一章 魔女のマベルは友達が欲しい! ①

 魔女マベルの朝は早い。

 村で一番に起き出す事からマベルの一日は始まる。

 が昇るより一刻程も早く目を覚ましたマベルは、寝ぼけた様子もなく、真っ暗な家の中で手早く着替えを済ませると、背中に籠を一つ背負い一人星明りだけを頼りに、家の裏手にある山の中へと入っていった。

 足元も覚束おぼつかない山道を、マベルは慣れた足取りでドンドンと奥へと進んでいく。マベルが急ぐのには理由がある。陽が昇ると採集が出来ないたぐいの素材を集めるためだ。マベルは目的の草花や樹液、雫などを手慣れた様子で次々と採集し、星々の光が太陽に飲み込まれるまでには籠が一杯になる程の成果を上げていた。

 空が赤から青へと移ろい始めるころ、村の人々が起きだしてくる。

 山から手近な道へと降りたマベルが、帰りの道すがら出会った村の人たちと挨拶を交わすのも日課の一つだ。

「おはようございます!」

「おはよう。マベルちゃん。今日も朝はようから精が出るのう」

 今日は村で二番に早起きな農夫のリュックさんに元気良く挨拶し、にこやかに手を振りながら家へと急ぐ。籠は暗幕で覆ってはいるけれど、余り陽の下に居ると折角の素材がダメになってしまうからだ。

 家に戻ったマベルは早速今朝の成果を地下の貯蔵庫に、用途別に分別してしまっておく。それが済んだら朝食の支度だ。帰り道の道中で汲んでおいた水を大釜に移して火をおこす。沸くのを待っている間に、慣れた手つきで手早く材料を切っていく。下拵えが済んだところで大釜から沸かしている最中の湯を汲んで手鍋に移し、沸騰するまで加熱すると材料を投下。柔らかくなるまで煮込んで味を調えれば、朝食用のスープの完成だ。

 大釜はそのまま火にかけてある。あれは今日一日使う分だ。

「よし!」

 日曜に焼いてもらったパンの残りと、スープを木の器に盛れば朝食の準備は完成だ。

 ここ西方世界では聖マティヤフの教えの下、六の日で一週とし、六週で一の月、十の月で一年としている。週は光を示す日曜から始まり、土水火風の四元素をなぞらえ、闇を示す月曜で結びとされている。

 マベルはいつも日曜に纏めて一週間分のパンを焼いてもらうのが常だった。

 朝食の準備が整うと、待ってましたと言わんばかりに家の奥から同居人が姿を現した。

「おはよ! ノワール!」

「ふわぁ……。おはよう。今日もあんたは元気だねぇ。結構結構」

「うん! あ、朝ごはん出来てるよ!」

 そう言うとマベルは平たい木の皿にスープを盛ると、床に置いた。

「じゃ、頂くよ」

 ノワールは床に置かれた皿に舌を伸ばして、スープを堪能する。

 これは同居人に対する嫌がらせではない。

 床でスープを嘗めているのは、艶やかな黒毛が特徴的な、猫だからだ。

 ただしこの猫は、人語を解し、人語を操る。魔女の使い魔である。

 朝食を済ませると、ノワールは日当たりの良い窓辺で日向ぼっこ。マベルも一休み、かと思いきや、再び籠を背負って家から出て行ってしまった。

 早朝とは別のルートで山へと分け入り、今度は陽の出ている間にしか採れない素材を集めていく。小一時間ほど採集して籠を半分ほど埋めると下山。採集した素材を、今度は家の奥にある工房に運び入れ、種類ごとに分類して並べていく。追加で必要な素材を地下の貯蔵庫から運び出し、準備は完了だ。

 部屋を閉ざして陽の光を遮った工房のなかに、明かりは壁に掛けられたランプだけ。ただそのランプは特殊な物のようで、他の部屋にあるランプとは違ってすす臭さや獣臭さはなく、明るさも段違いだ。

