第5話 「友達になって」と言われました。

私は本屋さんで、体重計を売っている会社の社員食堂のレシピ本を買った。


そのレシピは全部500キロカロリーで計算されているのだ。


主菜は肉、魚、豆腐などの高タンパク質な食材をなるべく揚げず、焼いたりゆでたりして料理する。


そして野菜はたっぷり取り、お腹を膨らませるために汁物も付け加える。


今夜の夕食は鶏肉のバジルソース、春キャベツの和え物、中華風スープ。


「最近の夕飯の献立は本当にヘルシーだね。芽衣ちゃん、ダイエット頑張ってるんだ。」


順が感心したようにそう言いながら、バジルソースを指で舐めた。


「そうよ。私だってやるときはやるんだから。」


そう言いながら順のお茶碗に白飯を大盛り入れてあげる。


でも私の白飯はちゃんとキッチンスケールで重さを計る。


100グラムで168キロカロリー、これが私の一食分の白飯の量なのだ。


献立を食べる順番にも気を使っている。


初めに糖質の一番少ないものから食べる。


なぜなら最初に食べたものの吸収率が一番高いからである。


だから野菜・汁物・タンパク質の多い肉や魚・そして最後に炭水化物であるご飯を食べる。


ビールやアルコールも飲みたいけれど、炭酸水で我慢。


もちろん甘い物やデザートは目標体重に到達するまでお預けだ。


「芽衣ちゃんのことだから、三日坊主で終わるかと思っていたけど、ちょっと見直したよ。」


「そう?えへへ。」


・・・実は私もそう思っていた。


食べることが大好きで、運動が嫌いな私にダイエットなんて続くはずないって。


でもフィットネスクラブは案外私の性分に合っていたようで、少しづつ慣れていくにつれ、いつの間にか身体を動かすことが楽しくなっていたのである。





私はあれから3日に1度のペースで、フィットネスクラブへ通っている。


トレーニングプラン通りに筋トレをして、その後ランニングマシンで有酸素運動をする。


それに加えて、スタジオで行われるヨガやストレッチのクラスにも参加するようになった。


ちなみに澤乃井さんは決まって毎週金曜日の夜に、フィットネスクラブを訪れる。


私のようなゆるい筋トレだけではなく、バーベルを使った激しいウエイトトレーニングをして滝のような汗を流し、その後ランニングマシンで走るのがルーティンのようだ。


私はサイクリングマシンで音楽を聴きながら、なんとなく澤乃井さんの姿を目の端でそっと捉えるのが習慣になってしまっていた。


自分以上に頑張っている人を見るのは励みになる、というのは建前で、澤乃井さんのカッコイイ姿は目の保養なのだ。


そして時には自分から澤乃井さんに挨拶をして、筋トレのコツなどを教えてもらったりするようにもなった。


その日の金曜日も、私は音楽を聴きながらランニングマシンで汗を流した。


設定時間を走り終わり、トレーニングルームの隅にあるベンチに腰掛け、タオルで汗を拭きながら、いつものように澤乃井さんの姿をキョロキョロと探した。


筋トレマシンにもランニングマシンにもいない。


もう帰っちゃったのかな・・・と思っていると、頭の上から低い声が降ってきた。


「誰か探してんの?」


ハッと見上げると澤乃井さんが私を見てにやりと笑っていた。


「えっ?いや、あの、えっと・・・」


「もしかして、俺?」


そう図星をさされて、わたしの顔はゆでだこのように赤くなった。


「ち、違うんです。澤乃井さんのフォームが綺麗だから、いつも陰ながら参考にさせてもらっていまして・・・」


「ふーん。そうなんだ。」


澤乃井さんは嬉しそうに白い歯を見せた。


「もうトレーニングは終わり?」


「は、はい。」


「この後、何か用事ある?」


「いえ。特になにも・・・。」


「もし嫌じゃなかったら、メシ付き合ってくれない?一人で食うのもなんだか侘しいから。」


