第4話 フィットネスクラブにカッコイイ人がいました。

そのフィットネスクラブは、「ファイト&ビューティ」という名称で、職場の最寄り駅から1分もかからないビルの3階にあった。


小さなエレベーターに乗って3階に着くと、広いフロア―が見渡せ、受付にはオレンジのウエアを着て髪をアップにした小柄な女性が立っていた。


「こんにちはぁ!」


突然、その女性に大声で挨拶されて、私はビクッとしてしまった。


体育会系の人は元気だな、このノリに付いていけるかな、と少々怖気づく。


しかしここまで来てノコノコと帰るわけにはいかない。


私は意を決してその受付女性に声を掛けた。


「あの・・・お試しで入会したいのですが。」


「はい!お試し入会ですね!ではご説明いたしますね!!」


その受付女性は白い用紙を二枚出して、一枚目に書かれている諸々の説明を読み上げ始めた。


設備やロッカールームの使い方、禁止事項、お試しの1ヶ月が過ぎた後にかかる料金などを丁寧に読み上げたあと、二枚目の用紙を私の前に置いた。


「ではこちらにお名前や住所などの個人情報をお書きください。決して悪用や流出はさせませんのでご安心を。」


私は促されるまま、名前や年齢、住所や連絡先の電話番号などをボールペンで記入していった。


そしてその用紙を受付女性へ手渡した。


「ありがとうございます。では本日からご利用頂けますが、如何なさいますか?」


こういうことは勢いが大事だと思い、私は受付女性に告げた。


「じゃあ、今日からお世話になります。」


「了解しました。ロッカールームは廊下を出てすぐ手前にございます。久保田様、頑張りましょうね!」


受付女性はそう言って両手でガッツポーズを作り、私を送り出してくれた。





早速ロッカールームへ入り、あらかじめ用意してきたスポーツウエアに着替えた。


まずは形から入ろうと思い、アディダスショップでピンクのTシャツと紺色のハーフパンツ、そして白いシューズも購入した。


Tシャツが思いのほか身体にフィットして、胸が目立ってしまうのが少し気になったけれど、この際仕方がないと諦めた。


肩まで伸ばした髪を、黒いゴムで後ろ一本に結ぶ。


タオルと財布が入ったポーチを持っていざ出陣、トレーニングルームへと足を踏み入れた。


そこでは老若男女が、それぞれのやり方で身体を動かし鍛えていた。


思わず圧倒されて、私は立ち竦んだ。


いきなり肩をぽんっと叩かれて振り向くと、オレンジ色のウエアを着たインストラクターの男性が、私を見てにっこり笑った。


「はじめまして!本日仮入会の久保田芽衣様ですね?」


「は、はい。」


「当クラブではご入会の方に、初めにボディドッグを受けて頂き、久保田様にピッタリのトレーニングプランをご提案させて頂きます。その為に少しだけお時間頂戴してもよろしいでしょうか?」


「はい。よろしくお願いします。」


私は小さなテーブルの椅子に座り、簡単なアンケート用紙を記入していった。


そこには健康面に対する不安や運動経験、生活リズム、クラブに通う頻度やその時間、そしてクラブに通う動機などが問われていた。


少し恥ずかしかったけれど、嘘を書いても仕方がないので、素直に「ダイエットの為」と動機の欄に記載した。


アンケートの記載が終わると、体重測定だった。


体重まで知られちゃうの?


聞いてないよぉ・・・と思いながらも、渋々体重計へ乗った。


少しでも減っていてくれないかと思ったけれど、家で測った時と同じ数値が弾き出されて、小さくため息をつく。


そんな私の態度など気にもとめないインストラクターの男性は、アンケート用紙を眺めながら無邪気に私に問うた。


「ダイエットが目的ですね。どれくらい体重を減らしたいんですか?」


「ええと・・・5キロくらいは痩せたいです。」


「5キロですね。まあ焦らず、少しづつ減らしていきましょう!」


「ハイ。」


「ちなみにどの部分を重点的に痩せたいですか?」


どこもかしこも痩せたいです、と言いたいのを抑え、私は無難に答えた。


「お腹です。あとは太ももとかも。」


「了解です!」


しばらく待つと、インストラクターの男性は、一枚の用紙を私に手渡した。


それは「トレーニングプラン」と書かれた用紙だった。


そこにはさきほど私が乗った体重計から導きだされたと思われる、体重や基礎代謝量や筋肉量などの私の身体のカルテと、私の為のトレーニングプランの提案が記載されていた。


私がおすすめされていたのは、数個のトレーニングマシンと、ストレッチやヨガのクラスだった。


「なるほど・・・これの通りに運動すればいいのか。」


私はそのトレーニングプランの用紙を穴が開くほど読み込んだ。





軽く体操をしてから、とりあえずアダクターというトレーニングマシンに挑戦してみることにした。


これは太ももの内側の筋肉を鍛えるマシンだと、トレーニングプランには書かれてある。


マシンに座って背筋を伸ばし、両膝の内側にパッドを当てる。


そして膝の内側でパッドを押して、股関節を閉じる。


これを繰り返し15回。


太ももの内側がつりそうに痛い。


けれどなんとか目標回数をやりとげた。


そして背筋を鍛えるマシン、腹筋を鍛えるマシンなどを続けて行う。


「んっ!」


小さな声でそう気合を入れた。


そしてついに、ランニングマシンに挑戦だ。


私はランニングマシンに乗り、慣れない手つきでスタートボタンを押した。


すると急にスピードが出て、止まらなくなってしまった。


「え?え?」


スピードを落としたいけれど、どのスイッチを押せばいいのかわからない。


どうしよう、どうしようとあたふた足を動かしていると、突然ランニングマシンの速度が遅くなった。


「???」


ふと横を見ると、黒ずくめのウエアを着た背の高い男性が、私のランニングマシンの速度ボタンを下げてくれていた。


男性は少し呆れたような顔をして、私に言った。


「初心者なのにスピード上げ過ぎ。転ぶぞ?」


「スミマセン!スミマセン!ありがとうございました!でも、初心者って、なんで・・・」


「見てれば判る。初めて見る顔だし、マシンの使い方もたどたどしいし。」


(・・・もしかして私、浮いてる?!)


