゃ、良い人みたいだけど」

「だから駄目なんじゃない」

「へ?」

「いい? マベル。良く聞きなさい。これは私が独立審問官を目指した理由にも関わってる事だからね」

 何故か立ち上がったアイリスに、コクコクと頷くマベル。

 アイリスは身振り手振りを交えながら、熱く持論を展開する。

「私の理想の相手はね、女性を──いいえ、ここでは敢えて女と呼びましょう。その女を自分の所有物、もしくは家畜か何かだと本気で考えているような御方ね」

「んん?」

 この時点で既にマベルには、もうアイリスが何を言っているのか理解が出来ない。

「顔は出来るだけ醜い方が良いわ。性格は下種ゲスを極め優れた人物をねたみ、そねみ、働きは無能、その癖自尊心だけが肥大化して表情に滲み出ている様な、そういう人が良いわね。お顔を拝見できるのを想像するだけで胸がキュンとするでしょう?」

 実際想像したのだろう。アイリスの頬が少し上気している。

 アイリスに言われて想像してみたマベルの背中には、怖気が走っていた。

 確かにアイリスの言葉をそのまま捉えると、アジェールの評判はアイリスの好みからは乖離かいりしている。

「ここからは私の考えと、独立審問官になった理由なんだけど、そういう御方の目に留まるにはどうすればいいか。物心ついた頃の私は考えたわ」

「そんな頃からっ!?」

 あまりにも早すぎる変態性の目覚めに、驚愕せざるを得なかった。

「先ずは美しくある事。これは幸いにも容姿に恵まれる事が出来たわ。

 次に高い地位、もしくは権力。出来ればその両方。これも私は生まれながらにして手にしていた。ラッキーだったわ。

 更に優れた知性。そして女だてらに武器を振り回し、武功を上げる。

 正に文武両道、才色兼備。

 そしてそれを露骨にひけらかすの。そうすれば、そういう御方は『小娘の癖に生意気な』って気に入って下さる筈だと、私は考えたわ。

 そしてそれが誰から見ても分かる様にする物が一つあったの。それが──」

「独立審問官……」

 まさかそんな発想で、独立審問官を目指し、そして実際になって見せる人物が居ようなどとは、マベルの想像の埒外だった。

「ただ、実際なってみるとね、意外と襲ってくださる方って少ないのよ。おかしくない?」

「おかしいのはアイリスさんの頭です」

 ハッキリとマベルは告げた筈なのに、アイリスには聞こえた様子がない。

「ちゃんと私を卑怯で狡猾な罠に掛けて、屈服するまで調教して欲しいのにっ! 何故か皆さん途中で挫折されてしまうの! まさか、そっち方面まで無能な方々ばかりだとは思わなかったわ……」

 ぐぬぬぬぬ……。とアイリスは実に悔しそうだ。

「えっと……それは……その、そういう事が下手って事?」

 マベルが赤面しながら言い難そうに、言葉をぼやかしながら尋ねる。

 これにはエミリーが答えた。

「いえ。皆様お嬢様を捕えるために色々手を尽くされるのですが、お嬢様がそれ以上にお強いせいで、そもそも『そういう事』にまで至って居ないのですよ。幸いなことに」

「わざと捕まれば良いんじゃないの?」

 前提さえおかしくなければもっともな疑問を、アイリスは全力で否定する。

「そうじゃない! そうじゃないの! それじゃあ意味ないじゃない!

