第3話 珠玉の女神、降臨
その日の晩はガレルが夕飯準備を行い、テルディナも疲れていることから、双方早めの休みに入った。
やがて夜も明けかけた頃、森林を震わせるような低く、すさまじい唸り声でガレルは目覚める。
遠くの方では鳥達が悲鳴を上げるように飛び立ち、室内の家具や壁まで小刻みに揺れた。
勢いよく起き上がったものの、薄暗い室内でじっとしたまま、状況の把握に努める。
それからは間隔をあけて、大小様々な唸り声や鳴き声が聞こえてきた。階下から屋根裏へ駆け上がってきたテルディナが声をかける。
「ガレル様」
「テルディナ、掛かったみたいだな!」
「はい。準備して、参りましょう」
「よし、すぐ行く。……って、お前はもう着替えたのか!?」
「ええ。結界のようなもので予め探知できましたので、ぱっと済ませました」
「……すごいな」
ガレルも手早く着替えを済ませると、晩のうちに準備しておいた道具類を確認する。
といっても、農具や鉄杭、小ナイフ程度でこれといった武器などない。
果たしてあの雄たけびの主に通用するものかどうか。
道具を背負い、身に着けるガレルへ、「心配ありません。私もお手伝い致します」とテルディナがほほ笑む。
「期待してるぜ、女神様の加護ってやつを」
「その前に、お食事を一口食べて下さい」と、テルディナは果物を差し出す。
「お、おう、ありがとう。……なんか力が湧いてくる感じだな」
「よかったです。女神の加護をあなたに」
戸を開けると、東の空が白んでいるのが見える。それとともに、冷たい空気が流れ込んできた。
二人は声のする方へと足早に向かうと、次第に視界もはっきりしてきた。咆哮が近くなり、重い響きが肌に突き刺さるようだ。
獣臭も酷くなってきた頃、眼下の光景にガレルは驚愕した。
「――おいおい、なんだありゃ。化け物級のイノシシじゃないか! しかも二匹いやがる!!」
「そのようですね……。罠にかかっているのは一匹ですが、もう一匹がそれを壊そうとしています」
周辺の木々は小枝のようにへし折られ、複数の穿たれた地形があがいた様子を表していた。
過去に見聞きした巨大イノシシの倍はあろうかという獲物が、狂気したように暴れている。
一回り小さいもう一匹は罠周辺の土を掘り返し、仕掛けごとえぐり出そうとしている。
テルディナが強化しているにも関わらず、その効力が今にも消えそうな程だ。
「テルディナは魔法を使えるか? 罠にかかったでかい方をなんとか抑え込んで欲しい」
「可能です。強力な昏睡魔法をかけてみます」
「よしっ。ならもう一方の奴は、俺が引き受ける。それで準備頼む」
「承知しました。くれぐれもお気をつけ下さい」
二人は互いに頷き合うと、テルディナは詠唱を、ガレルはナイフと杭をそれぞれ両手に構え、斜面を駆け下りた。
罠を破壊するイノシシの背後へ回り込むと、その勢いで跳躍し、背中めがけて鉄器を突き刺す。
一回り小柄とはいえ、分厚い皮と肉へは深手を負わせることはできず、表面へ刺さった程度でダメージはない。
巨体の上にちょこんと乗りかかった状態で、振り落とされそうになるのを、ガレルは必死にこらえる。
跳ねては波打つ背中から打撃を喰らい、鉄器を握る手には血が滲み、おまけに極めて背中は臭かった。
それでもブレる視界の中でテルディナを見つけ、彼女の表情を読み取ろうとする。
両手を広げ、魔力を練るようにゆっくりと胸の前へと押し出すと、準備完了とばかりにテルディナが叫んだ。
「ガレル様、いけます!」
「俺に構うなっ! いけぇ!!」
『抗えぬ睡魔(インティビシオ ノクトゥーラ)!!』
テルディナの両手から光が溢れる。
次いで、対象のイノシシの頭部辺りで薄っすらともやが掛かり、獣が口をパクパクとしだした。
動きは徐々に鈍り、立ち尽くしたのち、その場に倒れこんでしまった。
木々をへし折る音が響き、砂煙がたち込めては風に流されてゆく。
一方、振り落とされそうになっているガレルは体力が限界だった。
「うおぉおぉおぉ……」
「ガレル様、今ゆきます!」
その時、わずか上空で、パチンッと指を鳴らす音が響いた。
この合図でガレルを乗せるイノシシは動きを止め、体勢を低く取ると一気にガレルを投げ飛ばしてしまった。
「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――」
「ガレル様っ!!!!」
虚空に舞うガレルに向かって両手をかざすと、テルディナは見えない手で彼を支え、ゆっくりと地上へとおろす。
同時に軽やかに斜面を駆け抜け、ガレルとの合流を果たした。
「いやぁ、助かったぜ。ありがとな、テルディナ」
「お身体は大丈夫ですか?」
「ああ、小さな傷だけだよ」
「良かったです。あとで治しますね。……それより」
そういって二人は斜面の上へと視線を向ける。
日の光を背に、赤眼赤髪の女が長い髪をなびかせながら宙に浮いていた。
人ではない。
肌露出の多いタイトな紅の装いで、挑戦的な笑みを向けていた。
「あはははっ! 中々楽しませてくれるな、人間よ」
腕を組みながら話しかけてきた声は、美しくも威圧感が籠っている。
女は続けた。
「我はプラリーヌ、西より参った珠玉の女神。この地に実りし作物と地脈の力をもらい受けに来てやった。光栄に思うがよい」
どうやらテルディナと同じ女神らしいが、見た目と態度は真逆で、ガレルは眉をひそめる。
そもそもこのイノシシ達と関係があるようなので、沸々と怒りが込上げてくる想いだ。
「……あれは誰だ、テルディナ。やたらと偉そうだが、知り合いか?」
「会ったことはありませんが、おそらく隣の地区の女神です。ただ、あまりいい噂は聞いていません」
「あれで女神なのか……。お前とはえらい違いだな。でもまっ、この地区がテルディナで良かったよ」
「まあ、ありがとうございます」
「俺さ、見た目も性格も、やかましい奴は苦手なんだよ」
「ふふ、そうですね」
完全に二人の世界に入って無視されていることに、プラリーヌが声を荒げた。
「――いや、お前ら聞いているのかっ!!」
プラリーヌは女神であり、主人である。
忠実なイノシシだけが、恭しくその場に座り込んでくれた。
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