一章 魔女のマベルは友達が欲しい! ②

「う……ん……?」

「やっと起きたかい」

「……あれ? ノワール?」

「あたしだよ。見りゃ分かるだろ」

「ん……っ。何でベッドに……? あーでも、とっても素敵な夢だったなぁ」

 ベッドから起き上がってグッと体を伸ばす。窓の外はすっかり明るくなっていて、村人たちの生活音が響いて来ている。

「当ててやろうか? 凄い素敵な小父様が出て来たんだろう? あんた好みの、ね」

「──っ!?」

 凄い勢いで振り向くマベルを敢えて無視して、ノワールは続ける。

「名前はヴィクトル。独立審問官の筆頭。二つ名は『射手いて』──」

「なんでっ!」

「そりゃああんた、ヴィクトルの小僧が来たからに決まってるだろう。その証拠にホラ。あんたずっと握りしめてるじゃないか」

 ノワールに指摘されて、右手を恐る恐る開くとそこには、ヴィクトルの印章があった。

「あんた、ヴィクトルにのぼせ過ぎて失神しちまったんだよ。全く、馬鹿だねぇ」

「ううー……」

 何も言い返せないマベルは、醜態を晒した事を恥じ入るやら、でもヴィクトルに会えたのが夢じゃなかったと分かって嬉しいやら、幾つもの感情がごちゃ混ぜになり自分でもどう処理すればいいのか分からない。

「マリアさんとマルガさんはっ?」

 プイっと顔を背けて、話題を強引に変える事くらいしか出来なかった。

「二人なら気絶したあんたをベッドに寝かせたら帰って行ったよ」

「そっか……。もう少しお話したかったな……」

「頻繁に来過ぎて迷惑そうにしてた割りに、居なくなると寂しがるんだからねこの子は」

「べ……別に、寂しくなんかないよ! 私はもう立派な一人前の魔女なんだから!」

「へぇ……そうかい? 診察の時間が過ぎてるのに、ぐーすか寝てるのが一人前の魔女様のする事かね」

「え……?」

 マベルが時計に目をやると、時刻は既にお昼を回っていた。

 この時代、まだまだ時計は貴重品で貴族や大商人でないと所有することは出来なかったが、そこはそれ。師であるマチルダが「あった方が便利だろ?」と言って事もなく自作した物が各部屋に設置されている。

 一般的な時計はゼンマイ式だったが、マベルの家に置かれている物は魔女謹製である。基本はゼンマイ式のそれだが、魔法で増幅されたゼンマイの動力は、一巻きで十年は稼働するという優れ物だ。既に百年分程度は巻かれているので、マベルが生きている間は壊れない限り止まることはないだろう。

「急いで準備しな──きゃああああああ!」

 ゴスン!

 と、物凄い音を立てて、シーツに足を引掛けたマベルが顔面から床にダイブしていた。

「慌てるからだよ」

「慌てさせたのはノワールでしょ……ばかぁ」

 ズキズキと痛むおでこを押さえながら立ち上がると、薬の保管庫へ飛び込み、必要な薬などをバッグに詰め込んでいく。

 そんなマベルにノワールが真面目な声で尋ねた。

「あの薬。渡して良かったのかい?」

「……良いに決まってるでしょ。薬はまた作れば良いんだから。それに、薬は──」

「『必要な人が、必要な時に、必要なだけ使うためにある』だろ?」

 それはマチルダがマベルに何度となく伝えて来た事。

「もう! 私のセリフとらないで!」

 希少だから、高価だから、と出し惜しむな。

 そんなのは商人のする事であって、魔女のする事じゃあない。

「ヴィクトルさんにこそ必要だと思ったから、だからあげたの。それに、あそこで中途半端な物を渡すなんて、魔女として格好悪いじゃない!」

 マチルダの教えはしっかりと、マベルの芯に刻まれていた。


 慌ただしく準備を整えたマベルは店を出て、最初の診察へと向かった。

 腰痛のリュックさんに湿布を渡し、村長のモリスさんには薄毛の薬を、鍛冶屋のジャンさんには火傷と切り傷用の塗り薬を、ついでに研ぎに出していた包丁を受け取り、今日の予定の訪問診療は終わりだ。