 大した実力もないクズ(誉め言葉)に汚い手段を使われて負けて、絶対屈服しないと決意しながらも与えられる快楽に逆らえず、徐々に心を弱らされ、そして遂に……。

 『悔しい! でも、感じちゃう!』

 これよ! この感じが大事なの! 分かるでしょ!」

「分かるわけがない!」

 マベル渾身のツッコみであった。

「よく人の事変態だなんて言えたな! 変態なのはアイリスさんの方じゃん! それも超ド級の変態だよ!」

 至極真っ当な事を言っている筈なのに、アイリスからは憐れむような視線を向けられた挙句、ヤレヤレとでも言わんばかりの態度を隠そうともしない。

「マベルは魔女に育てられたから知らないのかもしれないけれど、女の子は皆ね、男に支配されたいって思ってるものよ。それも無理矢理であればあるほど良いとされているわ」

「そんな訳……っ! そんな訳……ない……ですよ……ね?」

 余りにもアイリスが堂々と言い切るものだから、何だか自信がなくなって来たマベルは、ついついエミリーに助け舟を求めていた。

 アイリスの言った事にも一理あり、マベルは同世代の女の子と好みの男性についての話なぞ、ついぞした事がなかった。知識は全て本から得たもの。経験の乏しさが、マベルにアイリスの言葉を完全に否定する力を奪っていたのだ。

「先ほど申し上げました通りです。ファザコンで都合のいい女な事くらいどうということはございません、と」

 助けを求められたエミリーは淡々と答える。

 それはマベルの背中を後押しするものだった。

「ほら! やっぱり! 変態はアイリスさんだ!」

「いーえ! 変態はマベルの方よ!」

 喧々諤々の変態の擦り付け合い。何と醜い争いか。

 二人で言い争っていても埒が明かないと悟った二人は、同時にエミリーを振り返る。


「変態はマベルの方よね!」「変態はアイリスさんの方ですよね!」


 それに対するエミリーの返答は実にシンプルな物だった。

「お二人とも変態でございます」

「「──っ!?」」

 二人にとってはまさかの返答に、ズゴーンとショックを受けていた。

 相手が変態だから自分は変態じゃないという、どちらも自分を棚に放り投げた思考をしていた事に気付かされてしまったのだった。

 そう、相手が変態だからといって、それは自分が変態ではないという証明にはならないのである。

(尤も、他人の性癖など、総じて変態としか思えないものだと私は思いますが)

 二人の反応が面白いので、エミリーは無表情のまま黙っていることにした。


 そんな事もあって、数日変態のショックから覚めやらなかったマベルが、何とか日常を取り戻し始めたそんなある日、

 お店を開けていつもの様に過ごしていると、珍しく村外からの来客があった。

 物々しい雰囲気のお供を連れた小太り──マベルの控えめな評価──な青年だ。

 全員剣や槍を手に、周囲を警戒しているお供たちとは異なり、青年は人懐っこい笑顔を浮かべている。

 青年は供の中から一人だけを連れ店の中へと入る。残りは外で待機だ。

 店に入って来た青年の顔は、マベルは初めて、アイリスとエミリーは良く知った顔だった。

「アジェール殿下。お久しゅうございます」

 アイリスはスッと椅子から立ち上がると、アジェールに向かって優雅に一礼。流石の仕草である。この辺りはやはり公爵令嬢なのだと思い出させる。

 エミリーは床に膝を付いて顔を伏せ、直接顔を見ない様にしている。

 本来世俗の権威とは隔絶する独立審問官が、王権に対して礼を尽くす必要はない。

 どちらかと言えば、腹を探られたくない王家の方がへりくだる事の方が多かった。

 しかしアイリスはその性癖からか、極々自然に相手にへりくだって見せる事が多かった。敢えてそうする事で相手により上の立場の人間を謙らせたという優越感を与えると同時に、嗜虐心を刺激するためだ。ただ、アジェールにはいまいち効果は薄いようであった。

「おお! こんな所で出会うとは奇遇だな! 久しぶりに貴女のお顔を拝見できて嬉しく思うぞ。アイリス嬢」

 そう。この人懐っこい笑顔をした人の好さそうな小太りの青年こそ、アイリスに不評な婚約者、プロット王家の第二王子、アジェール・ルイ・プロットその人であった。

 社交辞令の挨拶を二三交わすと、アイリスはスッと身を引いた。

 二人が話している間、マベルが出番を待ちながらソワソワしているのに気付いていたからだ。

「ようこそ! 魔女マベルのお店へ! 私がこの店の店主。魔女のマベルでございます。どんな物が御入用ですか? この魔女のマベルが、必ずや貴方の望みを叶えて差し上げましょう! 勿論、見合うだけの対価は頂きますが」

