第7話 稲田家の闇 前編

 澤谷と別れて今西との待ち合わせ場所であるホテル星華の敷地内あるカフェに来ていた。


「どうぞ」


 バリスタの松本が新作だというコーヒーを入れてくれる。

 一口飲むと苦みがなくまろやかな味が口いっぱいに広がる。


「どうですか? 今回、豆から仕入れて焙煎したんです」

「香ばしい香りがするが味は苦みがなくていい」

「佐伯さんのケーキに合わせたかったんです。今度のイベントで出そうと思っていて」

「菅田さんから連絡がありました。今回のイベントもかなり力が入っていますね」

「そうです。佐伯さんはケーキバイキングをするって張り切っていますから」


 毎年このホテルの敷地で開催されるイベントは町おこしの一環となってこの地域の特産品も野外テントで販売される。その期間のホテル内でも地域の食材を使った料理やスイーツなども販売されるとあってかなり賑わうイベントではある。


 松本とたわいない会話をしているとざわついていた心が落ち着いてきた。

 鍋島は澤谷との話を思い出して頭で整理する。手帳にまとめた内容をかき込んでいたら今西がやってきた。


「鍋島さん。お待たせしました」

「大丈夫だ。収穫はあったか?」

「それが……稲田拓人は確かに貴子の子供みたいです。ただ、貴子は結婚前から付き合っていた男性がいたようで」

「やはりそうか。拓人はその男との子供の可能性があるのか?」

「それが櫛田の爺さんも詳しいことは分からないって言っていました」

「洋平は貴子が見染めたんじゃなかったのか?」


 貴子が洋平を選んで婿養子に入ったと聞いていた。それが結婚前に別の男性をつきあっていたのなら洋平を選ぶ必要はないはずだ。調べれば調べるほど解決できない疑問が増えてくる。


「もう一つ、洋平は再婚です。貴子と結婚する前に妻子がいたようで」

「離婚理由は?」

「貴子です」


 コーヒーカップを口元の運ぶ途中で止まり、眉間に皺が寄った。


「もしかして、貴子のせいで離婚したとか?」

「らしいです。前妻と子供は離婚後もこの街に住んでいましたが、貴子の嫌がらせが続いて街を出ていったきり行方が分からないそうです」

「貴子は付き合っていた男がいたのに既婚者の洋平を離婚させてまで結婚したのはどうしてだ?」


 鍋島と今西は答えを導き出せないでいた。


「鍋島さんたちは別荘火災のことを調べているのですか?」


 それまで二人の前で静かにコーヒーをたてていた松本が聞いてくる。コーヒーの香りが店に充満している。


「稲田拓人のことを調べていてね」


 鍋島は詳しく説明できないので誤魔化す。


「この人のこと何か知りませんか?」


 今西は昔撮った拓人の写真をタブレットに映し出し松本に見せていた。今西にとってあまり意図しない行動だったのだろうが、それが思わぬ収穫をもたらす。


「この人が稲田拓人ですか?」


 松本はコーヒーをたてながらタブレットを見る。


「半年くらい前に撮った写真ですが」

「僕、この人見たことがあります」

「どこで?」


 この街で暮らしていればどこかで見ている可能性もある。その為あまり期待しないまま今西は聞いていた。


「東京です。先週コーヒー豆を仕入れに行ったときに見かけました。なんか女性と言い争っているような感じでした」

「先週?」


 今西が聞き返していた。

 鍋島はその様子を静かに見ていた。松本が嘘を言っているようには見えない。


「あれ? 別荘火災はもっと前ですよね。見間違いかな……」


 松本は言いかけて自信が無くなったようだ。だが、松本は人の顔を判別する能力に長けていることは鍋島自身断言できる。

 先週、本当にこの顔の男が東京にいたのなら、海で発見されたのがそうなのかもしれない。


「ちなみにそれはどこで見かけたのですか?」


 鍋島は僅かな希望をもって聞いていた。


「新宿駅の近くのカフェです」


 稲田拓人がこの街から出ていったことは一度もないはずだ。それならどういった知り合いだろうか。それとも本当に稲田拓人ではない可能性もあるとしたら、どうして同じ顔をしていたのかと考えていると佐伯がケーキを持ってやってきた。


「今度の新作です。よければ感想をきかせてほしい」


 鍋島と今西の前に置かれたのは栗のミルフィーユだった。

 丁度甘いものが食べたかったので遠慮なくいただくことにした。


「いただきます」


 何層にも重ねられたパイ生地の間に栗のクリームが挟まっている。クリームの中にも栗を砕いたものが入っていて触感を楽しめた。


 鍋島の手が止まる。

 パイ生地だと思っていたのが違っていた。佐伯を見ると気づいたかという笑みを浮かべる。


「クッキー生地と飴細工で栗のクリームを挟んでいるんですよ。なんちゃってミルフィーユです」


 佐伯が笑顔を言う。

 鍋島はもう一度ケーキをみた。パイ生地だと思っていたが違っていた。なんちゃってミルフィーユ……。

 本当の話に嘘の話を巧みに混ぜ合わせるとそれらしき話になるんじゃないか?それじゃあ、何が本当でどこが嘘なのか突き止める必要がある。


「あ~!」


 今西が急に声を上げる。

 見るとケーキの一番上に乗っていた甘く煮込んだ大粒の栗がケーキから落ちていた。


「大丈夫ですか?」


 松本が慌てて取り換えようとする。


「大丈夫です。お皿の上に落としただけですから」


 今西がそっとフォークで栗を拾い上げ口に運び、咀嚼しながら笑顔を見せた。


「すみません。栗を取り損ねました」


 苦笑いする今西をみて何か気づいたように思えたが、すぐに何事もなくケーキを頬張っていた。

 ここでは言えない何かだと長年の付き合いで分かる。鍋島もケーキを頬張り佐伯に感想を伝えてコーヒーを飲みほした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る