「じゃ、今日の分、ちゃちゃっと作っちゃいますか!」

 大釜から汲み出した湯で素材を煮出し、その間に他の材料をすり潰し、混ぜ合わせ、それを再び煮詰めていく。

 火にかけた鍋を、長い木の棒で焦げ付かない様にかき混ぜる。

「ひぃ~ひっひっひー……」

「何馬鹿な事やってるんだい」

「きゃあ!」

 突然の闖入者ちんにゅうしゃ──ノワールに、可愛らしい悲鳴を上げながら驚くマベル。

「もうっ! 脅かさないでよ!」

「知らないよ。あんたが魔女ごっこなんかしてるからだろう」

「ごっこじゃないもん! 魔女だもん!」

「はいはい。それよりあんたにお客さんだよ」

「え? あ……今ちょっと手が離せないから、中で待っててもらって」

「そんな事だろうと思って、もう待たせてるよ。まあ、客といったって例の二人さね。待たせときゃあいいのさ」

 そう言い残して、ノワールは尻尾をフリフリ、元居た日当たりの良い窓辺に戻っていく。

 マベルが工房から出て来たのは、ノワールが来客を告げてから半刻ほど経った頃だった。


「御免なさい! お待たせして! マリアさん、マルガさん! 最近傷薬の注文が多くって」

 ガバっと頭を下げて謝罪するマベル。

「良いのよ。私こそ忙しい時間にお邪魔して御免なさいね」

「そーそー。勝手に来たんだ。お前の都合に合わせるさ」

 来客用の椅子に行儀良く腰掛けている白の神官服を纏った清楚な女性がマリア、行儀悪く椅子の上で胡坐をかいているのがマルガだ。マルガの服は黒を基調としたセパレートタイプの服で、女性の大事な部分以外をほぼ隠せていない、娼婦もかくやという服装だ。マベルからすれば最早服ですらない。裸以上に恥ずかしい格好である。

「ところで今日は何の御用ですか?」

「マベルちゃんの顔を見に」「マベルが元気にしてっか気になってな」

「もう! またですか? こないだ来たばっかりじゃないですか」

 二人の子ども扱いに怒って見せるマベルだが、そんなものは只のポーズでしかない。

 マベルは大先輩である二人の事をとても尊敬しているからだ。

 何せマリアは正道派のトップ。マルガは邪行派のトップである。

 世に千年魔女ミレニアムとして名をせる、三大魔女の内の二人であった。

「師匠、やっぱりまだ見つかりませんか……?」

「御免なさい。マチルダが本気で隠れているとなると、見つけるのは難しいわ」

「あんにゃろう。こーんな可愛い弟子をほったらかして、何考えてんだ」

「あんな小芝居までして、何がしたかったんでしょう?」

 マベルが師匠と呼ぶのは、三大魔女の一人である快楽派の首魁マチルダだ。

 昨年公開処刑された、あのマチルダで間違いはない。

 だが、ここに居る誰一人としてマチルダが死んだなどとは思っていなかった。

 なぜなら真なる魔女は、肉体を滅した位では死んだりしないからだ。そんな事は魔女の弟子であるマベルは当然理解しているし、二人に至っては言うまでもないだろう。

「それが分かれば」「苦労はねぇ」

「ですよね」

 行方不明の師匠を探してもらって早一年。まるで手掛かりのない状況に、時折ふと、泣きたくなるほどの寂しさを感じる事もある。一人前の魔女として独り立ちした今、師匠の一人や二人居なくなったくらいで泣いてちゃいけないと、分かってはいるんだけれど……。

 立派な魔女として活動している九人の姉弟子たちは、師匠が消えた事など露ほども気にしてなかったし。むしろ清々しさすら感じさせていたような……。

 マベルは深く考える事を止めた。

 姉弟子たちはミンナイイマジョ。

「ねぇ。ノワールは何か知らないー?」

 ノワールにそう尋ねるのも、もう何度目か。

「知ってたらとっくに教えてるよ」

 体を起こしたノワールはトコトコと、玄関の方へと歩いていく。

「そんな事よりまた客が来てるよ」

「え?」

 ノワールが前足で玄関の戸をテシっと叩くと、あら不思議。戸が独りでに開いた。

 流石使い魔といったところか。

 開いた戸の向こうには、少し驚いた表情を浮かべた男が一人立っていた。

 年の頃は四十過ぎ、筋骨隆々、熟練の戦士といった風情だ。背中に大きな弓を背負っているのが印象的だ。

「失礼する。こちらにマチルダ・グランサージュの弟子が居ると聞いてきたのだが……」

「あ、いらっしゃいませ!」

 村では見かけないダンディなおじ様の登場に、いつも以上に元気よく応対するマベル。

 マベルが余り背が高くないとはいえ、男の肩までしかない。一八〇は優に超えるだろう。マベルを見下ろすそのいわおのような表情、見るからに歴戦の強者といった佇まい。マベルは急に愛用のローブのしわや匂い、髪の乱れや薬品の匂いなどが気になって来ていた。