 これは初来店の客に対してだけ行う、魔女マベルの接客トークである。滅多に使う機会はなく、いつもより丁寧な口調に急遽変更したせいで噛みそうになったが、何とか平然を装ったまま言い切ることが出来た。

 内心では突然の王子の登場に、「おおおおおおおおお、王子様だ!」と上を下への大騒ぎの真っ最中。魔女は独立審問官ともまた違った方向で、世俗の権威からは隔絶した存在であるため、お客として以上に謙る事は、魔女の沽券に係わって来る。

「おお! 魔女殿、申し訳ない。久しぶりに我が婚約者フィアンセの顔を見られたのでね。失礼した。改めてアジェール・ルイ・プロットだ。一応この国の第二王子などをやらせてもらっている」

「お噂はかねがね。良きまつりごとをされていると聞き及んでいます」

「魔女殿にそう言っていただけるとは嬉しい限りだ」

 そう言ってアジェールは相好を崩す。

 この王家の人間とは思えない愛嬌の良さが、民から慕われている理由の一つなのだろう。一回り程も歳が離れているだろう少女相手にも、至って真摯な振舞いである。

「今日こちらに伺わせていただいたのは他でもない。コレに覚えはお在りか?」

 アジェールは懐から宰相から受け取った薬を取り出し、マベルに差し出す。

 マベルが蓋を開けると、中には軟膏が入っていた。

 見た目はどうという事のない普通の軟膏だが、蓋を開けた瞬間、ある独特の匂いがマベルの知っている物と一致した。

 とはいえ、それだけで断定できるような物ではない。

「これを何処で?」

「今ペニレ王国との国境沿いで戦争になっているの御存じだろうか?」

「はい。争いが起きている事だけは」

「私たちが至らぬばかりに、要らぬ御心配をお掛けし申し訳ない」

 世俗の争い事で魔女の気をわずらわせた事を謝罪し、アジェールは続ける。

「その戦地で負傷者にこの薬を分けてくれた方が居てな。これが驚くほどに良く効くと評判になり、出所を尋ねたところ、この村の魔女殿から戴いた物だと聞き及ぶに至り、こうして自ら足を運ばせていただいた次第」

「その方はもしかして──」

「『射手いて』の異名を持つ、ヴィクトル・ランベール殿だ」

「──そうですか。でしたらコレは、確かに私が作り、あの方に差し上げた薬で間違いはないと思います」

「おお! やはりそうか!」

 喜びも露わにマベルをムギュっと抱きしめる。

「むぐっ」

 抱きしめられたマベルは、突然の事に気が動転しているのか、アジェールの意外な力強さ、強引さに、「あ、こういうのも悪くない……かも?」などと思って居られたのも束の間、段々と脂肪に埋もれた顔が赤くなってくる。

「殿下。魔女様が窒息してしまわれますよ」

「おお! これは申し訳ない。喜びのあまり、失礼を致した」

 アイリスの指摘に、慌ててマベルを解放するアジェール。

「ぷはっ! はぁ……はぁ……。いえ、お気になさらず……」

 深呼吸を何度か繰り返し、息と心を整える。

 それを待って、アジェールは話を続けた。

「今日の用件というのはいうのは他でもない、この薬を私たちにも作っていただけないか? という事なのだ」

「戦場の兵士様たちのためですね」

「その通りだ」

「……いかほど必要でしょうか?」

 そう尋ねるマベルの口は重かった。

「ざっと、千人分ほど」

 それを察したアジェールも緊張感に包まれる。

 千人分と答えたが、あくまでこれも「先ずは」という言葉が先に来る。今回の戦に動員されている兵の数は万を数えている。戦自体は防衛戦という事もあり、有利に進んではいるが長引きそうだと報告を受けている。薬は幾らあっても足りるという事はない。

 負傷した兵への補償、戦死した兵の遺族への補償は欠かせない。これがあるからこそ、兵たちは危険な戦地で命懸けの働きをしてくれるのだ。その費用は当然だが高額になり、戦が長引けば長引くほど歳費へのダメージは深刻になっていく。だからといってこの支出を減らす心算つもりはない。国が滅びてしまっては意味がないからだ。

