魔女のマベルは自称魔女!

はまだない

序章

 の光を一筋も通さない漆黒の雲が空を覆い、真昼だというのにも関わらず夜の様な暗闇に包まれていた。いつ雷鳴が轟き、大粒の雨を降らせてもおかしくはない様相だというのに、雨粒は一粒として落ちては来ない。これから行われる事を邪魔しない為であるかの様に。

 プロット王国の王都ピラの中央広場には、そんな悪天の中だというにも関わらず、広場が埋め尽くされるほどの人が集まっていた。

 広場にはあちこちに篝火かがりびかれ、広場を煌々こうこうと照らしている。

 広場の中央には高さが三メートル程の丸太が立てられ、その周囲には柵が設けられていて多くの兵士達が警備にあたっていた。誰もそれ以上近づけない様に。

 中央に立てられた木には一人の女が縛り付けられていた。

 女は着衣を認められておらず、裸のまま、丸太の天辺から垂らされた縄で両の手首を縛られ、その上で重ねた掌を貫通させた杭で丸太に打ち付けられていた。それだけではない。腰も縄で丸太に固定され、両の足も縄で縛り付けた上でこちらも、杭で丸太に固定されていた。その徹底振りからは絶対に逃がすまいとする、強い執念を感じさせた。

 掌から流れる血は体を伝い女の体を赤く染め上げ、両の足からの血と混ざりあい、地面に真っ赤な水溜まりを作り上げている。

 見るも無惨なその姿に同情する者は、広場には僅かしか居なかった。

 広場に集った者たちの多くが、その時を今か今かと待ち侘びていたのだ。

 市民たちの期待が高まるの待って、広場の奥から一人の男が悠然と歩み出て来た。一目で神官だと分かる祭服を纏った男の登場に、広場のボルテージは最高潮を迎えようとしていた。

 男に続いて更に二人の黒装の神官が現れ、祭服の男に続いて柱の女へと歩み寄る。

 祭服の男がサッと手をかざすと、次第に広場は静けさを取り戻していく。

 唾を飲む音さえ聞こえて来そうな静寂が訪れると、いかめしい顔をした祭服の男が口を開いた。

 広場中に響く、良く通る声で女に詰問する。

「汝、おのが『しき魔女』だと認めるか?」

 祭服の男の言葉に女がどう答えるか。

 事ここに至った以上、結果は誰の目にも明らかである。

 しかしそれでも、女の反応に、広場に集まった者たちの意識は集中した。

 黒装の神官たちも、その一言一句、一挙手一投足を見逃すまいと神経を集中させている。

 女は祭服の男に問われ、ずっと閉じられたままだった眼を開き答えた。

「……はい。……認めます──」

 悪しき魔女と呼ばれた女の体には、無数の傷跡が刻まれていた。

 その生々しい拷問の痕が、女に訪れた苦難を物語っていた。

 女はもう痛みも感じていないかの様で、只々、早くこの苦痛から解放されたいと願っているかの様に見えた。

「先のトーン帝国との戦に於いて、魔法を行使しトーン帝国に加担。皇太子アンディゴ・ルイ・プロットを殺害せしめんと仕向けた事。全て汝の行いであると、認めるか?」

 祭服の男により告げられた魔女の罪状に、広場の群衆は色めき立つ。

 祭服の男の問いに魔女が再び「認めます」と答えると、群衆の興奮はいや増し、「殺せ!」「悪しき魔女に死の鉄槌を!」とシュプレヒコールが巻き起こった。

 祭服の男はそれを直ぐには止めず暫く好きにさせたままにし、頃合いを見て騒ぎを沈めた。全ては男の演出通りであった。


          ◇


 魔女の公開処刑という一大イベントに沸き立つ広場に、商人風の男が騒ぎに釣られて迷い込んで来た。商人風の男は手近な男を捉まえて尋ねて曰く。

「これは一体何の騒ぎだい!」

「あん? 何だあんた、そんな事も知らねぇでここに来たのか!」

 尋ねられた男も怒鳴るような声で商人風の男に答えた。これは男が怒っている訳ではない。周りが騒がしくて自分の声も良く聞こえないからだ。

「ええ! 今日こちらに着いたばかりでして!」

「どこから来なすったんで!」

「東方からです!」

 商人風の男が言う東方とは、大陸の東の事である。大陸の西に位置するプロット王国とは優に一万キロ以上の距離を隔てている。

「おお! そりゃまた随分とまた遠い所から! あんた運が良いぜ! 今から魔女の処刑が行われるってんで盛り上がってんのさ!」

「魔女ですか!」

 商人風の男は魔女というものが何か、よく分からないといった表情を浮かべている。

 それを察した男が、得意げに魔女について語りだす。

「魔女ってのはな! 魔法を使う女の事だ! 女だけが持つ魔力ってやつを使ってな、すげぇ事をするのが魔女って奴さ! とは言っても、だ! 女なら誰でも魔力を持っているってぇ訳じゃねぇ! それも魔法を使える程の魔力っていやぁ、万に一人もいりゃあいいほうってぇ話さ!」

「そんな貴重な人材を処刑してしまうのは勿体ないのでは!」

「ああそりゃそうさ! だが悪さをする魔女を野放しにはしておけねぇ! だからさ! 教会で特別な訓練を受けた審問官様が『悪しき魔女』を捕まえて、慈悲を与えられるのさ!」

