瞬く間に二人の後ろの方の席も埋まっていった。

 開演までまだ一時間以上ある。


 浩がしたり顔で話し始める。


「実はな、山鉾巡行の前日を宵山いうんは昔からやけど、ほんまやったらそのさらに前日を宵々山なんていうことはなかってん」


「そうなん?」


「でもこのコンサートが初めて宵山の前日の夜やったから宵々山コンサートって名付けて、そこから世間一般の人も宵々山っていうようになったんやて」


「へえ、ヒロ君、京都の人ちゃうのによう知ってるわ。なんで京都の人間の私が知らんかったん?」


「いや俺もようは知らんけど」


 やはり浩といろいろ話していると、時間などあっという間に過ぎる。

 ところがその頃になって、とうとうポツリポツリときた。

 まだ根性があれば傘をささずに済むくらいだけれど、雨足はだんだんと大きくなっていく感じだ。


「レインコート、持ってきた?」


 そう言われていたから良江はうなずいた。


「持って来たよ」


「すぐ出せるようにしとった方がええ」


 良江はカバンの中に折りたたみ傘も持ってきてはいたけれど、この人が密集している中で傘をさすのは無理だろうと思われた。

 そのうち拍手喝采が起こって、ステージに司会者が登場した。

 まだ開演時間まで三十分以上あるはずだ。


 その司会者は一応場内整理と注意事項を言うために来たという設定のようだけれど、実質上は延々と楽しい一人語りで、会場は拍手と笑いで沸き上がり続けた。


「あの声、聞いたことある」


 良江が言った。ここからだとステージ上の司会者の顔は遠すぎて判別できない。だが、その独特な声はテレビのコマーシャルなどでよく耳にしている。


「ああ、永六輔や。毎年このコンサートの司会者」


「へえ、坂本九ちゃんの歌の作詞とかしてる?」


「そう。四年くらい前やったかな、まだ俺が京都に来る前やったけど、このコンサートに坂本九ちゃんもゲストで出たことあるって。知らんけど」


 長いトークも終わり、いよいよメインの高石ともやが紹介され、「第10回・宵々山コンサート」は幕を切って落とされた。

 雨も少しだけ強くなってきている。


 コンサートというから良江は、サザンオールスターズのようなエレキギターや電子キーボードで大音量で響き渡るようなのを連想していた。

 でもここでは出演者あるいはグループは基本的にアコースティックギターで、ひと昔前のフォークソングが主流だ。

 洋楽はほとんど聞かない良江は、音楽といえばマッチやとしちゃんなどのたのきんにシブガキ隊などが浮かんでしまう。

 フォークソングが全盛だったのは、良江よりも少しお兄さん・お姉さんの世代だ。

 だが今、ここはまるで第一回のこのコンサートが開かれた十年前にタイムスリップしたようだった。


 まずはトランペットやトロンボーンなどの管楽器とバンジョーが組み合わされた軽快な楽曲や、そこにドラムも加わってジャズミュージックを演奏するバンドも登場し、結構何曲も歌って盛り上がっていた。

 バンド名は園田憲一とデキシーキングスと紹介されていた。

 だがその盛り上がりと比例するかのように雨は激しくなり、暗くなるころには本降りになってきた。

 浩がすぐにレインコートを取り出したので良江も同じとようにレインコートを着用し、フードもかぶった。

 周りのみんなも同じようにしている。

 会場の熱気は雨に負けるようなものではない。司会の永六輔もどんどん観客を煽っていた。

 そしてクライマックスの火入れ式だという。

 篝火の燭台は屋根のあるステージの上の左右に立てられているので雨には濡れてはいない。


「この雨で白朮おけら火、だいじょうぶやろか」


 浩がぽつんとつぶやいた。


白朮おけら火? 白朮おけら火ってあの正月の?」


「ああ。でも神社もこのコンサートのために、毎年特別に白朮おけら火を起こしてくれるんだ」


 それは先程参拝したこの会場のすぐ近くの有名な神社である。毎年大みそかにはその神社で特別な作法で火を起こして薬草である白朮おけらを燃やし、その日を参拝客がもらって帰る。

 人びとはその火で正月の料理の煮炊きをするという、古くからの伝統がある。今でも大勢の群衆が大みそかにはその白朮おけら火をもらいっていくが、本当に煮炊きに使っているかというとそれは疑問だ。

 その正月の風物である白朮おけら火を、神社の厚意でこの真夏のコンサートのためにわざわざ起こしてくれるというのである。

 司会の永六輔の延々と続く長い説明によると今年も無事に白朮おけら火はこの会場に到着しているということで、観客からは歓声が上がった。

 そして大きなたいまつに移されたその火は、無事に燭台の上に点火された。


 そしていよいよこのコンサートのメインステージである高石ともやとザ・ナターシャセブンの登場に、客席は一段と沸き上がった。

 このコンサートの主催者といってもいい存在だ。

 まずはこれから歌うであろう歌詞の朗読が行われた。

 朗読者として岸田今日子という名前の女優さんが紹介されたけれど、良江は何となく聞いたことある名前だなくらいにしか思わなかった。

 だがその朗読は度肝を抜くものだった。感動のあまりあれだけ盛り上がっていた観客席も水を打ったように静まり返り、感動に浸っていた。

 歌の歌詞なのに言葉で朗読されて、魂に直接響いてくる感じだ。

 続いて登場するはずのバンドのメンバーがなかなか出てこない。やっと出てきたと思うと、リーダーの高石ともやが感動のあまり足が床について動かなくなり出てこられなかったのだと言う。

 アコースティックギターとバンジョーの演奏と歌は、いかにもひと頃のフォークソングだ。だが、観客の手拍子とそのリズムに、良江もいつしかのめり込んでその雰囲気に寄っていた。

 陽気に盛り上がる曲、ジーンと心に染み入る曲などさまざまだ。

 もう何曲歌ったかわからないが、良江はほとんど時間を忘れていてあっという間にコンサートも終盤を迎えつつあった。

 もう空は真っ暗で、その暗い空から無数の銀の糸が太く激しく落ちてきている。雨はほとんどスコールといっていいくらいの土砂降りとなり、観客席は舞台に向かって下り傾斜になっているので雨水は舞台の方へと流れ、最前列の舞台の下のあたりはかなりの水たまりになっているようだ。

 そしてそのクライマックスで登場したのは、良江もよく知っている人気歌手の岩崎宏美だった。

 今ちょうど「聖母マドンナたちのララバイ」が大ヒット中だ。

 そしてナターシャセブンのギターの伴奏で、岩崎宏美がナターシャセブンの「街」を熱唱すると、観客席も交えた大合唱になった。

 良江も初めて聞く曲だけど、何とか合わせて一緒に歌った。

 そして思った。

 自分もこの京都まちが好きだ……と。


 遠目だから岩崎宏美の表情は良江には全く見えなかったが、その歌声が涙声になっているのはすぐに感じられた。感激のあまり恐らく今彼女は涙を流しながら歌っているのであろうことは想像できる。

 雨は峠を越えたようで少し小降りにはなってきていたが、まだまだ本降りだった。だが今の良江はここにいるすべての人と同じように、雨など全く意識の外にいってしまっていた。

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