「わ、私なんかで良ければ。ぜひ・・・」


気が付くと、意中の人に誘われた乙女のような受け答えをしていた。


いやいや、本当にそんなんじゃなくって。


「じゃ、20分後にビルの入り口で待ってる。」


そう言い終わると澤乃井さんはトレーニングルームを出ていった。


「わわわ・・・!!!」


私は急いでシャワーを浴び、髪を乾かし、ロッカールームで服に着替えた。


今日の私の服はピチピチの黄色いTシャツに、ダボっとしたカーキ色のチューリップスカート。


大きな胸が目立って、きっと太って見えてしまうかも。


こんなことならもっと女の子らしい服を着て来ればよかったと、ちょっぴり後悔した。


髪を後ろでお団子にし、スポーツバッグを持ってビルの入口へ急ぐと、グレーのシャツに黒いジャケットを着た澤乃井さんは、もうスマホを見ながら私を待っていた。


「スミマセン!お待たせしました。」


「全然。じゃ、行こうか。」





澤乃井さんに連れられて入った店は「ささ木」という創作料理の店だった。


扉を開けるときっぷのいい女将さんが「いらっしゃいませ~」とカウンターから出て来て声を掛けてくれた。


カウンターの奥ではスキンヘッドの男性が気忙しく働いている。


私と澤乃井さんはカウンター席に案内され、肩を並べて座ることになった。


「とりあえず飲み物頼もうか。俺は生ビール。芽衣は何飲む?」


生ビールと聞いて、私は思わず生唾を飲み込んだ。


でも・・・今、私はダイエット中の身なのだ。


「私は・・・ウーロン茶で。」


「酒、飲まないの?童顔だけど、ハタチは過ぎてるよな?」


「23歳です。アルコールも実は大好きなんですけど、今はダイエット中なので。」


「・・・ダイエット、か。じゃあつまみもそれなりのモンを頼まないとな。」


澤乃井さんは女将に向かって片手を挙げると、飲み物といくつかのつまみを注文をした。


すぐに飲み物が運ばれてきて、私と澤乃井さんは、お互いのグラスをカチンと合わせた。


「お疲れ。」


「お疲れ様です。」


澤乃井さんは豪快にジョッキに入った生ビールを、美味しそうに喉を鳴らしながらその肉体に流し込んだ。


そして温かいお手拭きで顔を拭いた。


そんなオヤジっぽい仕草も、澤乃井さんがすると、なんだか色っぽい。


「そんなにみつめんなよ。照れる。」


私の視線に気付いた澤乃井さんは、その言葉とは裏腹に照れた様子もなく私をみつめ返した。


「みつめてませんってば。」


その真っ直ぐな瞳に、私の方が照れてしまい、視線を外してしまう。


「もうフィットネスクラブには慣れた?」


澤乃井さんの柔らかい声音に、私は頷いた。


「はい。もうほとんどの筋トレマシンを使いこなせるようになりました。」


私は一か月のお試し期間が過ぎた後も、1万円の利用料を払い、クラブに通っていた。


「筋トレを頑張るのはいいけど、回数をやり過ぎても疲労を蓄積させるだけだから、ほどほどにしとけよ。」


「そうなんですね。気を付けます。」


そうこうしているうちに、おつまみが運ばれてきた。


野菜と鶏肉の串刺しやかぼちゃのコロッケ、サイコロステーキ、そして私の為にトマトサラダや鶏の蒸し焼きも頼んでくれていた。


澤乃井さんはまたもや豪快にサイコロステーキを口に運んだ。


私も冷たくてフレッシュなトマトの輪切りを箸で挟んで口に入れた。


「これも食ったら?野菜だけなんて身体に悪いだろ?」


そう言って澤乃井さんは、私の前にかぼちゃのコロッケが乗った皿を置いた。


「え、でも」


「いいから。」


「・・・じゃ、いただきます。」


私はその揚げたばかりのかぼちゃコロッケを箸で切り分け掴むと、口の中へ入れた。


アツアツでカリカリな衣の中に、甘くてほっこりとしたかぼちゃが入っている。


「んっ」


