第10話 悲しくて泣いてしまいました。

「ウェッ・・・ウエーン!!」


家に帰って来た私は自室のベッドでうつぶせになると、手足をバタつかせ、大泣きをした。


どうしてこんなことになるまで気づかなかったのだろう。


格好良い響さんと美人な文香さん、大人の魅力を持つお似合いのふたりが出会えば、恋が始まってしまうに決まっているではないか。


響さんに告白しようと決意したばかりなのに、もう失恋しちゃった。


神様、ヒドイよ。


「ウェ・・ウェ・・・ウェーン!!」


「どうしたの?!芽衣ちゃん。」


私の大きな泣き声に気付いた順が、あわてて部屋に入ってきた。


「順・・・やっぱり男の人ってぷにぷにムチムチしてる子が可愛いなんて言ってたって、結局はスタイルの良い女性が好きなんだね。」


「芽衣ちゃん?」


「私、失恋しちゃったぁ・・・。」


やれやれとため息をつきながら私のベッドに腰掛けた順は、そっと私の頭を撫でた。


「その相手ってこの前デートに行った、7歳年上の男?」


「・・・うん。」


「だから言ったろ?そんなオヤジに惑わされない方がいいって。」


「・・・・・・。」


「芽衣ちゃんは可愛くて魅力的な女の子だよ。一番側にいる弟の僕が言うんだから間違いない。」


「順・・・。」


「だからそんなに悲しまないで。今日は僕が夕食作ったから。」


「・・・ありがとう。順。」


ダイニングキッチンへ行くと、テーブルの上にはカレーライスとトマトサラダが並んでいた。


「ごめん。僕、これくらいしか作れなくて。いつも芽衣ちゃんに美味しい料理作ってもらっているから、たまには恩返ししたいと思ったんだけど。」


「ううん。すごく美味しそう。」


私と順は席に着くと、手を合わせていただきますの挨拶をした。


スプーンでカレーのルーがかかったご飯を掬う。


口に入れると、トロピカルな甘みが口の中一杯に広がった。


「甘い・・・私が作るのと味が違うね。」


「うん。隠し味にバナナとココナッツを入れてみた。」


「だから南国の香りがしたんだ。」


「甘すぎなかった?」




「んっ。美味しーー!!」




「芽衣ちゃんの美味しーー!!が出ればもう大丈夫だね。」


順が私を見て、安心したように微笑んだ。


持つべきものはしっかり者の弟だな。


悲しくてもお腹は減るし、美味しいものはその悲しみを和らげてくれる、そう思った。


思えば私は響さんに、ずっと美味しいもので励まされてきた。


フィットネス帰りでの様々な美味しいおつまみの数々、そしてこの前連れていってもらったカロリーオフの甘いスイーツ・・・。


今度は私が響さんを励ます番だよね。


響さんが文香さんを好きなら、私は友達としてそれを受け入れなきゃ。


・・・でも、今はまだ無理。


もう少しだけ時間が欲しい。


時間が経ってこの想いを吹っ切ることが出来たら・・・きっと響さんの恋を応援してあげられると思うから。





私はいつも通りにフィットネスクラブ通いを続けていた。


もう響さんに告白なんて出来ないけど、せめて目標体重になるまではダイエットを頑張ろう・・・そう思った。


響さんとは相変わらず挨拶を交わし、少しだけ話をする。


けれど響さんからの夕食の誘いを、もう3回も断っている。


響さんから、文香さんとのことを聞くのが怖かった。


今日もランニングマシンで汗を流していると、痛いくらいの視線を感じた。


私の目の端に、タオルで汗を拭きながら私を見る響さんの姿が映し出され、私はとっさにその視線を外してしまった。


ランニングマシンから降りると同時に、響さんが私に近づいて来た。


私は小さく頭を下げた。


けれどその笑顔はやはり強張ってしまった。


「芽衣。お疲れ。」


「お疲れ様です。」


響さんの優しい声が私を包み込む。


でも、今はその優しさが辛かった。


「今夜はどう?一緒にメシ。」


