祖母の最も恐ろしい話
蘭野 裕
祖母の最も恐ろしい話
祖母は関東大震災と戦災を両方とも経験したが、その話をすることは滅多になかった。
思い出すのが辛いからだという。
その一方で、語り継ぐことが使命だと考える人々がいる。辛いからこそ誰かに聞いてほしいと思う人々もいる。
非常事態への備えとして、機会があれば耳を傾けるほうが良いのではないかと思う。
というのも自分が情報を得たくなったとき、話したがらない人しか身近にいないからといって、無理に話してもらう訳にはいかないのだ。
(子供のころ、お年寄りから戦争や災害の話を聞く宿題が出なくて良かった)
辛い記憶の扱い方は人それぞれで、共通の正解などない。
同じ人の同じ出来事でも、あるときは話したくないが、べつのときに聞いてほしくなることも当然あるだろう。
祖母もごくまれに関東大震災の話をしてくれたことがあった。
昔のことで、私は聞かせてもらうことの貴重さに無自覚だったこともあり、頭のなかで空襲の話と混ざってしまっていた。
けれど確かにあれは1921年9月の関東大震災の話だ。祖母の母親も一緒にいる場面だから。
火の手が迫るなか、母親に手を引かれ大急ぎで橋を渡って避難した。父親とは別行動だったようだ。
橋の上もその前後もひどい混雑で押し潰されそうだ。
炎の熱に耐えかねて、岸辺や橋の上から川に飛び込む人も大勢いる。川面まで人で一杯になっている。そうした人の大半はそのまま亡くなってしまっただろう。
人がどんどん飛び込んで来るので水で身体を冷やすどころか、ぶつかり合うばかり。水に入れば入ったで浮かんでくる余地がほとんど無いからだ。
言うまでもなく、飛び込むことも橋を渡りきることも出来ず炎にまかれて亡くなる人も多い。
地獄だ。
この地獄を、子供だった祖母と若かった曽祖母、曽祖父はどうにか逃げ延びた。
祖母はお嫁に来てから、1945年3月10日の東京大空襲で両親を喪っている。
* * *
祖母の母親の話を、なんでもないときに茶飲み話に聞いたことがある。
「めそめそしていると、『泣き虫はキライだよッ』て叱られたもんだよ」
懐かしくも、どこか楽しそうに語った。
私は泣き虫な子供だったが、祖母からそんなふうに言われたことはない。
けれど、きっと祖母と曽祖母は気風の良さがよく似ているのだろう。
(了)
(2023年3月10日公開)
祖母の最も恐ろしい話 蘭野 裕 @yuu_caprice
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます