第2話 狐は猫で犬

「もう、何で誰も分かってくれないかな……」

 猫面を被った少女はぶつぶつとぼやきながらこちらに近づいてきた。動画だと分かりにくいが、実物を間近で見るとスラリと背が高い。

「よく見てくださいよ。これが狐に見えますか? どう見ても猫ですよね」

 そう言いながら彼女はお面を指す。確かによく見ると猫なのだが……。

「でも、動画に映ってるやつだと分かりにくいと言うか……」

「こういうお面って、大抵狐ですし……」

 ね。と言って私と美香はお互い顔を見合わせながら首を傾げた。

 少女が付けているお面は、能楽にでも使われていそうな白地に模様のついたもの。それに先の尖った耳が付いているとあっては、日本人なら誰だって狐と間違えそうなものだ。

 フォックス……もといキャットガールは、お面の下から覗く唇を不満で歪めながら言った。

「そういう先入観はよくないと思います」

 それはごもっとも。

 しかしいつまでも狐猫論争をしていても埒が明かない。私は別の話題を、と言うか、この少女が事務所に来た本来の目的が何なのかを聞く事にした。

「ところで、あなたがここに来たご用件は何ですか? ここは探偵事務所です。何か困り事があって来たんじゃないですか?」

 と聞くと、少女は小さく「あ」と声を漏らした。

「そう。そうなんですよ。困り事が……でも、ここに着いたのは偶然で、その事について考えながら歩いてたら、いつの間にかここにいたって言うか……。探偵に頼ろうと思って来た訳じゃないんですけど……」

 少女が困惑した様に言う横で、美香がうんうんと頷いていた。彼女が初めてこの事務所に訪れた時も同じような状況だったのだ。

「大丈夫ですよ。まずはお話だけでも伺いましょうか。どうぞお座りください」

 少女にソファに座るよう勧めると、反対に美香が立ち上がって「麦茶入れますね」と言った。私は彼女に謝辞を述べてから、対面に座る少女に顔を向けた。

「まずはこちらから挨拶しますね。私は紫野原探偵事務所の所長、紫野原翠です」

 今“魔法”と言わなかった事には理由がある。相手が魔法少女の格好をしていようとも、本物の魔法使いではない場合は魔法の存在は隠した方がいい、というのが現実でもフィクションの世界でも共通のルールだからだ。因みに従業員は私だけであり、美香はアルバイトでも何でもない。彼女も客人である。

 目の前の少女は最初の威勢はどこへやら。緊張した様子で口を開いた。

「私は……ネット上だとフォックスガールと呼ばれている、キャットガールです」

 今のは自己紹介なのだろうか。

「えーっと、それ以外の名前はありますか?」

 本名を名乗りたくないのであればそれはそれで構わないのだが、この少女を呼ぶ時いちいち「キャットガールさん」と言わなければならないのは少々面倒だ。しかし少女はもじもじしていて、彼女が再び口を開くよりも先に、美香が「どうぞ」と言って麦茶の入ったコップを机に乗せ、私の隣に座った。少女は「どうも」と言いながら、お面の奥に潜む目を美香に向けた。

「その制服、うちの……あ、華桜高校の、だよね……」

 うちの……?

「はい、そうですけど……」

「あなたも華桜高校の生徒なんですか?」

 私がこう聞くと、少女はギクリと身を強張らせた。何を言うべきか考えているのか、口をパクパクさせたかと思うと、ふぅと息を吐いて意を決した様に言った。

「はい……私も華桜の生徒です。名前は……犬飼涼です」

 そこは犬なんだ。と私が思っていると、隣の美香が「ええ~⁉」と驚きの声を上げた。

「犬飼涼って、あの犬飼涼先輩⁉」

「知ってる人?」

「むしろ知らない方が珍しいですよ! 華桜の生徒なら誰でも知ってる、学園の王子様です!」

 なんと。学園の王子様という存在は本当にいたのか。対する王子様こと犬飼涼は、名乗った事を後悔するかのように深い溜息をついて「だから言いたくなかったんだ」と小さく漏らし、

「……私がこんな事してるって、絶対、誰にも、言わないでね」

 と、お面の奥から美香を睨みながら念を押すように言った。

「大丈夫です! 口は堅い方ですから! あ、私は二年の羽山美香です」

「羽山さんね。名前覚えたから」

「う……はい」

 バラしたら脅すつもりだろうか。高校生の上下関係とは厳しいものである。

 自分の名前をバラした事で顔を隠す意味も無くなったのか、涼はお面を取った。お面の下から現れたのは、キリッとした細い眉に切れ長の目、スッとした鼻立ち、薄い唇という全体的にシャープな顔立ちだ。短く切り揃えられた黒髪と姿勢の良さも相まって、王子様と呼ばれるのも納得がいく。魔法少女の格好をしているのがもったいないくらいだ。

「それで、犬飼さんはどんな事で困っているんですか?」

 私は何だかまた話題が逸れていきそうな気がして軌道修正に入った。

「はい……それが、私の……いや、キャットガールの偽物が現れてるみたいなんです」

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