一章 魔女のマベルは友達が欲しい! ③
あれから十年。マチルダが火刑に処されてから一年。
毎日欠かすことなく続けている魔法の練習を、ノワールも飽きずに眺めていた。
杖を振り始めてから一時間ほどが経つと、マベルは杖を片付け、今度は一抱え程ある道具箱を持ち出して来た。
魔法の練習を始めてから五年程が経ち、自分には魔法の才が
マベルが考案した新たな魔法には、色々と準備が必要だ。
まずは的である木の板に油を塗りつけ、「燃えよ!」と叫んで火種を投げつける。
当然、的は良く燃えた。
次に、この西方世界ではまだ珍しい火薬を少量箱に詰めて地面に置き、箱から伸びる細い縄に離れた場所から火を点け「爆ぜよ!」と叫ぶ。
当然、箱は爆発した。
その後も、水の入った袋を的に投げつけたり、魔女服を着たまま速く走ったり、高くジャンプしたり、器用に数十メートルもある大木を上ったり下りたりしたりしていた。
日が暮れるまで熱心に魔法の訓練を続けるマベルを、ノワールは黙って見守っていた。
「それは魔法じゃないんじゃないかい?」
と、ノワールも指摘した事があった。
それに対しマベルは、堂々とこう返した。
「魔女は自由なんだよ! いつまでも魔力に縛られてちゃダメ! 大事なのは結果だよ! 目的を達成する事が重要なんだよ!」
あんまりな屁理屈に、ノワールが二の句が継げられずにいられると、マベルの返答に爆笑していたマチルダがノワールに言った。
「あっはっはっはっはっは! こりゃマベルに一本取られたねえ。魔力に縛られない……か。私もついぞ考えなかった事だ。魔女は自由。改めて教えられたよ。マベルは新しい形の魔女になるのかもしれないねえ」
そんな遣り取りがあった事も、今では懐かしい思い出だ。
「ふぅ。今日もいい汗掻いたー」
ローブの裾を手でバタバタさせて風を送り込みながら、道具を片付け終えたマベルが戻ってきた。下穿きが丸見えで、行儀が悪い事このうえない。
「はしたない真似するんじゃないよ、マベル!」
「えー、良いじゃん。ウチには私とノワールしか居ないんだから」
「こういう事は普段からキチっとしておかないと、いざという時にポロっと出ちまうもんさ。あーあー、こんな姿を見たら、ヴィクトルの小僧も幻滅するだろうねえ」
「今ヴィクトル様は関係ないでしょ!」
とは言いながらも、マベルは裾を綺麗に直している。
「おやおや。様と来たもんだ。ホレホレ。さっさと着替えて来な。汗臭い娘は嫌われるよ」
「分かってる!」
ノワールは師匠より口煩いんだから。とぶつぶつ文句を言いながらも、ちゃんと言う事を聞く当たり、マベルの性格の良さが現れている。その師匠からは、
「魔女たるもの、物事は正しいか正しくないかで判断するべからず。自らの心に尋ね、面白い、やりたいと思う方を選ぶべし」
と、魔女としての心得を叩き込まれている。
反面ノワールは、普通の娘としての正しいあり方を説く。
マベルは洗い場にお湯を持って入り、濡らした布で全身の汚れを落としていく。残った湯に魔女服を突っ込んで、新しい魔女服に着替えたらお風呂タイムは終了だ。湯に浸かるなんて贅沢は出来る筈もなし。
夕食の支度をしてお腹を満たすと、ベッドの置いてある自室へと引っ込む。
直ぐに寝てしまうのかと思えば、机に向かって辞書の様に分厚い本を熱心に読み込んでいた。西方世界では貴重なその植物性の紙で出来た本は、マチルダがマベルの為に集めて来た本だ。
マチルダが集めて来た本は、マベルの部屋から行ける地下室にギッシリと詰め込まれている。数を数えたことはないが、棚の片面に百や二百冊くらいは収められているだろう。そんな棚が、無数にある。マチルダが地下が一杯になるにつれて魔法で拡張し続けた結果、マベルの地下室は王都の図書館もかくやという面積と蔵書を誇っていた。
