「どう見た?」

陳蘭ちんらんという名の神官が黒幕か否か、でございますか?」


 浚明しゅんめいと仙女は、口が軽い神官から引き出せるだけ話を引き出すと、さっさと神祇部じんぎぶを後にしていた。今は二人で書庫室へ戻るべく王宮の中を歩いている。


 ずっと薄暗い部屋の中にいたせいでまだ外の日差しがわずかにまぶしい。真昼を回った日差しはそこまできつくないはずなのにまぶたがシパシパと盛んにまばたくのを止められない。


「俺は陳蘭を告発者とするには、少し違和感がある」

「その心は」

「行動が安直すぎる。三家が告発者を本気で探せばすぐに行き着くことができる立ち位置だ。すぐに自分が疑われると分かっていて、そんな大胆な行動が取れるものか? 犯人だと分かれば逆恨みから殺されかねない」


 短い切り返しに率直な意見を述べると、仙女は無言のままコクリと頷いた。


 神祇部へ向かう時は前、相談部屋の中にいた時は後ろを歩いていた仙女は今、浚明のななめ前、わずかに外套から横顔の輪郭が見えるか否かという位置を歩いている。おかげで仙女の反応が分かりやすい。


「わたくしも違和感が」

「その心は」

「あの神官が証言した人間像からは、扶桑ふそう陳蘭が告発文を書くような人間だとは思えませんでした」


 仙女の切り返しと同じ言葉で問うと、仙女も同じように率直な意見を返してくれる。


 浚明も内心では仙女の言葉に同意しながらも、議論を進めるためにあえて反対意見を口にした。


「正義感が強い人間であったならば、告発文をしたためて広く世に知らしめようと考えたかもしれないだろう? 話を聞いた分には強請ゆすりは働かない性格だとは思えたが、正義感が暴走すれば告発文の方は分からない」


 品行方正。心優しく、誰の相談にも心を寄せて助言を返す。


 修行も怠らず、神祇部きっての神通力を持つ本物の神官。先代神祇部尚書の時代から信頼を置かれてきた存在。


 ゆえに当代尚書からの当たりも強く、かと言ってその優しい性格から強く反発することもできず、耐えきれずに心を病んだのではないか。失踪する前には何かに悩んでいる風情もあった。


 それが相談窓口にいた神官から聞いた扶桑陳蘭という人物像だった。


「正義感が強すぎる人間は、その正義感ゆえに心を誰にでも寄せられるわけではありません」


 仙女は静かに、だがキッパリと浚明の言葉を否定した。浚明はその言葉を反発することなく、小さくあごを引くことで受け入れる。


「ましてや彼を信頼して相談を寄せていたという家の者は、誰もがおおやけにされれば大罪とされる罪を隠し持っていたわけです。正義感が暴走するような人間が、一時的とはいえそんな人間を相手に心を添わせるような助言を口にできると思われますか?」


 心を添わせるということは、理解し、共感し、同意してやることだ。正義感が強い人間ならば罪を犯した人間を肯定することなどまず不可能なのではないか、と仙女は言いたいのだろう。


 ──確かにそうだ。一時的とはいえ同意してやれる人間ならば、まだ強請ゆすりの方が似合う。


「……できれば他の人間からも話が聞きたいが」

「これ以上集中的に神祇部を探れば、逆にこちらが怪しい人物として目を付けられかねない」

「そうだ。これ以上神祇部に直接探りを入れ続けるのは得策ではない」


 一人の話を聞いただけで推論を固めてしまうのは非常に危険な行動だ。その人物が偽りを述べていないとも限らないし、当人は真実を口にしているつもりであってもその言葉にはどうしても語る者の主観が含まれてくる。どのみち真実とは耳にした話とは違う形をしているものだ。


 真実を知りたければ、関係者になるべく広く当たる方がいい。同じ部署に内側から潜り込めればそれも比較的容易たやすいことだが、外部から調査に当たっている今回はどうしても『探りを入れている外部の人間』として警戒されてしまうだろう。


