第2話 はにかむ女神は誰のもの

 それから三日後、降り続いた雨はやみ、地盤が元の状態に戻りつつあったので、ガレルは周辺の調査へと出掛けた。

 テルディナが用意した昼食と、必要な道具一式を袋に携え、日が落ちる前には帰ってきた。

 女神であるテルディナは戸口に近づいてくる気配でガレルに気付き、余裕を持って迎え入れてくれる。



「お帰りなさい、ガレル様」

「やあ、ただいまテルディナ」



 最初は驚いてばかりのガレルだったが、もうすっかりこのもてなしに慣れてしまって、今では彼女の笑顔を見ることが楽しみの一つとなっていた。

 魔法といった類のものではないが、女神としての彼女の能力は、配慮が行き届いているというか、生活の中へと自然に溶け込んでいるせいか、違和感を感じさせない。むしろ、心地良かった。

 道具をおろし、室内に持ち込んだ桶で手を洗うガレルの背中へ、テルディナは問いかける。



「今日の森の様子はいかがでしたか?」

「どんどん酷くなってる気がするな。猪……とかの仕業だとは思うんだが、どうもその荒らし方の規模が深くてでかいんだ。それに、仕掛けた罠もうまく避けられてる」



 テーブルにつくと、遠くを見るような、真剣な眼差しでガレルは答えた。

 若干眉間が険しくなっているガレルへ寄り添うように、テルディナは横に立つ。



「そうなんですか……。困りましたね」

「ああ。明日、また回りながらいい方法を考えてみるよ」



 部屋の中ではテルディナの用意した夕食の匂いがほのかに香って、ガレルの胃を刺激する。

 ああ、今晩は何の食事だろう、と気を抜いていた矢先に、明るい声で女神が提案してきた。



「では、明日は私もお供してよろしいですか?」

「テルディナ、お前も来るのか?」


「はい。一人で待っているのは心配ですし、それに私、ガレル様と一緒にいたいのです」

「まあ、構わないっちゃ構わないが……」



 両手を前に重ねた彼女の仕草に目をやると、その手を取って山を歩く自分の姿を想像してしまった。



「嬉しいですっ。これで、二人の距離もぐっと縮まりますね」と、膝をつき目線を合わせるテルディナ。

「ああ。……って、何いってんだ」


「大丈夫です。何もしません」

「いや、あっちゃマズイだろ」


「あら。お仕事の邪魔は致しません、ということだったんですけれど……。ガレル様、別のことを想像されましたか?」

「……いや、もういい。忘れてくれ」


「ふふ……。さあ、ではお食事の準備をしますね」

「すごくいい匂いがするけど、今晩はなんだい?」



 手際よく食器を準備しはじめるテルディナへと、ガレルが問いかける。



「今日は、畑でとれた野菜三種のスープと、川魚の蒸し焼きです」

「それは、すごいな」

 


「ええ、それでデザートはなんとペルシカの実です!」

「いや、それは無いって……」



「……そうですか」と、しゅんとなるテルディナだったが、その顔は明るかった。



 次の日、朝食を済ませ準備を整えたガレルは、先に表へ出てテルディナを待っていた。

 獣道らしい通過点付近へは、くくり罠を数か所設けたが、全く効果は無かった。

 果実や農作物でおびき寄せる落とし穴も考えたが、労力を考えると間に合いそうもない。

 荒らされている規模は日に日に増していることから、生半可なサイズの体格ではなさそうな気もする。



「(これまで見たことも聞いたこともない痕跡だ。一体どうすれば……)」



 物思いにふけっていると、戸口が開き、テルディナが出てきた。



「お待たせ致しました。さあ、行きましょう」

「ああ。……って、今日はまた……」



「似合っていますか?」

「……」

 


 すかざす笑顔で返してくるテルディナは、今日も綺麗だった。

 普段の見慣れた恰好から、どんな服装で山を歩くのか気がかりだったが、とても動きやすそうに準備している。

 膝上までの長袖ワンピースに、生地が柔らかそうなパンツスタイルだ。それに、足首を守るようなブーツを履いている。

 街でさえ見かけたことのない装いということもあって、ガレルは目が離せなかった。

 服の裾を手に、ガレルへと見せるような動きで軽く回る。



「……ああ、良く似合ってる。なんていうか、さすがは女神様、だな。見たことないくらいの美人さんだ」

「あの、なんだか……、とっても嬉しいです」



 視線を斜め下に、気恥ずかしそうな表情でガレルの前へとやってきた。

 朝の新鮮な空気の中でも、テルディナの香りを感じる。



「にしても、一体どうやって用意した服なんだ? なんにも荷物は無かったろうに」

「それは、女の秘密です。さあ、ガレル様。私を連れて行って下さい」



 白く美しい手を差し出され、少し照れながらその手を取ると、二人は家を後にした。

 

