#6 白い川

 帰りはコイツのお父さんが送ってくれると言う。お母さんが、お茶と茶菓子を差し出す。

「いいから、茶でも飲め。落ち着け」

 俺はズズと音を立てて、ほうじ茶を飲む。

「あ~。落ち着く~」

 コイツはテーブルにを付きながら言う。

「今、帰って未来に得てきたものが今無くても、現状は変わらない」

 続けて言った。

「なあ、オレたち未来に行くことも出来るのか?」

「さあな。意図して出来たわけじゃないし」

 多分、それは不可能だと思った。今まで過去に飛んだことは有っても、未来に飛んだことは一度と無い。

「仮にお前の家のドールが無くなったとしていても、お前の技術は上がってる」

「何故そう言える?」

「秋からの間、お前はずっと登校してなかった。ドール造ってたんだろう」


 図星だった。だが

「あのなあ、あれ一体造るのにどれだけ命削ったと思ってるんだ」

 俺は口を尖らせて言った。

「そんなことより、お前留年するぞ」

「放っておけ」


 お父さんから、そろそろ出発するぞと声がした。

 親の前だから、コイツは『死ねよ』という挨拶はなく「じゃあな」とだけ言った。

 俺はレクサスへ乗り込む。無口なお父さんだとアイツから聞いていた。

「家はどこかな?」

 と、聞かれたので

「高森です」

 と、言ったら驚かれた。

「そ、そんな遠い場所から。いつも有難うございます」

「いえ、そんな全然。恐れ入ります」

 車が動き出した。

「うちの息子と、付き合っているんだよね?」

「え 多分……そうだと思います」

 変な応えだ。

 付き合ってる事に対してではなく、変な応えをしてしまった事に、バックミラーに赤ら顔が映っていたと思う。

「アイツは将来の夢とか、やりたい事が無くってね」

 無口と聞いていた割りには、話すんだなあと、思った。

「大学へ上げたいけど、やりたい事が分からないまま学部を選考させたくはないんだ」

「どうして、そう思うんですか?」

「父である私が、学部の選び方に失敗したからだよ」と、お父さんは少し笑った。

 笑うんだ。そして穏やかな口調だ。

「ただ勤勉なだけでは、進学させる気も無いんだよ」

 続けて言う

「まあ、十七歳でやりたい事が有るっていうのも少ないと思うんだけどね」

 そうか、俺達は学年が下がってるから十八歳じゃなかった。

 有難うございます! 俺は車から出て頭を深く下げた。窓を開けて「またいつでもおいで」と言ってくれた。


 アイツは幸せなことに気付いているのだろうか。お金よりも何よりも、大事なのは家族との良縁だ。



 □□□





 俺は自宅へ戻った。

 ピヨピヨという鳴き声が聞こえてこない。やはり、命あるものは前の世界には戻って来ないか……。

 奥のショーケースからドールを眺める。アレ?

 消えてる作品もあるが。増えてる作品もある。手に取るが、これは俺の作風なのか?


 アイツから着信が来た。

「帰ってみて部屋の中はどうなってた?」

「作品は幾つが消えてるんだけど」

「だけど?」

「造った事の無い作品が増えてるんだ」

 続けて言う

「この作品というのが、俺の造ったものとは思えない」

「そういうのが、並行世界っていうものだろう」

「作風まで変わるのか」

「大丈夫だ、前に造った事のある作品なら今も造れるだろう」

 また軽々しく言いやがって。

 コイツは言った

「今後、過去にも未来にも飛ばない方がいい」

「好きで飛んでるわけじゃない!」

 だから、未来に飛んだことは無いって。そして俺はこう応える。

 俺達は黙りこんだ。


「お前、その橋のある世界に入る前に、何をしているんだ?」 

 それは答えられない。まずい。

 しかし、はぐらかす訳にもいかない。今、ハッキングが出来る能力がある事は伝えづらい。

 しかし、なぜ橋のある世界を知っているのか。

 苦し紛れに俺は言った。

「明日、放課後今日室に残ってくれないか? 重用なことだから明日話す」わかった、とア

 イツは電話を切った。



 次の日の放課後、日差しが室内にかかって教室内は暖かい。他の生徒達がらになって帰った後、俺達は教室へ居残った。

 黒板とは真逆の所に将棋盤と駒があることを知っていた。それを取り出し

「一局しろ」と俺は言う。

「何で今将棋なんだ」

「いいから。すぐ終わる」

 駒を並べて、いざ対局。コイツには闘志があるようだが、俺には全く無い。

 振り駒をして先手はコイツとなった。

 一手目、四間飛車しけんびしゃ

「逆棒銀」

「へ?」

「お前の狙いは逆棒銀」


 勿論、一手目で相手の戦略など、プロでも分かるわけが無い。だが、コイツの狙いだけは俺なら分かる。本来、四間飛車は守りの形。

 しかし、居飛車いびしゃに対して銀将をぶつけた後で、向い飛車むかいびしゃにする。ごく単純だが、攻撃的で破壊力の高い戦法。四間飛車に振るのは、いきなり向い飛車にして戦略を悟られないためのフェイク。