蔵書は古今東西の薬学、医学に留まらず、生物、植物、鉱物、歴史、地理。更には軍事に政治に経済に、文学から空想、恋愛小説等々。ありとあらゆるジャンルが網羅されている。それというのも、マベルが何を好きになってもいいようにと、マチルダが張り切り過ぎた結果だった。
かなりの速さで難解な学術書のページを捲っていくマベル。千ページ以上はあろうかというその本を、二時間と掛けずに読み終えてしまった。
頃合いを見計らって部屋に入ってきたノワールが、遠慮なくマベルのベッドで丸くなる。
パタンと本を閉じたマベルも、部屋の灯りを消して、ノワールを踏まない様に気を付けながらベッドに潜り込む。
「おやすみなさい。ノワール」
「ああ。おやすみ」
マベルが眠りに就いたのは、夜の九時にもならない時間だった。
そんな変わらぬ日々を過ごして訪れた次の日曜の朝──。
山と畑の合間合間に木造の家が点々と建ち並ぶこの小さな村に、見慣れぬ若い二人組の女性の姿があった。明らかに場違いな格好の二人はよく目立っていた。
「エミリー。ここで間違いないのね?」
「はい。アイリスお嬢様。ここが例の魔女が住むという、マベル=グラン村です」
アイリスと呼ばれたお嬢様は、陽光に照らされキラキラと輝く、腰まである美しく長い金色の髪を頭の後ろで括り、立派なポニーテールを作っている。キリっと少し吊り上がった目元と絶対の自信から来る勝気な表情とが相まって、他者に高慢なお嬢様といったイメージを与えている。
短めのスカートから覗く脚はスラリと長く、良く引き締まっている。世のご婦人方からは「はしたない」と陰口を囁かれているが、それがどうしたと止める気はさらさらなかった。
軽装ながらも局部を守る鎧を身に着け、剣まで帯びている点を見るに、只のお嬢様ではなさそうである。
そのアイリスお嬢様のお供をしているエミリーと呼ばれた女性は、
西方世界では珍しい漆黒の髪は、白いヘッドドレスとの対比で良く映え、少し
他にお供の姿は見えない。女性二人だけでこの村まで来たのなら、不用心にもほどがあるというものだ。それがお嬢様と呼ばれる様な地位の人間であれば、猶更である。
「どこに住んでいるかは分かる?」
「流石にそこまでは。教会で尋ねてみるのがよろしいかと」
「そうね。そうしましょう」
大きな建物など一つもない村の事。教会の場所はどこからでも一目瞭然だ。
二人が教会を訪れると、教会には多くの村人が集まっていた。
日曜の祈りの時間はとうに終わり、子供らは外で騎士ごっこをしてあそび、女たちは噂話に花を咲かせ、男衆は酒席の話や次の狩りの予定などを話し合っていた。
そんな所に突然の闖入者である。
村人たちの視線を一身に浴びたのは言うまでもない。
好奇の視線と
エミリーは誰にも気づかれる事無く、それとなく周囲に視線をやり警戒をしていたが、アイリスは全く動じた様子もなく教会の中をズカズカと進んでいく。
向かった先は主祭壇の傍にボケーっと立っていた、いまいち覇気もやる気も感じられない神官の
寝起きかと見紛うほどボサボサのくすんだ茶髪に、アイリスより頭一つ分程も高い背は少し猫背気味。ヒョロリとした見た目も相まって、ハッキリ言って凄く陰気臭い。
「私はアイリス・プリスカ・ミシェル・ラ・フォンテーヌ。お伺いしたい事があって参りました」
「はあ。これはご丁寧に。俺はリオネル・ダビ。この村に派遣されてる審問官なんだが、見ての通り神官としての仕事の方がメインになっちまってますよ。それで? このクソ平和な田舎の村までフォンテーヌ家のお嬢様がわざわざ、どういったご用件で?」
周囲の大人たちがフォンテーヌの家名にざわつく中、神官は特に態度を改める事もなく、至極面倒くさそうに対応する。
