参
「似たような部署に退魔師達が所属する退魔省もありますが、こちらはどちらかと言うと妖怪相手の切った張ったが本領です」
「おい」
「より儀礼的な部分を司るのが神祇部、対怪異への実働戦力を司るのが退魔省と思っていただければ」
「おい、今、そんな解説をしている場合か?」
扉の影に上下に並んで棟の中の様子を探っていた
「ここで御説明申し上げておかなければ、説明できる時がもうないかと思いまして。何せ」
そう語る仙女の語尾が、中から轟く怒号に掻き消された。次いで響くガチャンッという陶器が割れる音に一度肩を
「何せ、この有様ですから」
「……ご丁寧にどうも」
神祇部が本拠地を置く棟の入口扉の影に陣取った二人は、扉の影からひっそりと頭だけを出して中の様子を
「告発文が出回らずとも、これはいずれ陛下の耳に届くだろ……」
中から轟いているのは、上官と思わしき人間が部下を理不尽に怒鳴り散らしている声だった。何をそんなに怒っているのかと内容に耳を澄ませてみたのだが、何やら『掃除の仕方が気に入らない』だの『私を見下しているのか』だのと完全に八つ当たりとしか思えない言葉しか聞き取れない。
──上司の部下
「
あまりにも酷すぎる八つ当たりの嵐に浚明はもはや呆れの溜め息しか出ない。対する仙女は耳を覆いたくなるような暴言の嵐に
「当代はこの通り人間性がまったくなっておりませんし、それは周知の事実です。告発された所で痛手は特にないのでしょうが」
「取っ掛かりにするには都合が良い……だったな」
「はい」
『告発された三家の罪状は、いずれも内情をよく知っている人間しか知り得ないことでございます』
ここへ来る道すがら、仙女は前だけを見据えて浚明にそう語った。
『どの事件も外へ知られればただでは済まない代物です。ならば告発者はその事実をどうやって掴んだのか』
一家だけならば、その家の中枢にいた誰かが罪の意識に
三姓家の最大の敵は、同じく三姓家だ。己の内情は同じ三姓家にこそ隠したいはず。内部事情に通じた使用人や腹心がそう簡単に他の家に鞍替えするとも考えづらい。仮にそんな人間がいたとすれば、とうの昔に御史台や書庫室はその噂を掴んでいるはずだが、該当する人間の情報は浚明も仙女も把握していなかった。
だから三姓家の中に所属していた人間が告発者となる可能性は薄い。
ならば一体告発者はどうやって情報を掴んでいたのか。
『大貴族というものは、基本図太くなければやっていられません。ですが家に属する者の全員が全員図太くいられるわけではない。罪を知ってしまった時、並の精神の者は、得てしてその罪を独りで抱えてはいられないものです』
ヒトというものは、得てして秘密を口にしたいものだ。後ろ暗いことは、特に誰かに吐き出して心を軽くしたいという心理が働く。『人の口に戸は立てられぬ』という格言がそれを証明しているように。
『神官や占術師が、業務の一環として悩める人間の相談相手を務めていることは知っていますか?』
神官や占術師は、請われた相手のために未来を占ったり、厄除けのための祓いを行ったりもする。民間の神官や占術師達の主な仕事はむしろこちらだ。
神祇部も王宮組織としては祭祀の施行が主な業務だが、王宮に詰める官吏達に請われれば個人的に占や祓いを授けることもある。それを目的として神祇部を訪れる官吏達のために窓口が設けられていることは、官吏達の間では周知の事実だ。
『「秘密厳守」を掲げており、神秘の世界を司る人間。誰にも言えない罪を吐き出す相手には最適だと思いませんか?』
──確かに、辻褄は合う。
『工部や後宮に探りを入れに行くのは少々難しい部分がありますが、相談窓口が一般に向かって開かれている神祇部ならば探りも入れやすい。ですから、ひとまず取り掛かりとして神祇部に足を運んでみるべきかと考えたのでございます』
神祇部の相談窓口係に探りを入れつつ、ついでに神祇部尚書の様子も探る。そこを取り掛かりとし、手応えがなければ別の手を考える、というのが仙女の説明だった。その方針に浚明も異論がなかったため、二人はこうして神祇部の入口扉の陰で串に刺さった団子よろしく頭を並べているわけだが。
──こんなに怒声が轟いていては、相談をしたくてもできないのでは……