 だからこそ、傷に良く効く薬や病に良く効く薬は、多少値が張ろうとも喉から手が出るほどに欲しい。そしてその製作者ともなれば、これほど貴重な人的資源は他にない。

 評判の良い薬師や医師の話を耳にすれば、必ず自らの足で現地まで赴き、自らの目で確かめる。終始礼を尽くす事も忘れてはいない。職人気質な彼らの機嫌を損ねるような愚を犯すアジェールではなかった。

「──ですか。申し訳ありません殿下。こちらの薬を、ご希望の数用意する事は出来ません」

「何が問題なのだ」

 一度断られた程度の事で、「はい、そうですか」と引き下がりはしない。

 いや、例え何度断られようと必ず契約してみせる。それだけの価値が、この薬にはある。

「素材がないのです。この薬は私が魔女として認められる為の試験として作った物でして、手間暇と特殊な素材を惜しまず使って作った一品物なのです」

「どれほど希少な素材であろうと用意してみせよう。納期も決して急がせないと約束しよう。やってはくれぬか?」

 アジェールの懇願に、マベルは再び首を横に振る。

「『希少』な物であれば、殿下ならば必要な数を揃える事も出来るのでしょう。ですが、コレに使った素材には、『希少』ではなく『特殊』な、どうしても外せない素材が一つあるのです」

「それは一体……?」

「私も詳しくは知りません。師匠から貰った物ですので。師匠はその素材の事を、『異界に住むドラゴンの心臓』だと言っていました。そして、この惑星セカイでは手に入らない物だとも。師匠が言う、そのドラゴンという生き物が、この惑星セカイには居ませんから」

「私たちが知っているドラゴンとは、あくまで神への反逆者としての架空の存在。現存する生命体ではない……。この惑星セカイには居ない生物……。

 ──そうだ! 魔女殿の師匠様……いや、失敬」

 マベルの師匠、マチルダがどうなったかはアジェールも良く知っている。

 不用意な事を口にしたことを直ぐに謝罪した。

「いえ。お気になさらず」

 マベルはマチルダがどこかで生きている事を知っているので、全く気にしていない。

「殿下の言いたい事は分かります。他の魔女に頼めば、と。ですが、師匠がどこの惑星セカイのどのドラゴンを狩ったのか、それを知っているのは師匠だけ。そしてその師匠は、今はもう居ません」

 家出中ですから。というのは身内の恥なので伏せておいた。

 それをアジェールは、当然の如く違う意味に解釈する。

「そうか……。そういう事なら、流石に諦めるしかないか……」

 肩を落とすアジェールに、マベルは別の提案をする。これはアジェールを見かねた訳ではない。この薬が自分の作った物だと確信した瞬間から、そうする心算で居たのだ。

 千人分の薬の発注。しかもこれはとりあえずの分である事は間違いない。

 しかも発注元は、国の財布の紐を握っている第二王子その人だ。

 取りっぱぐれる事がないだろうこの大口の注文を、逃す手はない!

 只で帰る心算はないアジェールだったが、マベルだって只で帰す心算はなかったのだ。

「コレ程とは行きませんが、効果の高い薬は他にもありますよ。コチラでしたら十分に数は用意できるでしょう。それと、コチラの服用薬もオススメです。疲労がなくなる薬です」

 マベルが棚から取り出した薬を、試してみてくださいとアジェールに手渡す。

「では、コチラを試させていただこう」

 アジェールが蓋を開けたのは服用薬の方だった。

 傷薬を試すために傷を付けるのは馬鹿らしく、優れた薬と言えど直ぐに傷が治ったりはしない。あの特別な物以外は。

 アジェールは躊躇う事無く、一息で薬を呷った。

「うっ……」

「殿下……っ!」

 護衛の兵が、アジェールの様子に焦りを見せる。

「まずい……」

「植物のエキスや動物の内臓などを溶かした物を混ぜ合わせてますので、味の方は……すみません。その分効果は高いですよ」

 アジェールが飲んだ薬は、生薬系のドリンク剤のような物だった。

 薬の効果が出るまで暫く、マベルに薬の効果や効能などを聞きながら時間を潰していると、アジェールは段々と体に活力が湧き、熱くなって来るのを感じていた。

(服用してから三十分程度でこの効果か。悪くない。味以外は)

