第9話 好きな人が他の女性と恋に落ちたみたいです。

帰り道。


車は湾岸線に沿って走っていった。


キラキラと光る青い海の向こうの水平線に、みかん色の太陽が溶けている。


響さんは絶景ポイントに車を停めて、ウィンドウを開けた。


潮風が私の髪を揺らす。


私はその美しい眺めにうっとりとなった。


「久しぶりに見ました。海。」


「うん。俺も。」


「今日は美味しいもの食べて、綺麗な景色も見れて、本当に楽しかったです。響さん、ありがとうございました。あとこれ。」


私はバッグの中から、前もって用意しておいた響さんへのプレゼントを取り出し、それを手渡した。


「そんなに気を使わなくてもいいのに。」


「いいえ。いつも美味しいものを奢ってもらっているんだもん。これくらいさせてください。」


「中を見てもいい?」


「はい。」


響さんはそのブルーの小さな紙袋に留めてあるシールを剥がし、中に入れて置いた黒いハンカチタオルを取り出した。


「響さん、ウェアもシューズもブラックだから・・・もし良かったら使って下さい。」


「ありがとう。大切に使わせてもらうよ。」


響さんがいつものように私の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「芽衣に楽しんでもらえて良かった。また一緒に来ような。」


「・・・はい!」


響さんは、再びハンドルを握り、車を走らせた。


その横顔を盗み見た私は、胸の奥がキュンと鳴るのを感じた。


なんだろう・・・勇吾君に対する気持ちとは全然違う。


ただ楽しいだけじゃなくて、切なくてもどかしくて、いつまでもこの時間が終わって欲しくないと思う、切羽詰まったようなこの想い。


響さんが私の本当の彼氏になってくれたらいいのに・・・と切に願っている自分に気付く。


また一緒に来よう・・・それはどういう意味?


友達として?妹として?


そんなの嫌だ。


・・・そうだ。


ダイエットが成功したら、響さんに告白しよう。


もしかしたら痩せて綺麗になった私を、女として好きになってくれるかもしれないから・・・。





勇吾君の彼女、文香さんと会う日がやってきた。


でも堂々としていればいいだけ。


別になんてことない筈・・・と自分を落ち着かせる。


それに響さんだって付いていてくれる。


土曜日の昼下がり、パンケーキが美味しいと評判の喫茶店で、私と勇吾君は向かい合って座っていた。


勇吾君には、澤乃井響さんという彼氏が同席してくれる旨を伝えてある。


でも先ほど響さんからラインが届き、仕事で少し遅れるとの連絡があった。


勇吾君が腕組みをして私に言った。


「その澤乃井って男、本当に来るのか?メイメイ、お前、騙されてるんじゃないか?」


「馬鹿なこと言わないで。ひ・・・澤乃井さんは誠実でいい人なんだから。きっと仕事が忙しいのよ。澤乃井さん、仕事熱心だから。」


「なんの仕事してるんだよ。」


「・・・えーと。」


そういえば、響さんの仕事について、また聞くのを忘れていた。


「なんだよ。彼氏の仕事内容も知らないのか?」


「・・・・・・。」


何にも言い返せない自分が情けなかった。


「・・・そういう勇吾君だって・・・文香さん、来ないけど大丈夫?もう待ち合わせ時間を15分も過ぎてるけど。」


「うーん。文香さん、いつも時間に遅れるんだよな。身支度に時間がかかるって言ってたけど。」


「遅れてごめんなさい。」


いつの間にか、ベージュ色のシルクのノースリーブブラウスにミニのタイトなスカートを履いた女性が私に微笑みかけ、勇吾君の隣に腰を下ろした。


勇吾君の顔がパッと明るくなった。


「メイメイ。こちらが山口文香さん。」


「初めまして。山口文香です。」


文香さんが唇だけで笑みを浮かべ、挨拶をした。


「は、はじめまして。勇吾・・・清水くんの友人の久保田芽衣です。」


文香さんを一目見て、私は女としての負けを認めざるを得なかった。


その整った顔、セクシーな服装とそれを着こなせる完璧なスタイル、たおやかで艶っぽい声。


どうしてこんなに素敵な女性が勇吾くんの彼女に?と思ってしまうくらい、文香さんは女として完成されていた。


文香さんはウエイトレスにコーヒーを頼むと、私の顔を見た。


「芽衣さんのお話は勇吾君からいつも伺ってるわ。とても可愛らしい方ね。」


「そんな・・・。文香さんの方こそお綺麗で・・・。それにその服、とても素敵。」


私は文香さんのノースリーブブラウスに目をやった。


「ああこれ?これは勇吾君にプレゼントしてもらったの。ね?」


「うん。気に入ってもらえて嬉しいよ。」


勇吾君が眉毛を下げ、面映ゆい表情でそう頷いた。


「誕生日プレゼントですか?」


「ううん。デート中にこのブラウスがショーウインドウに飾られてあって、欲しいなあって言ったら勇吾君がその場で買ってくれたの。」


「へえ・・・。」


おねだりしたんだ。


そのブラウスは見るからに高そうで、多分有名ブランドのモノだ。


きっと5万円くらいする代物だろう。


たしかに勇吾君は大手企業のエンジニアでそれなりのお給料はもらってはいると思うけれど、記念日や行事でもないのに、そんなに高価なものをプレゼントするなんて、よっぽど文香さんに入れ込んでいるんだ、と思い知らされた。


