俺のモノは俺のもの、女神のモノも俺のもの?

日結月航路

第1話 女神の膝は俺のもの

 草木をやさしく潤わせる雨がしとしと、と降っている。

 薄っすらと霞がかった視界では、森の木々が静かに佇んでいるようだった。 

 近くで、また遠くで葉に当たる無数の雨音が耳に心地よく響き、このような天気でも至福のひと時と感じられる。


 軒下のベンチで横になりながら、ガレルはそう思った。


 横になってはいるが彼は一人ではなく、ある娘の膝へと世話になっている。

 薄手の長袖シャツと褐色のズボンを身にまとい、裸足でもう片方の足をかいていた。

 娘はというと、背丈は青年と同じくらいだろうか。腰の辺りまで下りる美しい金髪、ハーフアップでかき上げた部分へは幾枚もの木の葉でデザインされた金色の髪飾りでとめていた。透き通るような白い肌に、薄手の白いワンピースが良く似合っている。

 娘は、膝の上の黒髪を触り、時には親しく撫でながら、囁くように話し掛けた。



「まだ止みそうにないですね、ガレル様」

「ああ。でも、これぞ恵みの雨って感じでいいじゃないか。……いや、女神の雨っていった方がいいのか?」



 互いに表情が読み取れるわけではないが、ガレルといわれた青年は深く落ち着いた声で返答する。

 声に反応した娘が、少し微笑んだような気がした。



「いいえ、これは自然の雨ですわ。この土地の気が幸せに満ちているのが分かります」

「そうか。作物を育てている身としては、ありがたい事だよ」



 二人は目前の森林から奏でられる雨音に耳を傾けながら、しばらく楽しんだ。

 そうして娘は、ガレルの顔を覗き込むように問いかける。



「今日は一日ゆっくりされますか?」

「そうだな……。夕食の下ごしらえと、あと早めに風呂の準備をしておくよ。恵みの雨ではあるけど、身体が冷えても困るしな」


「わかりました」

「それまでは、もうちょっとこの膝の上で昼休憩だ。ここは何とも心地いい」



 少し伸びをするように、寝そべったまま手足を動かす。右頬から感じる娘の体温が不思議と浸透してくるようだった。

 たまに、左手人差し指で軽くつついたりする。



「まあっ、それはとっても光栄です。今はガレル様だけの膝ですよ」

「ああ、ありがたい。……それはそうと、テルディナ」


「はい、なんでしょう」

「お前さ、そろそろ帰ってもいいんじゃないか?」





 ことは一カ月前にまで遡る。

 ガレルは一人、この土地で暮らす十八歳の青年だ。

 不慮の事故により両親は若くして他界し、それからは畑と家を引き継いで暮らしている。

 人が多く暮らす街までは徒歩で往復六日は掛かるし、山に尋ねてくる者もいないので常に一人だ。

 一年を通して野菜の収穫もあり、家の裏手では川魚も獲れる。孤独ではあったが、平和に、充実した日々を送っていた。


 ある日、畑からの収穫を終え、森林周辺の管理も兼ねて薪拾いをしていると、見慣れない木の実が付いていた。

 小さなオレンジ色の実で、数個ではあるが高く上の方になっている。

 はて、あんな高いところに実なんてあったか、と思いながら見回すと、今度はすぐそこで気が付いた。

 艶やかに光る朱色の木苺が茂みに色ついている。



「(……木苺、だよな。にしても色が鮮やかすぎるけど)」



 ひとつ食べてみると、驚くような触感と甘みが広がったので、いくつか摘み取って持ち帰った。

 次の日、いつもより大変目覚めが良く、身体は羽のように軽かった。それに、妙に気分が落ち着いている。

 軽く朝食を取り準備したあと、戸口から出るとやはりどうも違っていた。

 両手を開閉させたり、首を回してみたり、軽くジャンプしてみても、すこぶる調子は良い。



「(なんか、頭の中もすっきりするなぁ。森の緑も色鮮やかに映るし……。そうだ、俺のスキルはどうだろう)」



 この世界では魔法というものが存在する。ただ残念なことに、この青年には全くその才能はなかった。その代わり、簡単な能力として、植物を発芽させるという能力だけは備わっており、一人で生活する上で貴重な手段となっていた。

 右手を開き顔の前まで上げ集中させる。全身の気を巡らすように、掌へと意識した。するとどうだろう。普段であれば数十秒は掛かるところが、あっけなく発動できる状態にまでなってしまった。気の流れも安定している。



「(おっ、なんかスゴイじゃん。よく分からんけど、今日ははかどりそうだ)」



 機嫌よく軽い足取りで出発したガレルは、森の中を歩き回り、苗木を植えて回った。苗木の後には周辺の土と馴染ませる為に、発芽スキルで草を生やす。苗木も少し成長し、これで初動の手助けも完了となる。