「なんだ『射手いて』じゃん」

「こんな所でお会いするとは、珍しい事もありますね」

 二人の大魔女はその男を知っている様で、気軽に声を掛けている。

「貴女達か。貴女達こそ……いや、おかしくはないか」

「あ……あの!」

「ああ。済まない。私はヴィクトル・ランベール。独立審問官をやっている。マチルダの弟子がここに居ると聞いてきたのだが、知らないかね?」

「ど……独立審問官っ! それに二つ名持ち……っ!」

 ヴィクトルの自己紹介に目を輝かせるマベル。質問の方は聞こえていないようだ。

 そのよくある少女の反応に、ヴィクトルは目を細めて薄く微笑んだ。

(黒のローブ姿で現れたこの少女がそうかと一瞬思ったが、この子ではないな。扉を開けた使い魔には相当な魔力が篭められている。つまり使い魔の主人であろうマチルダの弟子は相当な使い手ということになる。マチルダの弟子であれば当然だろう。その点この子には魔力が全くない。余程の節穴でもない限り、この子が魔女だなどと勘違いする者は居ないだろう。魔女の魔女たる由縁である魔法も使えないのではな)

 独立審問官であるヴィクトルの、冷徹にして正確無比な観察眼はマベルをそう評した。

「独立審問官が何か知ってんのか?」

 少し揶揄からかうような調子のマルガの問いに、マベルは直ぐ様反応した。

「知ってるに決まってるでしょう!」

 フンフンと興奮気味のマベルは勢いよく語りだした。

「独立審問官と言えば歩く裁判所! その権限は広く、逮捕から刑の執行まで独断で行う事が認められている教会保有の最強戦力! 求められる強さは比類なく、気高きこころは揺ぎ無し! 悪しき魔女は言うに及ばず国や領地をまたいで、圧政を敷く王や貴族、犯罪組織さえも叩き潰す。更には時に、所属しているはずの教皇すらをも断罪するその絶対正義! 弱きを助け、強きをくじく! 子供たちの憧れの職業ナンバーワンですよっ! 最っ高にカッコイイじゃないですかっ!」

「「めっちゃ早口やん」」

「ハッ……!」

 マベルの絶賛に流石のヴィクトルも苦笑を浮かべている。

「確かにそういった面もあるが、私は君が言うほどのそんな大それた人物ではない」

 謙遜するようなその言葉に、お前こそその代名詞の一人だろ、と心の中で激しくツッコむ大魔女二人。ヴィクトルは現役の独立審問官の中でも、その功績は頭一つ抜き出ており、歴代の中ですら既に五指に入る。

 そんなヴィクトルをキラキラとした目で見上げるマベルに、これ以上ヴィクトルに入れ込むのが面白くない二人が、そんな事実を教えるわけもなかった。

「もう一度尋ねるが、マチルダの弟子を知らないか?」

「はい! 私です!」

 今度はちゃんと聞いていたマベルが、ヴィクトルに元気よく返事をする。

「ん?」

「へ?」

 今なんと言った? そんな疑問符が浮かんでいるのが分かるほど、ヴィクトルはおかしな表情を浮かべていた。

 魔女の弟子は魔女である。当然の事だ。

 特に快楽派の首魁であるマチルダの九人の弟子たちは、全員が全員『千年魔女ミレニアム』級と言われるほどに強大な魔力ちからを持った魔女たちばかり。それだけの魔力そしつを持った者しか弟子にしてこなかった証である。まかり間違っても魔力が皆無な者を弟子にする筈がないのは、これまでのマチルダ自身の行動が証明している。

 ──筈だった。

「君が、マチルダの、弟子。そう言ったのか?」

 一言一言、嚙砕くように尋ねるヴィクトルに、マベルはこれもまた即答する。

「はい! 私がマチルダ・グランサージュの十番目の弟子。マベル・グランサージュです!」

 これにはヴィクトルも、困惑ではなく驚愕の表情を浮かべた。

 グランサージュの姓はマチルダと同じだ。他の弟子たちはグランサージュの姓を名乗ってはいない。つまり、この目の前の少女はそれだけ特別だという事だ。

 一瞬マチルダの娘か? という線も浮かんだが、魔女は子を生さないという事を思い出し否定する。

 ヴィクトルはそれでも納得がいかないのか、二人の魔女に視線をやると、「その通り」と言わんばかりに二人が頷くのを見て、無理矢理自分を納得させるしかなかった。

 肩の辺りで切り揃えられた煌めく銀髪、くりくりとした透き通る水のような蒼い瞳は可愛らしく、肩までもない身長も相まって、小動物的可愛さもある。コロコロと変わる表情は常に愛嬌に溢れていて、見ている人の心を和ませる。