両手で頬を挟みながら、小さな声でそう独り言をつぶやいた私に、男は笑いを堪えながら言った。


「この時間帯は常連ばかりだから新入りは目立つの。ただそれだけ。」


先生が生徒に諭すようにそう言うと、その男は自分のランニングマシンへ戻っていった。


私はその若い男が、真剣な表情でランニングマシンを走るその横顔をみつめた。


長い前髪を右サイドに流した黒髪、笑った時に柔らかく細める優し気な瞳、少し厚ぼったい唇を持つその顔は、精悍で男の色気を放っていた。


ほどよく筋肉がついた身体も、当然のように引き締まっている。


「カッコイイ・・・私も頑張らなきゃ。」


私は今度こそスピードを出し過ぎないように、ランニングマシンでゆっくりと走り続けた。





このフィットネスクラブにはお風呂があり、汗で濡れた身体をすぐに洗い流すことが出来た。


私はゆっくりと浴槽につかり、疲れた手足を伸ばした。


「あー極楽、極楽。」


お風呂からあがり、備え付けの体重計に乗ってみると、なんと500グラム減っていた。


「よおし。この調子で頑張ろう!」


スッキリした身体を来た時と同じジーパンとTシャツで包み、受付フロアの隅にある休憩コーナーの椅子に座って、無糖炭酸水を喉へ流し込んだ。


「ふぅ。」


私が一息ついていると、隣の椅子に紺のスーツにグレーのネクタイを締めた男が座った。


「お疲れ。」


男は目を細めて微笑み、私の顔を覗き込んだ。


ランニングマシンで私を助けてくれた、イケメン黒づくめ男だった。


「あ!お疲れ様です。」


「初日にしてはえらく頑張ってたじゃん。」


「そうですか?初めてなので、ペースがまだよく判らなくて。」


「そのうち判ってくるよ。君、ちゃんとプラン通りにやってるみたいだし。」


私は男に向かって、再び深く頭を下げた。


「あの、さきほどは本当にありがとうございました。助かりました。」


「別に、大したことしてねえし。それより明日は筋肉痛で大変だと思うよ。」


「筋肉痛・・・ですか。」


「見たところ運動慣れしてないみたいだし。大方、ダイエット目的で入会した口だろ?」


「バレちゃいましたか。私、食べるのが大好きなので、ダイエットしないとどんどん丸くなっちゃうんです。」


すると男は、私の身体を不躾に上から下まで眺めた。


こころなしか、胸のあたりを見る視線が少し長かったように思ったのは気のせいだろうか?


「女ってさ、全然太ってないのに、どうしてダイエットしなきゃって大騒ぎするんだろうな。君だって、それでいいじゃない。」


そう言うやいなや、男は私のTシャツの袖から出ている、右上腕のたるんだ部分を「ぷにっ」とつまんだ。


「ぎゃっ!な、何するんですか!」


しかし男は私の抗議をものともせず、平然と言い放った。


「女の身体はぷにぷにしてるほうが可愛いと思うけどな。」


その言葉に私は口を尖らせ、つい拗ねた口調になってしまった。


「・・・男の人ってすぐそういうこと言いますよね。君はそのままでいい、女はぽっちゃりしてた方が可愛い・・・なんて言ってても、結局彼女に選ばれるのはスレンダーでスタイルの良い女性なんです。」


私は勇吾君のことを頭に浮かべながら文句を言った。


けれど男は眉一つ動かさず言った。


「嘘じゃないよ。俺はモデルみたいなやせ細った女になんか興味ないけど。」


「そんな言葉、にわかには信じられません。」


「なんかこじらせてんね?失恋でもしたの?」


「・・・・・・。」


「ふーん。図星?」


・・・どうせこの人だって、女優さんみたいにスタイルの良い彼女がいるに決まってる。


「俺、澤乃井響サワノイヒビキって言うんだけど。君、名前は?」


「久保田芽衣です。」


「へえ。芽衣、か。可愛い名前だね。よろしくな、芽衣。」


いきなりファーストネームを呼ばれて、胸がドキッとした。


え・・・この人、もしかして海外生活が長い人、とか?


さっきの「ぷにっ」といい、他人との距離感、バグってない?


私の脳内がパニックになっていると、澤乃井さんのスマホが鳴った。


「やべ。仕事の電話だ。じゃ、芽衣、またな。」


澤乃井さんはそう言うと、勢いよく椅子から立ち上がり、スマホに耳を当てながら足早にフィットネスクラブから去って行った。


「澤乃井響さん・・・か。仲良くなれたらいいなぁ。」


私はスーツ姿の澤乃井さんの広い背中を見送りながら、そうつぶやいた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る