「相談窓口は、神祇部の役人が机を並べている部屋とは別の小部屋で、かつ入口近くです」
あまりにも相談事には向かない環境に浚明は一瞬遠い目になりかけるが、仙女の言葉に意識を引き締める。確かに自分達は『相談』ではなく『調査』に来ているわけなのだから、この怒声に怯んですごすごと帰るわけにはいかない。
仙女の言葉に頷いて答えた浚明は視線だけで
「探りはどちらが」
「お前が口を開いて女であると知られると色々と厄介だ。俺がやる」
「左様で」
答える言葉は短いが、仙女が『妥当である』と同意してくれたことは響きで分かった。
──不思議だな。特に感情が出たわけでもないのに。
一瞬だけそんなことを思った後、浚明は無造作に扉の先へ足を踏み入れた。そんな浚明の従者然とした距離感で仙女も浚明の後ろに従う。
浚明は入ってすぐ、左手にある部屋の前で足を止めた。扉は開け放たれているが、入口のすぐ内側に天井から垂らされている黒い布のせいで中を見通すことはできない。その布の手前側に鮮やかな朱色の紐が揺れている。
浚明は迷いなく腕を伸ばすと紐を引いた。ピンッと張った紐の向こうでチリンチリンッと鈴が鳴る音が響く。
その音に応えるかのように、布の向こうからか細い声が聞こえてきた。
「空室ですよ。中へどうぞ」
「失礼する」
特に仙女へ視線を配ることもなく、浚明は布をかき分けて中へ踏み入った。数枚重ねられた布をすり抜けた先には、窓辺にも同じように布が吊るされた薄暗い小部屋が広がっている。
「どうぞ、こちらへ」
外への音漏れを防ぐためなのか、思っていたよりも奥へ深い造りになった小部屋だった。その奥、布に覆われた窓を背に負うように人が座っていて、その前には占術の道具を並べるために小さな卓が置かれている。
面布で鼻から下を隠した人物は、踏み込んできた浚明を見上げると目尻を緩めるようにして笑った。
「さぁさ、こちらへお掛けください」
「こっ、ここの相談役は……い、いつも同じ人間が努めている、のか?」
浚明はわざと
「いいえ。日替わりの担当制です」
「でっ、では……! その、あの、申し上げにくいんだが……」
「ええ。一度で心が晴れなければ、何度でも相談に来ていただければ良いですよ。入室前に声を聞けば、同じ人間であるか否かは分かるでしょうからね」
似たようなことを問う人間がそこそこにいるのだろう。笑みを浮かべたまま、窓口担当の神官は穏やかに答えた。
その言葉にホッと安心したような仕草をしながら、浚明はオドオドと示された椅子に腰をおろす。
後ろに続いた仙女は上手く振る舞えているのかとチラリと視線を投げると、仙女は特に何か役を作るでもなく静かに浚明の後ろに付き従っていた。従者としてはそれはそれで違和感がなかったのだろう。上級官吏ともなれば従者を引き連れて歩くことも珍しくはない。神官は浚明の無佩玉の黒袍姿を『どこぞの上級官吏がお忍びのために下級官吏に扮しているのだろう』とでも捉えたのか、特に不思議がることもなく浚明と対峙した。
「さて。本日はどうされましたか?」
「じっ、実は、その……っ」
さて、どう切り込むか、と考えた瞬間、まるで計ったかのように遠くから誰かの怒声が響いてきた。
それに合わせてわざとビクリと大きく肩を震わせた浚明は、さらに肩をキュッと竦めて
「そ、その前に、この怒号は何なんだ? 誰かが粗相でも?」
「あー……その、これはあまり気になさらずとも……」
「気にするなと言われて気にしないでいられるものではないだろうっ!」
精神がか細い貴族の若君らしく感情的に喚くと、神官は浚明をなだめるように両手を胸の前で広げた。その手で『落ち着いて』と示しながら、神官は言いにくそうに言葉を添える。
「噂でご存知かもしれませんが、神祇部の尚書は少々気難しい御方でして……」
「い、いつもこうなのか?」
「ええ、まぁ」
「た、大変なんだな……。私だったらこんな職場、耐えられない……」
──これは『人間関係で精神が参った若貴族』っていう設定が良さそうだな。
会話の方向性から装う人格を決めた浚明は相手の反応を窺いながら切り込み口を探る。部屋は薄暗く相手は目元からしか表情が読めないが、浚明にはそれだけで十分だ。
──後は相手の口が軽いことを祈るのみ……!