「如何ですか? そろそろ効いて来た頃合いかと思いますが」

「ええ。これは素晴らしい。疲れが消えてしまった様だ」

「でしょう! 病の時などにも効果的ですよ」

「……では、そうだな──。魔女殿、この二つの薬を千人分、お願いできるか?」

「ご用意致しましょう。期限は?」

「そうだな……一か月では?」

「少し厳しいかもしれませんね。……止血薬もお付けして、二か月後でどうでしょうか。勿論こちらはサービスさせてもらいます」

「ふぅむ……。よし、分かった。それでお願いしよう」

 話が決まると詳細を詰めて早速書面を二枚作成。お互いに一枚ずつ手に取り、内容に相違がないか確認をする。

「支払いは教会を通した方が良いだろうか?」

「そうですね。額が大きくなりますし、それでお願いします」

 この時代のこの世界に銀行などはなく、金貸しの商人は信用が低い者が多い。大商人ともなれば別だが、それでも人口に大してカバーできる数、そして地域が少なすぎた。その点、教会は国を跨いで存在し、西方世界のほぼ全ての町や村に、一つは存在する。信用の点に関しては言うに及ばずである。そのため、教会が離れた場所間での金銭の授受の仲介役を担っていた。

 支払う側が証文を用意し最寄りの教会(A)へ渡すと、教会は受取人が住む最寄りの教会(B)へその旨を書面で送付。後に最寄りの教会(B)から受取人へ連絡が行き、受取人はその教会(B)でお金を受け取る。教会(A)は証文の支払い期日に支払い側へお金を徴収しに行く。

 というのが大まかな流れである。

 教会からの徴収を踏み倒した場合、末代まで破門されてしまうため、大きなお金ほど踏み倒す者は居なかった。

 単にお金を預けるだけの場合は魔女に依頼する者も多い。その気になれば金や銀など、魔法で幾らでも作り出せる彼女たちは、お金に興味など示さないからだ。それでいて魔法という強力な武器を持っているので、盗みに入るような恐いもの知らずは居ない。

「承知した。ではまた二か月後に」

 アジェールは笑顔でマベルの店を後にした。

 アジェール王子一行を無事見送ると、マベルは心底疲れ切って椅子に座り込んでしまった。

「はああああああ。緊張したー」

「そうは見えなかったけど? まあ、お疲れ様と言っておくわね」

「御立派で御座いました」

 二人の労いに疲労感たっぷりの笑みで応える。

「突然来るんだもんなー。良くやったぞ、私。ノワールもそう思うでしょ?」

「さあね。それよりあの王子様は信用出来るのかい?」

 ノワールはマベルの言葉をさらっと流し、アイリスに尋ねる。

「さあ? 私も良く知っている訳じゃないから。ただ、悪い噂は聞いた事はないわ」

「全く?」

「ええ。全く」

「ふぅん……。マベル、あんたはどうだった?」

「良い人! って感じだったよ。ただまあ、何か妙に緊張したけど。お貴族様を飛ばして王族の方を相手にしたせいかな」

「あら? 面白い事を言うわね」

 ふぁさー、と手で髪をなびかせ自己主張するアイリス。

「変態のアイリスさんはお貴族様にはカウントしませーん」

「変女──変態魔女の略──のマベルに目にはおじさんしか映ってないから、仕方ないわね」

「ムキー!」「受けて立つわ!」

 じゃれあう様な取っ組み合いの喧嘩を始めた二人を、エミリーは無表情のまま止めるでも諫めるでもなく眺め、そっと涙を拭く素振りをする。勿論涙は流れていない。

「すっかり仲良くなられて。嬉しい限りです」

「ヤレヤレ。騒々しいこった」

 ノワールはそれ以上アジェールの事に言及はせず、いつもの定位置に戻り欠伸を一つ。

(まあ、それも良い経験になるだろうさ)

 力でも技でも適うはずもないマベルが早々に床に組み伏せられ、脇や横腹をくすぐられて悶えているのを、呆れた顔で眺めていた。

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