 ──どこか、外部の人間で接点のある人物に接触できればいいんだが……


 そう考えた瞬間、ふと浚明の意識に不穏な気配が触れた。サワリと心を不快にざわめかせるこれは、殺意と呼ばれる物が含まれた視線を向けられた時に覚える感覚だと、浚明は知っている。


 ──どこから現れた? ……もしかして。


「退魔省ならば、いかがでしょう?」


 視線を感じても振り返るような真似はしない。ただ表情にわずかに険しさが混じった。


 仙女にはその微かな変化が感じ取れたのだろう。足を止めた仙女は浚明の様子をうかがうかのように視線を上げる。


「陳蘭は本物の神通力を有した神官であったという話でした。退魔省は王宮内で実際に『不思議』を有している存在を広く監督する任を帯びています。神祇部と退魔省では部分的に受け持ちが重なっておりますし、陳蘭が本物であったならば退魔省と交流はあったかと」


『何かあったのか』と視線で問いかけてくる仙女に、浚明は視線の動きだけで誰かに見られていることを伝える。一瞬仙女はユラリと漆黒の瞳を揺らめかせたが、浚明の視線の先を追うような愚は犯さなかった。


 ──神祇部を訪れる前からつけられていたとしたら、俺が必ず気付く。


 ならばこの視線の主は浚明達が神祇部を訪れたことによって現れた、ということになる。神祇部の相談窓口を張っていたか、あるいは……


 ──神祇部から派遣されてきたか。


「……退魔省に伝手つてはあるか?」


 どう動くべきか、と考えを巡らせた浚明は、不自然に間が開かないように気をつけながら話を継いだ。浚明の出方を探っているのか、仙女は短く浚明に答える。


「ございます」

「ならばお前は退魔省に探りを入れに行ってくれないか。俺は一度御史台ぎょしだいに戻ってここまでのことを報告する。神祇部のあの状態を放置しておくわけにもいかないしな」


 あえてハッキリと聞き取りやすく『御史台』という単語を口に出した浚明は、駄目押しとばかりに懐にしまい込んでいた佩玉はいぎょくを取り出した。いかにも『今から部署に戻ります』と言わんばかりの体で腰に吊り下げた佩玉には、水晶の台座に鷹の意匠が刻まれている。御史台所属を示す浚明の身分証だ。


「一人で大丈夫か?」


 浚明があえて見せびらかすかのように佩玉を取り出した意図を、仙女は正しく理解したのだろう。コクリと頷いた仙女は外套の裾を細く開くと己の腰元を示す。


「宮廷書庫室へ司書としての出入りを許された者には、書庫大師が直々に術式を刻んだ佩玉が下賜されます。本来の用途は書庫室に展開されている結界へ司書であることを認知させる物ですが、宮廷の秘密を握る司書が危難に巻き込まれることを防ぐために、防犯も兼ねているそうで」


『佩玉を帯びた者に繰り出された攻撃は三倍となって返り、悪意をって手を伸ばせば手の主は雷撃に撃たれることになるそうです』と、仙女は淡々と、だが妙に自信満々に言い放った。凛と響く声は、視線の主まで届いたはずだ。


「それは……怖いな」


 思わず浚明は心の底から素直な言葉をこぼす。


 仙女が纏った藍色のくんの上を揺れていたのは、何の変哲もない赤瑪瑙の佩玉だった。下級から中級の平官吏を示す何の変哲もない佩玉だが、光に当たると玉の中で何かがチカチカと微かに光を反射させる。その様がまるで玉の中で星がまたたいているかのように見えた。


 ──未榻みとう甜珪てんけい書庫大師が直々に仕込んだ守り呪具があると聞いて手が出せる馬鹿はそうそういない、か。


『宮廷書庫長室中興の祖』と呼ばれる先代書庫長未榻甜珪は、噂によると元々は玻麗はれい最強とうたわれた退魔師であったらしい。実際に未榻甜珪の次男の血筋が今でも退魔師として活躍しているらしいから、その噂もあながち嘘ではないのだろう。


 何があって退魔師から司書へ転身したのかは不明であるし、なぜそれを周囲が許したのかも不明だ。浚明が知っていることといえば、未榻甜珪は司書となってからその退魔の腕を書を守るために転用していたという話だけである。


 ──貸出手続きをしていない書を持ったまま外へ出ようとすると、壁にぶつかったかのように前へ進めなくなる結界……だよな?