「お、お前も、苦労しているんじゃないか?」
「そうですねぇ……。『これも修行だ』と耐える者もいれば、耐え切れずに去ることを選んだ者もいますね」
『私はまだ尚書と接点が少ないので良い方ですが……』と続けられた言葉に、浚明はすかさず話の接穂を差し込む。
「ち、近しい人間は、やはり……?」
「はい。逃げ出した人間も数人。ここ最近でも三人は」
おかげでここの窓口に座る頻度も増えた。他の仕事も減らないのに、人数が減る一方だから負担ばかりが増える。
そう続いた愚痴を聞いた瞬間、浚明は内心だけで瞳を細めた。元から口が軽い
──こんな口の軽さで守秘義務があるこの窓口に座っていて大丈夫なのかと不安にもなるけどな。
「も、もしかして、……お、俺が噂を聞いた神官も、そのいなくなった神官だったんだろうか?」
「噂?」
この神官ならば喰い付いてくるだろうと予想はしていたが、思った通りに神官は眉を寄せながら浚明の呟きを拾い上げた。その反応に浚明はハッと『しまった、思わず声に出してしまっていた』という体を装い、ビクビクと神官へ視線を返す。
「それは、どのような噂で?」
「あ……えっと……」
相手の反応を窺いつつ、浚明はあくまで怯えた体を装ったまま言葉を続けた。
「し、知り合いが、ここに、相談に来ていたと、部下に聞いたから……」
「知り合い?」
「そ、その……立場で言うと、敵というか……」
モソリ、モソリと、聞き取れるか否かといった声音で続けると、神官はさらに眉根を寄せた。チラッとそんな神官を見上げた浚明は、いかにも『その圧に負けました』といった風情でおずおずと口を開く。
「
「加夏彌様? 御本人がいらしたという記録は……」
「本人ではなく、腹心が……」
チラリと神官を見上げると、何か心当たりがあったのか神官の表情が合点がいったものに変わった。
「その……相談を持ちかけるようになって、随分と顔色が良くなったと、部下達が噂をしていたから。余程親身に相談に乗ってくれると思って……!」
たまらず、といった風情でガバリと顔を上げて訴える。そんな浚明を余程何かに追い込まれていると見て取ったのか、神官は痛ましげに眉尻を下げながら口を開いた。
「そういうことでしたか……。
「陳蘭?」
「加夏彌様の御従者の方の相談を賜っていた神官ですよ」
「陳蘭は本物の神通力を持った神官でして。陳蘭には、相手の心が読めたのです」
「神通力? 心が読める?」
「ええ。我々は神官ではありますが、誰しもが神通力を有しているわけではありません。そんな中、陳蘭は稀な神通力を有する優秀な神官でした」
──そんな力を有している人間が、本当にいると言うのか?
しかし相手は神祇部に所属し、日々修行に励んでいる神官だ。たとえ当人に神通力がなかろうとも、そういった類の知識は浚明よりも豊富であるはずだし、判断の目も肥えているだろう。
そんな神祇部の神官が『本物』と判断したならば、その扶桑陳蘭という神官は本当に相手の心が読めたのかもしれない。
「陳蘭はその能力を活かし、人々の心の憂いを祓うことを得意としておりました。陳蘭の力を頼り、三姓の家の方もよく相談に訪れていたものです」
「陳蘭殿も……その、尚書に耐えかねて?」
「ええ。特に伝言もなく、ある日フイッと急に姿を見せなくなりまして」
「それは、いつ頃?」
「はて。ひと月程は前になるでしょうか?」
──最初の告発文が出回った時期と一致する。
浚明はクッと奥歯を噛みしめるとチラリと背後に視線を送る。
その瞳で何を見ているのか、外套の下から視線を注ぐ仙女は空気と同化するかのように静かな空気を纏っていた。
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