 皆に赤くなっているおでこを揶揄からかわれてしまった。

 店に戻ってもゆっくりする暇はなく、子供が熱を出したと駆け込んで来たアリアさんに連れられて容態を確認。熱を下げる薬と体力の付く薬を渡しておく。

 マベルの暮らすこのマベル=グラン村は人口が五百に満たない小さな村。医者は馬車で片道二日ほど行った街まで行かなければ居らず、医療に精通した魔女のマベルは大変重宝がられる存在だった。

 アリアさん宅からの帰り道、広場に何やら人だかりが。

 マベルも釣られて近寄ってみると、見慣れぬ風体の商人らしき男が景気のいい声を上げている。

「さあさあどうですお集りの皆様! これなる品々はここ、西方世界では珍しい物ばかり! それと言いますのも、これらは全て東方でしか手に入らない品物ばかり! それをこの私、遠路遥々艱難辛苦を乗り越えて、命を懸けてこの西方世界まで運んで参りました。この機会を逃せば次はないかもしれませんよ! さあさあ! どうぞご覧あれ!」

 その墨で塗りつぶしたような黒の髪と瞳を持った東方からの商人が、地面に広げた布の上に様々な商品を並べていた。

 商人の言う通り、確かにそれらは見た事のない品物ばかりだったが、それが果たして本当に東方の物かどうか、判断が付く者は村人の中には居なかった。

 そこにひょっこり顔を出したマベルは、東方の珍しい品々と聞き、遠目から眺めるだけの心算つもりだったのを、村人たちを掻き分けて最前列まで突っ切って来ていた。

「お! お嬢ちゃんどうだい? 何か気になる物があるかい?」

 ジッと真剣な眼差しで、マベルは並べられた品々を吟味していく。

 特に薬の材料になりそうな物を重点的に。他にもないか商人に尋ねた程だ。

「そうですね。コレとコレとコレを下さいな」

 マベルが選んだのは薬の原料になる東方固有の植物系素材ばかり。

 東方の素材は地理的な面からこの西方では非常に希少。この機を逃す手はない。

 マベルの選択に、商人は驚きの表情を浮かべていた。

 商人が並べている品の中には、西方では珍しい磁器製の食器や、絹の織物、鮮やかな彩りの髪飾り等々、もっと女性が好みそうな品々が沢山置かれていたからだ。

 事実、村の女衆はそれらの品々を興味深げに眺めていた。

 しかしマベルはそれらを一瞥しただけで、選んだのは中でも最もマニアックな商品。商人としても一応並べて置いただけで、薬の原料となる素材は元々、街や都の医師に売りに行く心算でいたのだ。

 そんな驚いた様子の商人に、集まった村人が得意気に言った。

「この子はな、ウチの村自慢の魔女様だからな!」

「へえ! こんな可愛らしい子が!」

「そうだろそうだろ!」

「もう! お世辞はいいですから! 商人さん。お幾らですか?」

 集まっていた村人皆から褒めちぎられ、恥ずかしそうにして居る様がまた可愛らしい。

「かぁーっ! 流石は魔女様だ! 商人顔負けの商売上手じゃないか!」

 周囲の村人に聞かせるように声を張り上げた商人が何を言っているのか分からないマベルは小首を傾げていたが、商人は気にせず小芝居を続ける。ここが商機だと見抜いていたのだ。

「魔女様の可愛さには負けたよ! 一つ銀百のところ、三つ合わせて銀百でどうだい?」

 商人が提示した額はマベルが知る現地価格とほぼ同等、東方から運んで来た事を加味すれば、驚くほどの格安。それを三つで銀百とは、投げ売りにも程がある。

「買います!」

「そう来なくっちゃ!」

 即金でマベルが手渡すと、商人は更におまけまで付けていた。

 ホクホク顔で帰っていくマベルを笑顔で見送る商人と、お互いの顔を見合わせる村人たち。

 その後、商人が並べていた品々は適正価格で飛ぶように売れて行った。


「たっだいまー!」

 結局マベルが家に戻ったのは、夕刻前。予定より一時間ほど遅くなっていた。

「遅かったじゃないか」

 言葉とは裏腹に、ノワールには心配していた様子は微塵もない。

「じゃじゃーん! 良い物をゲットしたぜ!」

 マベルが商人から買った品を得意気に見せると、ノワールも少し目を見開いた。

「へぇ。本物とは珍しいねえ。で? 幾らしたんだい?」

「何と! 全部で銀百! 全部でだよ!」

「そりゃあ良かったねえ。あんたにそれを売った商人も喜んでただろうさ」

「良く分かったね」

「どうせあんたの事だ。銀百と言われて飛びついたろ? 村で愛されてる魔女様が飛び付いて買うほどとなれば、品も価格も保証されたようなもんさ。後はもう商人の言い値で飛ぶように売れたろうさ」