その態度にエミリーは、「よし。こいつ、殺そう」と決めた。
それを見もせずにアイリスが制止する。
まさに阿吽の呼吸。
リオネルは、本人の知らない内に命拾いをしていた。
「この村に魔女マチルダの十番目の弟子が居ると聞いたのですが、どこに住んでいるか教えて下さるかしら?」
アイリスの言葉に、周囲に居る村人たちの雰囲気が一変する。表面上は変わらずとも、内に秘められた害意にすら、エミリーは敏感に反応する。まだ手が出ていないのは、アイリスが村人たちの様子の変化を気にしていないからだ。
そんな中、ただ一人何も変わらないのがリオネルだ。
「何で俺に聞きますかね。面倒事には関わりたくないんですが」
「あなたがマティヤフ教の神官だからよ。
アイリスは首に下げていた、マティヤフ教の聖印の中でも特別なソレをリオネルに見せる。
「独立審問官よ」
どうだと言わんばかりのアイリス。しかしリオネルの反応は微妙だ。
「はあ。確かに独立審問官の聖印のようですね」
「『よう』じゃなくて本物よ。ホ・ン・モ・ノ」
「と、言われましても、俺のようなしがない木っ端審問官はそのホンモノとやらを拝んだことがありませんで」
「私が嘘を言っていると?」
「そうは言いませんがね。ただ、独立審問官になるには──」
「最高の知性と人格、揺るがぬ正義、そして何より魔女すらも下せる最強の武力」
「よくご存じで。貴族のお嬢様がお持ちだとは思えませんが」
「そうね。私も、私以外でそんな人が居るとは聞いたことはないわね」
胡散臭いと思っている事を隠しもしないリオネル。それに堂々と笑顔で真っ向から対峙するアイリス。両者の睨み合い(?)は長くは続かなかった。
「はあ。面倒くさ……。まあ別に秘密にしている訳でもないですし、教えますよ。まあ教えるって程の事でもないですし、村を歩けば直ぐに見つかりますんでね」
リオネルが簡単に折れた。
リオネルから道を聞き出したアイリスは、もうここに用はないと
「エミリー。行くわよ」
「はい。お嬢様」
臨戦態勢だったエミリーは、アイリスの一言でメイドモードに戻り、静々とアイリスの後ろに付いて教会を後にする。
リオネルに聞いた通りに道を進むと、そこには──
〈
とでかでかと書かれた看板が掲げられた、一軒の家があった。
隠す気がないのを
他の魔女とは違い、マベルはそれなりにお金を稼ぐ必要があるのだ。
「──やるじゃない」
何が? とエミリーは思ったが、そんな様子などおくびにも出さず、
「然様ですね」
無表情に同意する。
アイリスは躊躇うことなくマベルの店の戸を叩く。
直ぐに、「どうぞ! 開いてますよー!」と中から声が返って来た。
エミリーが横から戸を開くと、正面に居るアイリスの足元に一匹の黒猫。奥には焼き立てだろう、香ばしい小麦の香りが漂うパンが山盛り入った籠を抱えている村娘が一人。
「こちらに魔女マチルダの弟子が居ると伺ったのだけど?」
「あ、はい! 私です! すいません。ちょっとパンを片付けて来ますので、座ってお待ち下さい!」
よいしょと気合を入れ直して籠を持ち直して、返事も待たずに奥へと行ってしまった。
「あれが例の魔女……。噂程ではないように見えるわね」
「そうですね」
「また例の噂を聞いて来たのかい? 都会の人間は暇なのかねえ」
「「??」」
突然聞こえて来た四人目の声に、二人はキョロキョロと周囲を見回すがどこにも人影はない。
「どこを見てるんだい。下だよ、下」
そう言われて下を見ると、猫が一匹。勿論ノワールである。
「まあ! あなた使い魔でしたのね。上手に魔力を隠されているから気付きませんでしたわ」
「……猫さんカワイイ……」
猫が喋っている事には大して驚いていないようだった。