あまりにも美味しすぎて、思わずいつもの口癖が飛び出してしまった。




「おいしーー!!」




「ぶはっ」


私の声を聞いた澤乃井さんが後ろを向きながら噴き出した。


「はははっ!芽衣、美味そうに食うんだな。」


「スミマセン!うるさいですよね!」


「いや・・・全然いいと思うよ。そういうの。」


そう言いつつも、澤乃井さんがずっと笑い続けているので、私はまたもや赤くなった。


「仕事はなにしてんの?」


やっと笑いが治まった澤乃井さんが、鶏肉を食べ終わった後の串を置くと、私に尋ねた。


「家電メーカーのお客様対応係にいます。いわゆるクレーマー対応みたいな仕事です。そのストレスを食欲にぶつけちゃって、その結果体重が増えちゃったみたいで。でも情けないことに、弟に太ったって言われるまで自分では気が付かなかったんです。」


「ふーん。前も言ったけど、芽衣、そんなに太ってないけど。」


「いやいや。そんなことありませんって。」


「むしろ、痩せないで欲しいくらい。」


「え?」


「俺、ムチムチでぷにぷにな子がタイプだから。」


「・・・デブ専ってヤツですか?」


「デブ専とはまたちょっと違うかな。」


そう言って澤乃井さんは天を仰いだ。


私は思い切って、常日頃から思っていたことを尋ねた。


「澤乃井さんはどんなお仕事をされているんですか?いつも忙しそうですけど・・・」


フィットネスクラブでの澤乃井さんは筋トレの途中でも、スマホからの呼び出しで慌てて帰っていく。


「まあ・・・しょっちゅう呼び出される仕事、とだけ言っておこうかな。もっと仲良くなったら教えてやるよ。」


「仲良くって・・・」


すると澤乃井さんは箸をテーブルに置いて、頬杖をつきながら私の顔を覗き込んだ。


「男どものロッカールームでの最近の話題は、芽衣のことで持ち切りだ。可愛い女の子が入ってきたってね。だから俺は他の誰よりも早く先手を打つことにした。」


「・・・・・・?」


澤乃井さんは真剣な目で私をみつめた。


「芽衣を初めてみたときから気になってた。真面目だしで素直だし可愛いし・・・芽衣の事がもっと知りたくなった。芽衣、俺と・・・。」


え?


これってもしかして、告白・・・?


ちょっと待って。心の準備がまだ・・・


私はギュッと目を瞑った。


その時、後ろのテーブルに座る学生の集団が「わあああ!!」と大きな嬌声を上げて、澤乃井さんの声がかき消された。


「・・・・ず」


え??


「友達になって。」


私はゆっくりと片目を開けた。


「・・・はい?」


「ええと、ほら・・・俺、職場は男しかいないし、そもそも男子校育ちだから女友達っていないんだよ。俺に近寄ってくる女ってどうも色仕掛けが露骨で萎える。でも芽衣はなんていうか・・・話しやすいし、本音で話してくれるし、俺も自然体でいられる。芽衣が話しかけてくれると実はすごく嬉しかった。俺は芽衣より7つも年上のなんの取り柄もない男だけど・・・嫌か?」


そう言って澤乃井さんは上目遣いで私をみつめ、照れ臭そうに笑った。


び、びっくりしたぁ!


なんだ。トモダチ・・・か。


そうだよね。


私みたいなぷに子はやっぱり友達止まりだよね。


なんかちょっとガッカリ・・・。


そのうち澤乃井さんからも、勇吾君みたいに女性絡みの相談を持ち掛けられたりするのかなぁ。


そしたら・・・ショックだなぁ。


でも私はそんな思いなどおくびにも出さずに、微笑んでみせた。


「嫌なわけないです。もう全然、ウエルカムです!」


「良かった。じゃ、改めてよろしく。」


「はい。こちらこそよろしくお願いします。」


そして私は澤乃井さんと固く握手を交わした。











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