「へー。そこまで考えてるなんて、商人さんは凄いね」

 魔女であるマベルは商人の手管てくだには然程興味がないようで、買った素材を並べて「うーん」と悩み始めていた。

「面白い顔をしても何も出やしないよ」

「そんな顔してない! 何の薬にしようかと思ってたの!」

「また傷薬にでもしとけばいいじゃないのさ。最近良く売れてるしね」

「そうだけど、最近そればっかり作ってるから……」

「おーおー何だい。魔女様ともあろう者が、薬作りに飽きていらっしゃる!」

「飽きてる訳じゃ! ……なくもないっていうか……、なんと言いますか、折角だし新しい薬に挑戦してみたいなぁとか……。ね?」

「新しい毒の間違いじゃなければいいけどねえ」

 強制的に独り立ちすることになってから早一年。魔女の修業を始めてからは約十年。魔女としてはまだまだ駆け出しのヒヨッコ。既存の薬ならば問題はないが、新作となると失敗の方が多く、それで何度痛い目に逢ってきたことか。

 しかしそれで懲りたりするようでは魔女失格。ましてや毒と化した薬で死んでしまうようでは三流以下である。魔女たるもの、その程度の備えはしていて当然。何のための魔法であろうか。

 ただ、その点マベルは違った。魔法が一切使えないマベルにとって、毒は致命的である。マチルダが居た頃はマチルダが、独り立ちしたての頃は姉弟子たちやマリア、マルガが駆け付けて治療をしていたのだが、余りにも懲りずへこたれないマベルの為に、あらゆる毒物を無効化する魔法を掛けた指輪を贈っていた。

 ちなみにその指輪は、姉弟子から戴いた大切な宝物として、マベルの部屋の宝箱に大切に仕舞われていた。

 それを見たときの姉弟子の顔といったら……。

 今では強引に右手の中指に嵌められた上に、絶対外せない魔法まで掛けられてしまっていた。

 そんな様々な苦労の果てに、既にマベルは従来品を超える効果と安全性を持った薬を幾つも開発していた。

「失敗を恐れる者に──」

「成功は訪れない」

「もう! 私のセリフ!」

 マベルが好きな、マチルダの口癖の一つをノワールに横取りされて、少々ご立腹。

「よし決めた! 半々で分けとこー」

 保管庫に仕舞って戻って来ると、長さが三十センチ程の細い木製のスティックを手に取って外へ出る。

 道から見えない様に家の裏手に回り、片づけてあった的を立てれば準備は完了だ。

 何の準備か?