 一通り作業を終えて昼休憩を取って寝転んでいると、高く木の上にまた別の実がなっていた。



「(また何か見慣れないものがある。……。今度は桃色か。でもなんか、透き通って見えるような……)」



 目が離せないまま凝らして眺めていると、実の周りで瞬いた気がした。

 すると、その実がどんどん近づいてくるのが見える。



「(ん? どんどんでかくなってるような……。って、おわっ!?)」



 避ける間もなく大きな音を立てて、桃色の実が顔面横に降ってきた。

 風圧と共にドスッ、と鳴った割に潰れてはいない様子だ。



「……あ、危ねぇ……。一体何が降ってきやがったんだ……」



 目線を移す前から明らかに光を放っているそれを、確認しようと首を回すと、果実越しに一人の娘が立っていた。

 とても申し訳なさそうな表情で立っている彼女は、どうみても普通の村娘という恰好でもなく、見かけたことのない顔だった。

 そもそも、一度でも見ていれば一目惚れするほどの超美人だ。



「あっ、あの……。すみませんっ!」



 金髪碧眼で白い肌、肩の出ている薄手の白いドレスを身にまとった彼女は、ぺこっと頭を下げた。

 長い髪が少し舞い上がり、胸元に付けた青いアクセサリーが印象的だった。 



「私の力が及ばないせいで、制御を誤ってしまいました。危ない目に遭わせてしまって、申し訳ございません」

「……ああ、いや大丈夫、俺にも怪我はないよ」



 よいしょ、と声を出しながらガレルは立ち上がる。まだ身体は軽かった。

 ズボンと背中の木の葉を払っているガレルに、娘が近づいてきた。



「ご無事で何よりです」

「ああ、俺も果実の汁まみれになるとこだった。……はは。俺はガレル、この山で一人暮らししてる者だ」


「申し遅れました。私、テルディナと申します。この地区の女神をしております」



 驚きの事実を理解するのに時は要したが、ガレルは娘の話を真摯に受け止めた。

 なんでも、降ってきた実というのは至極貴重なもので、百年に一度実をつけるかどうか、という代物らしい。

 神の世界の土地ではなかなか成功しなかったところ、自分の管轄する人間界のこの土地が、適任だったようだ。

 試しに四種の種をまいてみたところ、見事に色付いたので例の落下した本命の果実を植えこんだ。

 その収穫の際に、力の制御を誤った、というのが一連の出来事だった。




 再び場面はベンチでの膝枕に戻るが、帰れといわれたテルディナは泣きそうな眼をして訴えた。



「……そ、そんなっ。ガレル様は私のことがお嫌いですか?」



 どこか計算高く、芝居がかった雰囲気が見え隠れするが、哀しい顔を突き付けてきた女神を一蹴できなかった。

 彼女の芳しい香りと、息遣いに飲まれそうになったが、持ちこたえたガレルは冷静に答える。



「いや、そうじゃなくてだな。その、女神様も色々と忙しいだろう? いつまでもこんな男の……」

「大丈夫ですっ」(ニコッ)


「天界に帰って、自分の仕事とかもあ……」

「問題ありませんっ」(キラッ)


「お前のまいた果実は全部収穫したろ? ……あの例の落ちてきたやつは置いといて」

「……私のこと、お嫌いですか?」(しゅん)


「いや、だから話が戻ってるじゃねーか!」

「私は身も心も捧げるといってますのに、ガレル様はあのペルシカの実をくださらないんですもの」


「……それな。悪いが、あんな話を聞かされちゃ、ほいこれとあげる気がなくなったんだよ。この土地で、いざという時に必要そうだ」

「けれど、ガレル様。あの実の種子は私がまいたものなんですよ」



 ガレルの髪から頬へと手を移したテルディナは、半分軽くつねるような仕草で抗議した。

 この行為もどこか遊んでいる。

 


「確かにお前のまいた種だが、育ったのは俺の山だろう? それはやっぱり俺のものなんだよ。他の実はあげたし、ここいらで諦めろよ」

「ひどいです。じゃあ、私のお腹にいるガレル様の種子は、私だけの子ってことになりますよ?」


「ちょっと、待て! まだ抱き着いてさえもいないのに、人聞き悪いこというなっ」

「ふふふ」


「……やれやれ。女神様ってのは、みんなこうなのか?」

「いいえ、私は少し気まぐれかもしれません」


「ま、とにかくだ。あの桃色透明のペルシカの実ってのは、やっぱ保留だ。近頃森が獣害に合ってる箇所が増えてきたし、万が一の天災にも備えたい。乾燥させた粉状のものを撒けば植物は甦るんだろう? 管理する者としてはやっぱ譲れない」

「そうですか……。では、どうぞこれからもよろしくお願い致します」



 テルディナは目を閉じると、ガレルの額にそっと口付けをした。



 神の世界にでさえ滅多に実ることのないペルシカの実。

 偶然か必然か、ガレルの土地で運よく実をつけた果実を巡って、常人のガレルと天然気まぐれ系の女神とがじゃれ合うように白黒つけようとしている。

 だが、ガレルの懸念が刻々と現実化しようと、暗い影が歩み寄っていることを二人はまだ知る由もなかった。



「……あ、赤くなりましたね」

「いゃ、うっせーよ!」

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