第4話 女神の全部、俺のもの
珠玉の女神プラリーヌは、怒りをあらわに手を振りかざす。
人間風情に軽くあしらわれた事にひどくご立腹だった。
「もう一度いう。肥沃なこの大地に実りし作物と、地脈の力をよこすがよい。少々の情けをかけて、お前が生き延びるくらいの糧は残してやろう」
ガレルの方も負けてはおらず、立ち上がりながら笑って返す。
「ははっ。失礼な女神が横暴なことをいいやがる。そんなもんは、自分の地区で賄いやがれ」
「ほう、なかなか粋のよい人間だ。……我も忙しくてな、敷地の全てに力を行き渡らせるいとまが無かったのだ。それでたまたま耳にしたこの地区に白羽の矢を立てたのだ。なので有難く思うがよい」
「ガレル様」と、テルディナが傍まできて耳打ちする。
「――きっと、自分の地区の管理がうまくいってないから、とても豊かなこの地のいいところを根こそぎぶんどろう、ってことですよ」
「あれで仮にも女神だろう? そんなことが許されていいのか?」
「恐らく次の査定でも危ないほど、崖っぷちなんだと思います。左遷手前とか……」
「――って、コラー! 聞こえてるぞ、女神テルディナ! て、適当なコトをいうなっ!」
やや頬を紅潮させ、威厳を崩し始めたプラリーヌが割って入った。
構わず、二人は続ける。
「こっちが肥沃で、あっちが不毛?の大地か。なんか、アレだな。その……体型にもそのまま表れてるって感じだな」
「まあっ……ガレル様。ダメですよ、どこ見てるんですか」
照れつつも、まんざらでもない様子でテルディナが胸に手を当てた。
怒り心頭に発したプラリーヌが身体を震わせると、肌から紅の気体が滲み出てきた。
「――ええい、もういいっ。おのれ、こうなったら実力行使だ。……バラよ、やつらを少し蹴散らしてやるがよい!」
プラリーヌが座り込んでいるイノシシへと命令した。
次いで、「バリよ、もう出てこい! バラと二匹で連携攻撃を行うのだ!」と叫ぶ。
「まだいやがるのか!」
驚きを隠せないガレル、冷静に立ち上がるテルディナは周囲に警戒した。
しかし、未だ現れる様子はない。
木々の奥から激しくぶつかっては飛び散る音、木が倒れる音、不規則な狂気に満ちた鳴き声が近づいてきた。
「バリ、どうしたっ! 何をしておる!」とプラリーヌは今一度叫ぶ。
しかし、珠玉の女神も異変に気付きだした。
「ガレル様、何か毒気に侵されたものが近寄ってきます」
「ああ、俺にも分かる程だ。……森が悲鳴を上げてる様だ」
徐々に迫るその存在は、目前の茂みで脚を止めた。
沈黙の後、すさまじい鳴き声と共に、バラ以上の巨大獣が現れた。
「なっ、何事だ!」
プラリーヌはバリという隠し玉に問いかけるが、返事はない。
主が誰かも忘れたように、荒々しく手当たり次第に突進しだした。
ガレル達の方ではなく、眠りこけるイノシシの方へ走る。
木々を容易く押し倒すその眼光は鈍っていた。
バラは間一髪、突撃をかわす。
だが意識を失っている方のイノシシはかわせない。
荒れ狂うバリは牙と頭部とで、無抵抗のイノシシを罠ごと引きちぎり、跳ね飛ばしてしまった。
大きく弧を描き、地面との衝突音が響き渡る。バラが心配そうな鳴き声を上げた。
「どうした、バリ! 我の声が届かぬか!」
再度命令するプラリーヌに、ガレルが応えた。
「おい、プラリーヌとやら! あいつは毒気にやられてるのかもしれねぇ」
「なんだ、それは!」
「森で稀に落ちている毒性の実さ。普段は俺が処分するが、この騒ぎで見落としたのかもしれない」
「元に戻す方法は!? 我は治癒魔法などは使えぬぞ」と普通にガレルに聞いてきた。
「どうも自分勝手な女神だな。確かに解毒が必要なんだが――テルディナ、そういうのは使えるか?」
「はい。ですが、かなりの魔力と時間を要します」
「すまないがまた頼む。このままじゃ、とんでもない被害になる」
頷いたテルディナは詠唱に入る。
ガレルはプラリーヌへ視線を戻すと、「おい、聞いたか」
「俺がおとりになるから、奴の動きを封じてくれ。できるか?」
「……できる。――我が人間に指示されるとは。だが仕方あるまい」
渋々引き受けたプラリーヌも、空中で詠唱を始めた。
ズボラなだけで、どうやら性根は悪くないらしい。
さて、ガレルに武器らしいものはない。