「あ・・・えっと・・・今日もちょっと用事があって。」


すると響さんは大きくため息をついてみせた。


「用事・・・か。前回は友達に不幸があって、その前は親戚に不幸があって、その前の前は同僚に不幸があったんだっけ。今日は誰に不幸があったの?」


「えっと・・・」


「芽衣は嘘を付くのが下手だね。」


「・・・・・・。」


「最近、俺のこと避けてるよな?俺、芽衣になにかしちゃった?」


「いえ!響さんは何にも悪くないんです。これは私自身の問題で。」


「何か悩みがあるのかな?俺でよかったら話聞くけど。」


響さんと文香さんの事を考えると、夜も眠れないんです・・・なんてこと本人に言えるわけない。


「・・・大丈夫です。」


「そっか・・・。判った。でももし話したくなったらいつでも連絡して欲しい。待ってるから。」


「・・・はい。」


「じゃあ、またな。」


「はい。また。」


一旦は私に背を向けた響さんが、再び私の方へ振り向いた。


「あ、そうだ。芽衣に頼みたいことがあったんだ。」


「・・・?」


響さんは声を小さくして言った。


「勇吾君に伝えて欲しいことがある。」


「勇吾君に?」


私は首を傾げた。


「なるべく早く文香さんと別れて欲しいって伝えてくれないか。」


「・・・え?」


何を言われているのか、とっさには判らなかった。


「響さんは、勇吾くんと文香さんが別れて欲しいんですか?」


「ああ。」


響さんが深刻な顔をして頷いた。


「俺から言ってもきっと聞いて貰えないだろ?でも芽衣の言葉なら聞き入れてくれるんじゃないかと思うんだ。」


「どうしてそんなことを言うんですか?理由を聞かせて下さい。」


すると響さんは心底困ったような顔をして俯いた。


「それはごめん・・・今は答えられない。」


「・・・勇吾君は文香さんのことが好きなんですよ?そんなこと言えるわけないです。」


私は唇を震わせながらそう答えるのが精一杯だった。


しかし響さんはきっぱりと言った。


「勇吾君と文香さんは釣り合わない。」


それじゃあ、響さんとなら文香さんは釣り合うっていうの?


自分が文香さんと付き合いたいから、勇吾君に身を引けっていうこと?


それを私の口から言えっていうの?


「勇吾くんが可哀想です。」


「・・・・・・。」


そんなに文香さんを独占したいの?


私は心に突き刺さった棘から血を流しながら、泣きそうな顔で微笑んでみせた。


「・・・わかりました。勇吾くんに伝えます。」


「良かった。よろしくな。」


「・・・はい。」


「嫌な役目を押し付けて、本当にごめん。」


「いえ。」


すると響さんはふと思い出したように、さりげなく言った。


「・・・勇吾君って芽衣のこと、メイメイって呼ぶんだな。」


「はい。私と勇吾くんは同じスーパーでアルバイトしていたんですけど、そこのパートの方で「めい子」さんて名前の女性がいて。だからその方は『メイコさん』、そして私は『メイメイ』と呼ばれるようになったんです。」


「ふーん。メイメイ・・・か。」


「羊の鳴き声みたいですけど、結構気に入ってます。」


「なんだか妬けるな。」


「え・・・?」


響さんは片手を頭に当てて、私に背を向けた。


「芽衣の学生時代を知っていて、メイメイなんて呼んで。勇吾君が羨ましい。」


「・・・っ」


「なんてな。」


そう軽く言って私の方へ再び振り向いた響さんは、次の瞬間、驚きで目を見開いていた。


気付くと私の目から涙が溢れていた。


「そういうの、やめてください。」


「芽衣・・・?」


「・・・好きな人がいるくせに、そんな思わせぶりなこと、言わないでください!」


私はそう叫ぶと、逃げる様にトレーニングルームを飛び出した。

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