 そんな結界をあの広大な書庫に仕掛け、今なお維持させているような退魔師が守りを施した佩玉だ。恐らく仙女に危害を加えようものならば確実に仕掛けた側が死ぬ。


 浚明は一瞬感じた寒気を振り払うように頭を振ると、もう一度しっかりと仙女を見据えた。最初は恐怖しかなかった瞳が、今はこんなにも頼もしい。


「ならばそちらは任せた」

「はい」


 ──何も言葉にせずとも、彼女にならば俺のは伝わる。


 確信とともに真っ直ぐに視線を注げば、仙女は『万事承知』とばかりに頷いた。


 一度ユラリと瞳を揺らした仙女は、フワリと外套をたなびかせると胸の前で軽く両手を重ねる。


「御武運を」


 軽く頭を下げた仙女はヒラリと身を翻すと迷いなく退魔省への道を進み始める。その後ろ姿を数拍見送ってから、浚明も反対方向へ歩を進め始めた。


 ──さて。こっちに着いてきてくれよ……!


 これは賭けだ。あえて人気のない方向へ向かって歩きながら、浚明は気配だけで背後を探る。


 体格が良く武芸の腕もある男と華奢きゃしゃでひ弱そうな女、どちらかを襲ってさらおうと考えたならば、当然攫う側は簡単に連れ去れるであろう女を狙うはずだ。


 だが女に鉄壁とも言える強力な守りが敷かれており、かつ男の方が拉致した時に利益があるとなればどうか。浚明が拉致する側ならば確率は状況に合わせて五分五分といった所であるが。


 ──……よし。


 迷いなく前へ足を進める浚明の後ろを、忍ばせた足音が着いてくる。視線を察知した時から相手は一人であると分かっていた。無事にこちらへ引き付けられたことに、まず浚明はホッと息をつく。


 ──さすがにあんなに華奢な少女を荒事に巻き込むのは申し訳ないからな。


 さらに浚明のが当たっているならば、あの仙女に万が一怪我を負わせるような事態に陥れば、仙女を捜査に巻き込んだ浚明の首が飛びかねない。『解雇』という意味ではなく、頭と胴体が物理的に切り離されるという意味で、だ。


『わたくし達「未榻」は、世事の徒然つれづれになんぞ興味はございません』


 ──仙女が事あるごとに口にしていた『未榻』という称号が、『宮廷書庫室の管理を託された者』という抽象的な意味ではなく、率直に『未榻の血を引く者』という意味であるならば。


 数々の伝説を持つ未榻甜珪は、最終的にとある大貴族の娘に請われて相手の家に婿入りしている。未榻甜珪の縁者であるということは、同時に仙女はその婿入り先の大貴族の血を引いているということに他ならない。


 ──初手から疑ってはいたんだが、そうならそうでかなり厄介な話になったかもしれないな。


 何せ浚明の予想が当たっているならば、浚明は初手からとともにこの件を調査していたことになる。


 浚明は思わず己の不運に小さく溜め息をついた。


 その瞬間、忍んでいた足音がザリッと大きく音を立てる。仕掛けてくるかと読んだ浚明は『今更異変に気付きました』と言わんばかりの表情で背後を振り返った。


 そんな浚明の鳩尾みぞおちに剣のつかのような物が叩き込まれる。


「グッ!?」


 あえてその攻撃を浚明は避けなかった。鈍い衝撃が体を貫き、手足から力が抜けていく。そのついでに襲撃者の顔を見上げると、見覚えのある目元がニヤリといやらしく笑った。


「俺達を嗅ぎ回ってる監査官さん? ちょいと一緒に来てもらおうか」

「うっ……」


 ──じゃあ連れてってもらいましょうかね。窓口係さん?


 胸の内だけで小さく呟き返した浚明は、敵の懐への直送便に乗るべく、積極的に意識を手放したのだった。

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