 着ているのは確かに古典的な魔女の衣装である黒一色のフード付きのローブだが、女の子が魔女のコスプレをするのは特に珍しい事ではない。

 女の子だけに限定すれば、憧れの職業の一位は昔からずっと魔女が独占している。

 魔女のコスプレをしている店番の娘だと思っていたのが、実は探していた当人だったとは。

 俺もとうとう焼きが回ったか? いやいや、これは流石に分からんだろう。とヴィクトルが自己弁護をしている事など知ろうはずもないマベルが、にこやかに尋ねる。

「ヴィクトル様、本日は私にどういった御用でしょうか? お仕事の御依頼でしょうか?」

「ん? ああ……いや……。近くを通りかかったから、近頃噂になっているマチルダの弟子に会ってみようかと思っただけで、何かこれといった用があるわけではない」

「はあ……。私が……? 何か噂されるような事がありましたか?」

 西方世界各地で勝手にとんでもない期待を掛けられている事など露とも知らないマベルは、只々首を捻るばかり。

 ある意味その当事者と言える二人の魔女はといえば、マベルの家兼店舗で茶をしばいている始末。

 そういう意味では、期待に応えていると取る事も出来る。

 魔女を良く知るヴィクトルは、噂の真偽を確かめに来た訳ではなく、自分の知らない強力な魔女を確認しておくかというくらいの、軽い気持ちで訪れてはいたのだが、その結果がこれである。

 二人の魔女は揃って「シー」と口に指を当てて、ヴィクトルに黙っているようにと合図を送っている。

 どうやら噂の事は本当に伝えていないらしい。

 ヴィクトルとしても、こんな幼気いたいけな少女に余計な事を吹き込む気は毛頭ない。

「うむ。中々質の良い薬を作っているとな。私の様な仕事の者は度々魔女の薬に世話になっているからな。腕の良い魔女の評判はどうしても耳に入って来る」

 つらつらと、表情をピクリとも変えずに、実しやかな嘘を並べ立ててみせる。

「ホントですかっ!」

 ヴィクトルの言葉にマベルは顔を綻ばせる。

 花が咲いたような笑顔とは、正にこの少女の為にある言葉だなと、ヴィクトルは柄にもない感想を抱いていた。

「あ! 少々お待ち下さいっ!」

 ペコリと一礼したマベルは、慌てた様子で奥に引っ込むと、奥の部屋からドタバタと賑やかな音を響かせる。

 待つこと数十秒──。

「すいません。お待たせしました!」

 マベルは掌サイズの、薬の入れ物としては少し大きな容器を持って戻って来ていた。

「二年ほど前に作った傷薬ですが、まだ全然使えます! 師匠にも認めてもらった自信作ですので、良かったら!」

 ズバっと勢いよく、ヴィクトルに向けて傷薬が収められた容器を差し出す。

 見覚えのある容器にノワールが思わず起き上がり、口を挟もうとしたが……止めた。

 顔を朱く染め上げ、体を震わせながら、精一杯自分なりの想いを届けようとしているマベルを見て。

 ノワールは「ヤレヤレ」とでも言うように、首をすくめて再びうずくまった。

 マベルの想いを察しどうしたものかと、少し困り気味のヴィクトルであったが、直ぐに気付く。選べる選択肢などないのだと。


『断ったらコロス』


 二人の大魔女による無言の圧力が、そこにはあった。

 流石にヴィクトルも『千年魔女』二人を相手にする気にはなれない。ましてやその内一人は、聖女として名の通っているマリアだ。分が悪いにもほどがある。

「有難く頂戴するとしよう」

「はいっ!」

「それでは私はこれで失礼するとしよう。もし何か困ったことがあれば、私の名を出してコレを教会の者に見せなさい。その時は直ぐに駆け付けよう」

 そう言ってヴィクトルは印章をマベルに手渡した。

 その印章は精巧に弓矢の形が彫られた物で、横にはヴィクトルの名も彫られており、ヴィクトルと所縁のある者であるという証明にもなる物だった。

「あ……」

もっとも、私の助けなど、君には必要ないかもしれんがな」

 そう言うヴィクトルの視線の先には、二人の魔女が居る。

 どこに行ったのかは知らないが、マチルダも弟子と危機と知れば姿を現すだろう。

「そんなこと! ありません! ありがとうございます! 大切にします!」

 手渡された印象を、大切そうに胸に押抱く健気な様子に、ヴィクトルの手が思わずマベルの頭に伸び、ポンポンと落ち着かせるように軽く叩いていた。

「…………っ!」

「では、さらばだ」

 マベルと視線を合わせ、フッと微笑んでヴィクトルはマベルの店から去って行った。

「はうっ……!」

「あっ!」「マベル!」

 何かに慌てる二人の声が聞こえたのを最後に、マベルの意識は闇に沈んだ。

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