 これをコイツに伝える。

「図星、そう。そのままお前の言う通り。驚くような事は全く無い。これまでに不可思議な現象が、散々起きてきたから。だろ?」

 更に続けた

「これも、お前の今考えたこと」

 少しの間、二人は黙った。


「本当に分かるようだな」

 と、コイツは口にした。

「お前の考えてることだけ、なのだけどな」

 そして、核心に触れた。

「俺が三角公園へ落ちてくる前、お前の考えを読み取っている」

「それは今も危険だろ!」


「今は大丈夫。離れた場所で読み取らないと、それは発動しない」

 キッという目付きでにらんで言った。

「お前、それはいつから?」

「分からない。ただ……」

「俺は未来から来たのかもしれない」

 何故そう言えるかコイツは訊く。

「俺はお前の記憶を辿って、今ここに居る」

「じゃあ未来の記憶は?」

「高校三年の夏からしかない。お前と一緒に居たときの記憶だけだ」

 明日は土曜日だ。

 試験的にお互い自宅で、時間を遡ることが出来るかやってみないか? と尋ねたところ、コイツは乗ってくれた。

 並行世界へ飛ばされる。危険といえば言えば危険だ。過去が変わるのだから。

「過去に行けないときもあったな?」

「ああ。それは失敗したときだ。今度はヘマしない」語気を強めたが、気丈にコイツは

「待て、一度婆さんに話を聞いた方がいいんじゃないか?」と言った。

「いや、自分で決める」

 そうか、とコイツは相槌を打った。

「それと、ここの空間は前に来たような気がする」

 コイツはそう言った。俺もそんな気がしていた。


 明日十時、三角公園へ居てくれと頼み、了承を得た。

 俺はその日、造形をしなかった。過去に戻れば、造ったものが消えている可能性がある。

 前に、というか未来の事なんだが、アイツが進路に悩んでいた。そのとき、たまたま俺は自宅からハッキングして俺の進路である造形師の道を教えてやった。


 アイツが感化された物など、今は無いだろうに。あのときは、ただ考えていることをハッキングしただけ。過去に遡るには集中して、もっと深く深く記憶に入り込む必要がある。

 三角公園へと呼び出したのだから、アイツも寒いだろう。距離的にホットコーヒーが買ってやれないから、百四十円渡しておいた。

 その日、俺は眠れなかった。この今の世界も名残惜しくて。時間を抱きしめるように、朝を待っていた。


 あの海原の空間には、おそらく時間という概念が存在しない。と、思う。確証は無いが。つまり、アイツを待たせることは無い。今回は失敗しないと誓った。



 中へ。入り込む。



 俺は橋の上に立っている。周りの海も、奥の空間も真っ白だ。次にあの大波が来なけれは良いが。 あれ?

 橋を渡ると浅瀬だ。直ぐに右手から大波が押し寄せてきた。俺は橋へ戻り、波が引くのを待つ。やはり大波は来るか。波が引いた後、俺は浅瀬を走った。霧で前がみえづらい。

 失敗すれば大滝まで走って落ちてしまう。橋! 橋はどこだ! 見つけた! 右手から、ま

 た波が遠くから押し寄せてくる。橋も右手前の方にある。急いで浅瀬を走るが、大波に飲まれた。不味い、滝へと流される。

 波に飲まれた俺はその対岸に居た。ここに砂浜があったのか。草木が生い茂っている中、道無き道を進んでいく。何かの野鳥の声が聴こえてくる。


 辺りが白い光に包まれた。眩しい。

 俺は右腕で目を隠した。

 すると、目の前に現れたのはアイツと杖をついた、あのお婆さんだ。お婆さんは言った

「波に飲まれてここへきましたね」はい、と応える。

「進むべきは、あの橋だったのです」

「しかし、あの大波では!」

「例えあの波に飲まれても、岸から橋を目指しなさい」

 コイツは言った。この空間で出会うのは初めてだ。果たして、コイツは本物のコイツなのだろうか。そしてこう告げる

「どうする? 過去に戻る危険のある道か、それとも……」

「それとも?」

 右手に強い光を放つ扉が開いている。ドア一つ分、二人では入れない広さだ。


 コイツは言う

「ここしか今行ける道は無い」

「この向こうには何があるんだ?」

「答えられない」

 お婆さんが言う

「危険を省みて海へ引き返すか、この扉の向こうへ行くか」

 コイツは話を続けて言う

「お前の物語だ。お前が決めることだ」

 頷き、俺は扉の向こうへ歩いて行った。眩い光で押し戻されそうになる。両手で光を受け止めて進む。

 突然、自分の部屋に戻った。時計は午前十時、あのときと何も変わっていない。巻き戻しには失敗したか。

 いや、カレンダーが一昨年の八月のものだ。つまり高校一年生。随分前へと遡ったんだ。

 しかし、アイツに電話をして今日が一昨年の何日か確認しようとしたが……。

 え  わ! 腕が消えていく。どんどんと、体が上から消えていく。叫べない……。喉から上まで消えたから。


 どうしよう。アイツになんて言おう。

 そう考えている間に俺は、この世から消え去った。

 俺の体が消失してから、随分と時間は進んだように思う。俺の体はどこで、一体アイツは何をしているんだろう。

 暗闇の中、時計の音の聞こえる世界に浮遊する意識だけが自分であった。

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