「まあ使い魔になって長いからねえ。魔力を見せびらかして
ノワールは二人を案内するように戸の前から移動し、手招きする。
「さ、そんなとこにいつまでも突っ立ってないで、中に入って座ってな」
二人はノワールに促されるまま、店内に用意されていた椅子に座って待つ事しばし。
「すみません! お待たせしました!」
出て来たのは、フード付きの真っ黒なローブを頭からすっぽりと被った、古典的な魔女姿の少女だった。
初めて見る若い女性二人組のお客様というマベルの店始まって以来の珍事に、興奮したマベルが持っている中で一番良い、勝負服を引っ張り出してきていたのだ。
「「「……………………」」」
今時絵本でしか見かけないような魔女スタイルのマベルに、言葉を失う二人。
余りに整った容姿の二人を間近で目にし、言葉を失うマベル。
固まってしまった三人を見て呆れるノワールが、話を促す。
「マベル。お客さんの前だよ。黙ってないで仕事しな。それとあんたたちも、何か用事があって来たんだろう。黙ってないで用件を話しな」
「ハッ! そうだった。ごめんなさい! 私はこのお店の店主をしています魔女のマベルです。かの〈
マベルはマチルダの弟子という所を特に強調する。
「今日来られたご用件は何でしょう? お薬ですか? 診療ですか? それとも──」
「そのどれでもないわっ!」
「私の名はアイリス・プリスカ・ミシェル・ラ・フォンテーヌ。独立審問官よ。こっちのメイドは──」
「アイリス様専属メイドのエミリー・マルタンと申します」
エミリーは優雅に一礼。
「独立審問官たるこの私がここに来たという事がどういう事か、当然お分かりよね?」
「いえ。全く」
品行方正な魔女にして、教会の定める要件的に魔女ではないマベルは、審問官に対して後ろ暗い事など一切なく、きょとんとするばかり。
「フ……。あくまで白を切ると言うのですね。流石はあの伝説の魔女、マチルダに最も愛されし魔女!」
「最も愛されしだなんて……。いやあ、照れちゃうな」
頬を朱くしてはにかんでいるマベルを見て、あら可愛い。
無表情のままエミリーは、主人そっちのけでマベルの可愛さを堪能していた。
「演技力も中々のようね。まるで只の可愛らしい村娘のよう。でも、この私の目は誤魔化せないわ!」
「か……可愛いっ!? 同世代の女の子から可愛いだなんて言われたの、生まれて初めてかも! 確かに師匠たちや村のお年寄りさんたちからは良く言われてたけど、子供たちには何故か『キモイ』って言われてたから、ずっと只のお世辞だと思ってたのに……っ!」
それはその古臭い魔女服のせいでは?
ノワールとエミリーは内心、同じ感想を抱いていた。
そうとは知らず、マベルは一人喜びを噛みしめていた。
「私がここに来た以上、あなたはもう終わりよ。この私自らがあなたの秘密を暴き、そして断罪する! 決して逃れられるとは思わない事ね!」
「ぱちぱちぱちぱち」
場を盛り上げる為だろうか、エミリーが拍手をしている。
それに釣られたのか良く分かっていないのか、マベルも何故か拍手をしていた。
「何か調子が狂うわね」
「気のせいでしょう」
マベルの反応が思っていたものと違い、少し疑問を抱くアイリスだったが、エミリーが即座にその疑問を否定する。
そして少し遅れて、マベルがある事に気付き驚きの声を上げた。
「あなたたち! もしかして──」
その反応にアイリスは気を良くする。
「そうよ! 私たちは──」
「暫く村に滞在するって事!? やったー!」
「──ってそうですけど、そこじゃない!」
全く嚙み合わない二人だった。
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