スタイルの良い女性は、どんな服をプレゼントされても似合うから羨ましい。


それから文香さんは勇吾君からもらったプレゼントの数々の話や、高級レストランで食事をした時のことを話しだした。


「芽衣さんは勇吾君と長い付き合いなんでしょ?いつもどこで食事しているの?」


「私と清水君はハンバーガーショップがほとんどですね。あとはファミレスとか?」


「へえ。そうなの。」


文香さんは勝ち誇ったような顔を私に向けた。


きっと私にマウントを取っているんだ。


勇吾君は気まずいのか、さっきからコーヒーに口を付けてばかりいる。


「私ね。不安だったの。勇吾君が芽衣さんのことばかり口にするから。もしかして芽衣さんに勇吾君を取られちゃうかもしれないって。」


「文香さん。何度も言ってるだろ?俺とメイメイはそんな仲じゃないって。それにメイメイには彼氏がいるんだから。」


「え?そうなの?」


文香さんが少し驚いた顔をした。


「はい。」


私はここぞとばかり胸を張った。


「実は、今日もここへ顔を出してくれる約束なんです。」


そう言いつつ、私はスマホの時刻表示を確認した。


響さん、まだ仕事かな。


そろそろ来てくれないと、場が持たないよ。


そう思っていると、私の肩にポンと大きな手が置かれた。


「芽衣。お待たせ。」


響さんの低い声が、私の耳元で囁かれた。


仕事帰りだからか、グレーのスーツに黒いネクタイを締めた響さんは、いつも以上に格好良かった。


響さんは私の隣に座ると、暑いのかジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めた。


「どうも。芽衣とお付き合いさせてもらっている澤乃井響です。よろしく。」


響さんの存在感に、勇吾君も文香さんも少しの間固まっていた。


しばらく4人で歓談しているうちに、話題作の映画の話になった。


それは「ヤクザVSヴァンパイア その命、頂戴します」というホラーなんだかコメディなんだかよくわからない映画で、特に男性の間で大人気の作品だった。


「あのヤクザの発砲シーン、格好良かったですね。」


「ヤクザなんてそんなに格好良いモンじゃねえぞ?」


男二人は映画の話で盛り上がっていた。


ふと文香さんの視線が響さんの手の辺りで止まっていた。


文香さんは何をそんなに凝視しているのだろう?


私が訝しんでしると、文香さんがその答えを言葉にした。


「澤乃井さんのその腕時計、とても素敵。」


たしかに響さんの右腕には、文字盤カラーがブラックでステンレススチールが使われた、見るからに高そうな腕時計がさりげなく嵌められていた。


「ありがとうございます。オヤジに就職祝いで貰ったモノなんですよ。」


「澤乃井さんによくお似合いだわ。」


文香さんはその美しい瞳で、じっと響さんの顔をみつめた。


その視線に気付いた響さんも文香さんをみつめ返した。


響さんの真剣な眼差しが文香さんの顔をじっと捉えた。


「こういうのデジャブっていうのかな。」


澤乃井さんが嬉しそうな顔をした。


「文香さんとはどこかでお会いしたような気がします。」


「ええ。私もそう思っていたところよ。」


そしてふたりは微笑み合った。


それって・・・前世からの運命的な出会いってこと?!


そのワンシーンは、ふたりだけがわかり合えている、瞳だけの会話が成り立っているように思えた。


それからの響さんは、心ここにあらずといった風で、ずっと黙り込んだかと思うと、また熱い眼差しを文香さんに向ける、その繰り返しだった。


「私、お手洗いに行ってきます。」


文香さんがバッグを持って席を立った。


すると間髪入れずに響さんも「俺もちょっと」と言って文香さんの後を追って行った。


私はすぐに気づいてしまった。


響さんは文香さんに恋したのだ。


この短い時間の中で、ふたりは恋に落ちたのだ。


きっと今頃、私達に隠れて連絡先を交換しているに違いない。


思った通り、響さんと文香さんは微笑み合い、なにかを話しながら、ふたり仲良く席に戻って来た。


そんなふたりを間近で見せつけられ、途端に息苦しくなった。


私の胸はキリキリと痛みを訴えていた。


鼓動が早くなり、脳が思考停止を求めている。


いま見せられた一連の出来事が夢であって欲しいと心が叫んでいる。


でも・・・そっと目を閉じて再びゆっくりと目を開いても、それはまぎれもなく現実だった。


ふと勇吾君を見ると、呑気な顔でコーヒーを飲んでいる。


・・・馬鹿な勇吾君。


あなたはきっと近い将来文香さんに捨てられる。


そして私の恋も・・・エンドロールを迎える。


文香さんは、私にはもう何の興味もないようだった。


「じゃ、俺達そろそろ。芽衣、行こうか。」


響さんが私を促した。


「はい。」


私も席を立ちあがった。


「今日はわざわざありがとうございました。」


思い出したように勇吾君が頭を下げた。


「芽衣さんに会えて良かったわ。・・・澤乃井さんにも。」


文香さんはそう誘うような声で響さんをみつめた。


「俺も文香さんに会えて良かったです。」


響さんも文香さんに熱っぽい眼差しを投げかけた。


店を出た私は響さんに探りを入れるようにつぶやいた。


「文香さん・・・綺麗な人でしたね。」


「ああ・・・そうだな。」


響さんは上の空でそう返事をした。


響さん・・・文香さんの事、好きになっちゃったんでしょ?


そんな言葉が喉の奥で行き場を失くしていた。


「芽衣と食事に行きたいと思っていたけど、急ぎの仕事が入った。悪い。じゃ、またな。」


響さんは何かに気を取られたようにそう言うと、足早に私の元から去って行った。



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