「慈悲? ですか!」

「そうだ! 『悪しき魔女』の魂はけがれてっからな! それを浄化して綺麗な魂に還して来世に送り届けるって訳だ! しかも今回捕まった魔女ってのが、『千年魔女ミレニアム』を冠する三大魔女の一人、快楽派のトップ、マチルダその人だってんだからな! 国中……いや! この西方世界中が注目してるにちげぇねぇぜ!」

「そんな凄い魔女なんですね!」

「おうともさ! 快楽派っていやあ魔女三大派閥の中でも最も少数精鋭と名高い連中だ! ただ、とにかく気紛れな連中だって評判さ!」

「他の二つというのは!」

「正道派と邪行派だな! まあこれは名前の通りだ! 正道派の魔女様は俺たち庶民の味方さ! 魔女だからって何でも処刑してる訳じゃないって事を知っておいてくれよ!」

「ええ、良く分かりました! ありがとうございます!」

「おう! 良いってことよ! それより、そろそろ始まるみたいだぜ!」

「その様ですね!」

 二人と広場の群衆の視線の向かう先では、魔女の足元に油を染み込ませた藁と薪が準備されているところだった。


          ◇


「良く己の罪を認めました。これより聖なる炎を以てあなたの穢れた魂を浄化します。悔い改めたあなたの魂は、聖なる炎の浄化により天国へといざなわれる事でしょう」

 それまでとは打って変わった優しい口調で、魔女に微笑みかけている。

 それにほだされた訳でもないだろうが、魔女は虚ろな目のまま決まった答えを返した。

「ありがとうございます」

 と。

 それに一つ頷くと、祭服の男は群衆に向き直り高らかに宣言する。

「これより! 悪しき魔女! マチルダ・グランサージュの処刑を執り行う!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 興奮の坩堝るつぼと化した広場からは、再びシュプレヒコールが沸き起こる。今度はそれを鎮めることなく、運ばれてきた聖火を手に取り魔女の足元に敷かれた藁に点火した。

 十分に油が染み込んだ藁は瞬く間に燃え上がり、その上に敷かれた薪へと燃え広がっていく。

「ああああああああああああああ……っ!」

 炎に焼かれる魔女は苦悶の叫びを上げ、それが更に群衆の興奮を高めていく。

 炎は丸太を這い上がり、魔女の全身を包み込む。

 群衆の興奮は最高潮に達し、魔女が断末魔の叫びを上げようとしたその時、耳をつんざく轟音と共に一筋の光が降り注いだ。

 雷は魔女を縛り付ける丸太を直撃し、魔女をき尽くした。

 突然にして余りの出来事に、群衆はそれまでの興奮も忘れて静まり返り、神官たちも呆然と灰と化した魔女の亡骸を見つめていた。

 逸早く我を取り戻したのは祭服の男だった。

「処刑は成った! 先の雷は神の怒りに非ず! 悔い改めし魔女を迎えに来た天へのきざはしである!」

「おおおおおおおおおお!」

 祭服の男の解釈に得心がいったという訳でもないだろうが、そんな事は些細な問題である。群衆たちにとって大事なのは、悪しき魔女が処刑されたという結果。そのただ一点だけだからである。そこにもっともらしい理由付けが為されれば、それがどんな無理矢理な理屈であろうが、態々わざわざ疑う必要などありはしない。

 魔女の処刑を見届けたとでも言うかのように、漆黒の雲からは大粒の雨が降り注ぎ始めている。

 直ぐに雷雨と化し、群衆たちを家路に就かせる。

 雷鳴と、雨粒が地面を叩く音に搔き消され、一人処刑台の前で体を震わせる少女の叫びを耳にした者は誰も居なかった。

「この茶番は何なんですかっ! 師匠ーっ!」


 時はマティヤフ歴1255年。

 快楽派トップの処刑は一夜にして西方世界を駆け巡った。

 そして暫くの時が経ち、一時の熱狂から冷めた人々はある噂を口にするようになった。

 正道派と邪行派の全面戦争である。

 三派による均衡が崩れた今、これを好機と捉えた正道派による邪行派の一斉弾圧が始まるのではという噂が、まことしやかに囁かれ始めたのである。

 説得力のある理由付けもあってか、何の根拠もない噂は独り歩きし、瞬く間に西方世界へ広まっていった。まるでその噂が明日にでも実現するのではないかという恐怖に、人々は怯え始めていた。

 各国の王侯貴族たちは教会や魔女たちとも協力し、根も葉もない噂だと事態の鎮静化を図ったが、それは全くの逆効果であった。人々はより深く、魔女の対立を確信するに至り、その恐怖の反動が当の魔女たちに向けられようとしていたそんな時、ある噂が流れて来た。

 曰く──、

「快楽派のトップだったマチルダには、秘蔵の十番目の弟子が居るらしい」

「その弟子は、マチルダが最も目を掛けていた弟子らしい」

 というものである。

 マチルダの後継が現れた。

 人々はそう理解し、そして歓喜した。

 これで魔女の戦争が回避される、三派の均衡の復活である、と。

 九尾と呼ばれるマチルダの九人の弟子たちと明確に差別化するため、人々はその姿も名も知らぬ十番目の弟子を、

新たな千年を紡ぐ者サクセサーオブミレニアム

 と呼び、新たな快楽派のトップとして祀り上げた。

 本人の全くあずかり知らぬところで。

 快楽派の新たなトップの誕生の噂が広まり、恐慌が収まったのは実に、マチルダ処刑から一年後の事であった。

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