 マベルは魔女である。すなわち、魔法の練習である。

 魔力が皆無なマベルには、魔法を使う事は出来ない。それでもマベルは、『魔法はちょっと苦手なだけ』と主張し、こうした練習を欠かす事はなかった。

 魔力は後天的に生み出せる様にはならず、その量も生まれつきの物であり、こればかりは才能という他ない。努力では決して埋められない溝だった。

 それでもマベルは魔法の杖を構え、マチルダの教えの通りに意識を集中させ、望む結果を想像し、創造する。そして言葉に魔力チカラを篭めて解き放つ。

 火花一つ、そよ風一つ、起きる事はない。

 それでもマベルは一心不乱に、的に目掛けて杖を振り続けていた。

 そんな様子をノワールは窓からじっと眺めながら、マチルダがマベルに渋々魔法を教授していたのを思い出すのだった。


          ◇


「ししょー! まほーをおしえてください!」

 初めてマベルがマチルダに魔法を教えて欲しいとせがんだのは、五歳の頃だった。

「師匠と呼ぶな! ママかお母さんと呼びな!」

 そう言って叱るマチルダは、当然マベルに魔力がなく、魔法が使えない事は百も承知。元より魔法を教える気などなく、極々普通の娘として育てる気で居たのだった。

 元々マベルは、五年前に偶然見かけた夫婦から託された娘。

 夫婦は急に高熱を出したマベルを街の医者に診てもらうべく、馬車に乗っていた。

 そしてその馬車が、運悪く賊に襲われた。

 良くある事ではないが、さりとて珍しいという程でもない。

 馬車の乗客達は全員、金品を奪われた上で殺されていた。

 夫婦も例外ではなかったというだけだ。

 一つ違ったのは、致命傷を負った母親の息がまだ残っていた事。

 そしてそこに、少し虫の居所が悪かったマチルダが偶々たまたま通りかかった事。

 マチルダは腹癒はらいせに盗賊たちを蹴散らした。別に人助けをしようと思ったわけではない。結果としてそうなったというだけに過ぎない。

 しかしそれは、死を悟った母親には僅かに残された最後の希望。

「どうか……この子を……」

 そう言って、腕の中に必死に庇っていた我が子をマチルダに差し出すと、それで力尽きたのだろう、返事を聞く事無く息を引き取った。

 困ったのはマチルダである。

 そんな心算はない。ないと言ったらない。しかし、どんなに文句を言っても聞いてくれる相手は居ない。

「ええい。くそっ。どうしたもんかな……」

 そこに居るのはマチルダと、高熱で苦しそうな表情を浮かべる赤子だけ。

 何の事情も知らず、何の罪も責任もない赤子を、このまま放置するのは流石のマチルダも心が痛む。

 とはいえ、だ。

 逡巡しゅんじゅんしながらも、とりあえず病の治療くらい、そして里親を探すくらいはしてやるかと心に決め、そっと伸ばした手を、その赤子がきゅっと握った。頼りない力で、しかし、必死にすがるような、懸命に生きようとする力強さを感じさせた。

 その瞬間の事を、マチルダは帰ってからノワールに語った。

『私はこの子に魔法を掛けられちまったよ』

 と。

 それから五年、高熱を出した病は医術に精通したマチルダの適切な処置により翌日には収まり、その後はすくすくと成長していった。里親も探す事はせず、自身が引き取り育てていた。あくまで普通の娘として。

 それだというのに、突然のこれである。魔女である事は隠していたはずなのにという思いと、誰がバラしやがったという思い、つまりは『何でバレた!?』と動揺していた。

 傍から見ていたノワールからしてみると、何であれでバレないと思っていたのかはなはだだ疑問だったので、バレるのは時間の問題でしかなかった。

 何かあると無意識に魔法を使ってしまうほど魔法が染み付いているマチルダに、魔法を一切使わず魔女である事を秘密にしておく事など、土台無理な話だったのだ。

「はあー……。何で魔法なんか使いたいんだい?」

「マ……じゃなかった。ししょーみたいなすてきなまじょになるの!」

 マチルダは快楽派の魔女の首魁。世間一般ではお世辞にも素敵な魔女などではない。

 良い事も悪い事も、気のおもむくまま、楽しい事だけを好きなように、好きなだけやって生きて来た。魔女なんて生き物は、結局は根っこは皆同じだと誰よりも知っている。

 だからこそ、マベルを真っ当に育てる為の手本として、まるで正道派の様な、いやそれ以上に品行方正な暮らしを送っていた。

 絶対に魔女にはしない。私が認めた──これは絶対外せない──男に嫁ぎ、幸せな家庭を築いて穏やかに暮らす。いずれマベルの子供たちに「おばあちゃん」なんて呼ばれるのかね、なんて、そんな将来を夢見てさえいた。

 そんなマチルダだったが、元がマベルに魅了されて育て始めた口だ。真っすぐな目で見つめられれば、どちらに軍配が上がるかなど論じるまでもない。

「マベル。あんた、魔女がどういうモノか分かって言ってるのかい?」

「まほーでみんなをたすけるの!」

 その答えにマチルダは、なんて良い子に育ったんだい、と感激して心で泣いていた。

 だが、そんな顔を見せる訳にはいかない。

「マベル。良くお聞き。魔女ってのはね、自由なんだ。何モノにも縛られずに生きる。それが魔女ってモンさ。アレはいい、コレはダメとかね、そういうのとは無縁の生き物なのさ。要は自分勝手な連中の集まりさ。だからね、あんたには──」

「じゃあすきなだけたすけていいんだ!」

「え……? いや、うーん……そういう事じゃないんだが。いや、しかしそういう事に……なるか……」

「やったー! わたし、いっぱいひとだすけするまじょになる!」

「え、あー……」

 飛び跳ねて喜ぶマベルに、マチルダは降参したようだった。

「ししょー! よろしくおねがいしますっ!」

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