 ひとまずガレルは、昨日自分が通ったルートをそのまま説明しながら進む。

 畑、小道、川沿い、山肌、獣道などあらゆる箇所で荒らされている。

 木々の皮は喰いはがされ、豊かな草地は禿げ上がり、おまけに大穴まであいている。

 明らかに通常の草食動物の仕業ではなく、自分たち以上の体格を持つ獣の仕業だと伝えた。

 


「これは、根気よく俺の能力を使うとしても、修復時間がかかるだろうなぁ」



 テルディナの手を取り、くぼみを避けながらガレルは呆れ顔でいった。 

 それにしても彼女の身は軽い。遅れることもなく、こちらの体力が消耗することもなく、まるで浮いた風船を引くようだ。



「テルディナ、疲れてないか?」

「はい、大丈夫ですよ。……あの、ガレル様」



「どうした?」

「邪魔は致しません、といいましたが、ちょっとお手伝いしてよいでしょうか。やっぱり、普通の罠では限界があるようですし……」



 二人は歩みを止め、荒れた箇所の淵で向き合った。

 位置的には、ガレルの家が視界に入るところだ。



「ああ、それは全然かまわない。俺もさ、いくら考えてもいいアイデアが浮かばなかったんだ」

「差し出がましいようですが、私に一つ方法があります。……これを使いましょう」



 そういって、足元に落ちていたいくつかの木の実を拾い集めた。獣も特に気に留めない実だが、一体どうするというのか。

 テルディナは掌に十粒ほど乗せて、ガレルに見せてくれた。どうみても、普通の実だ。



「それはディファエ……。確かに栄養価は高いかもしれないが、僅かに有害な成分が毒になって、獣も避けるやつだ。しかし、どうするんだ?」

「ディファエ、という名前なのですね。この小さな実の中から感じられるその悪い成分を、ちょっと変えます。獣さんも涎を垂らして、無視できないような甘い誘惑の香りを放つ実にするんです。もちろん、それ自体に害はないですよ。どちらにしても、犯人を突き止めないと、ガレル様の生活にも関わりますからね」


「ああ、けど……」

「……見ていて下さい」



 にっこり笑うと、テルディナは右手をかざし、集中し始めた。

 何か呟いているようだが、ガレルには理解のできない言語らしい。

 彼女の全身から右手へと、身体の表面が光を帯びてディファエの実へと注がれる。

 その瞬間、実までもが光を放ち、まるで植物の細胞一つひとつの輪郭がくっきり分かるかのようだった。

 この小さな実の中でとてつもなく大きな変化が生まれ、宿した光がだんだんと薄くなり、消えていく。

 それと同時に、テルディナの光も収まった。

 目を開き、もう一度ガレルへと微笑みを向ける。



「はい、これで終了です」

「……なんか、見慣れたものに、全く未知のもんが作用してて、驚いた」



 見た目だけは全く変化ない。けれど、今の光景は紛れもない事実だった。



「さあ、この実を順番に罠に埋めていきましょう。なるべく家から遠い場所にして、罠自体の強度も上げておきましょう」

「……大丈夫、なんだよな?」


「ええ、今晩にはあっさり引っかかるかもしれませんよ」

「すごい自信だな……」


「ふふ、ドキドキしますね」

「そうだな……。じゃあ、行くか」


「あ、あの……。ガレル様、もう一つ……」

「ん、どうした? どこか脚でも痛いか?」


「力を使って歩けないので、どうかおぶって下さい……」

「んなっ! ……いや、それは色々と当たって困るだろ」



 まさか正体は色欲の女神じゃあるまいな、と疑いたくなるほどの艶やかさで、テルディナは迫って来る。

 上目づかいでの、消え入るような声がトドメとなった。



「……ダメ、ですか?」

「……わ、わかったよ! でも、これで何も引っかからなかったら、罰ゲームだからな」


「はいっ」



 嬉しくも恥ずかしくも、ガレルは彼女を背負い、二人で実を埋めながら、家へと歩みを進めていった。


 さて、テルディナのいった通り、今夜犯人(獣)が見事に引っかかることとなる。

 この元凶以外にも、別の存在がすぐそこに現れようとしていた。


 

「あの、ガレル様……。もう少しゆっくりお願いします。身体の色々なところが擦れて、妙な気分になってしまいます……」

「いゃ、こっちの気がおかしくなるわっ!」

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