対抗策は注意を向けさせる程度だ。
意識を集中させ、腰を落とす。
自身の足場からバリまでの一直線に発芽スキルを発動させた。
荒らされた大地の上に緑の絨毯が出来上がる。
「こっちだ、イノ豚!」
バリはガレル目掛けて、怒り狂ったように駆けてきた。
大地を削る音と、風を切る轟音が聞こえてくる。
「ついてこいっ!」
ガレルは距離を取らず円を描くように、女神との位置を伺いながら逃げ回った。
バリとの距離はあっという間に縮まる。
荒々しい息遣いが背後に迫ってきた。
「おぉぉお! プラリーヌ!」
「馴れ馴れしく呼びおってっ! よいぞ!」と紅き力を蓄えた珠玉の女神が答える。
「よし、頼むっ」
『灼熱の障壁(エンシャント ムーラス)!』
四つの魔法陣がバリを囲むと、見上げる程の壁が出来上がった。
凝縮された炎のようで、周辺は燃えていない。
プラリーヌはへたり気味に、地上へと降りてきた。
「よしっ! テルディナはどうだ!?」
苦し気だが、彼女の準備も整いつつある。
今まさに、バリが灼熱の障壁を押し割ろうとしていた。
毛が焦げ、血が出ようとも、狂ったように体当たりする。
壁に亀裂が走ったその時、声高らかにテルディナが右手を天に向かって振り上げた。
『乙女の盃(ヴァージン ホクラーム)!』
光の粒が天より流れ落ち、障壁とバリごと包み込む。
荒れ狂う獣は抗うでもなく、叫ぶでもなく、立ち尽くしたあと静かに崩れ落ちた。
こうして朝の静寂がようやく訪れた。
「テルディナッ!」
ガレルは一心に、女神の元へと駆け寄った。
膝をつく彼女を抱き寄せる。
「大丈夫か!?」
「……うまくいきましたか?」
「ああ、全部お前のおかげだ」
「……良かったです」
力を使い果たし、蒼白になった女神は力なく答えた。
そして続ける。
「そんな顔をしないで下さい……。女神はこれくらいで死にません……。ちょっと時間が掛かっちゃいますけれど……平気です」
「――俺がそんなに待てると思うか?」
顔を近づけ、今度は笑っていった。
テルディナの瞳をまっすぐに見つめ、その手を握る。
「ガレルさま……?」
「テルディナ、帰れといったのは大嘘だ。
お前の笑顔なしではいられない。
一日も離れたくない。
まだまだ手を繋いで森を歩きたい。
お前の膝枕を独り占めしたい。
毎日お前の料理を堪能したい。
誰にも渡したくない。
まだまだこんなんじゃ言い足りねぇ……。
テルディナ!
俺にはお前が必要だ!!」
肩を震わせてガレルが叫ぶ。
腰の小袋から一塊の果実を取り出すと、彼女の口へと運んでやった。
半透明の果実は、女神の口に触れた途端、形を変えて溶けるように流れ込んでゆく。
女神の身体は温かく包まれ、みるみるうちに顔色が戻ってきた。
見えない力に押されまいと、必死にテルディナを抱き寄せるガレル。
ようやく顔を上げることができた頃、辺りは妙に静かだった。
テルディナはガレルを抱きしめて離さない。
顔は見えないが、とてつもない力で密着している。
「……えっと、テルディナさん?」
「……です」
耳元でかすかに声が聞こえる。
「わたし、とてもしあわせです」
「そいつは俺のセリフだ」
ガレルはテルディナをそのまま抱き上げて立つ。
プラリーヌが疲れた顔で近付いてきた。
「……その、なんだ。色々とすまなかったな。ちょっとやりすぎた」
「ホントだぜ。でもこれで、一件落着だ。……ほら、受け取れよ」
ガレルは残りのペルシカの実を、プラリーヌへと分けて土地に利用するよう伝えた。
彼女は忠実な部下三匹を引き連れ、領地へと戻って行った。
あとは自分の土地と、神界へも送る分とで全て消費する予定だ。
これで綺麗さっぱり無くなるが、最善の方法だと彼は確信している。
少しでも神界が助かる、とテルディナも喜んでくれた。
「今後は本当に、子の名前を考えて下さいね」
「いや、それは気が早すぎるだろ……。ってか許されるのか?」
「さあ、どうでしょう」と目を細めるテルディナ。
「……まいったな」
穏やかな朝の風が吹く中、強く結ばれる二人はとても嬉しそうだった。
俺のモノは俺のもの、女神のモノも俺のもの? 日結月航路 @kouro-airway
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