33.葬式ー告白

 外はすでに暗く、月が照る夜は少し蒸し暑い。会場を出て、隣の休憩場所に通された。

 ここに来るまでの大輝は、いつ和絃の手を振りほどこうか思い悩んだ。それも和絃の手のぬくもりを感じてしまい叶わなかった。


「ごめんね、俺が側にいなくて一人にさせて、寂しかったでしょう、不安にさせたよね。この一週間、辛い思いをさせたね」


 喪主を務める京子に付き添い、最後まで葬儀を手伝う筈であった和絃が言う。


 洋風の休憩室は、暖房が効いて暖かい。テーブルに軽食が用意されていた。乾き物の菓子と水筒ポットが置かれてある。


「ここに座って」


 和絃は椅子を引いて、そこに大輝を座らせた。


「ダイちゃん、今だけは俺たちしかいない。だから言わせて」


 和絃はどの椅子にも腰掛けなかった。制服が汚れるのを厭わず、また大輝の足下にひざまずいた。


「和絃、立ってくれ、さっきから何してるんだよ」


 彼を立たせようと、両腕を掴んだ。が、代わりにぐっと力強い腕で腰を抱き寄せられてしまう。


「俺って気持ち悪いかな、あの親父の息子だから、ダイちゃんはもう俺のことなんか嫌いかな」


 和絃は怯えたように瞳を揺らす。それでも大輝の腰を抱く手は退かさないようだ。


「か、和絃は、悪くない」


 会場で芽生えた嫌悪感は消えていた。いざ和絃を目の前にしたら、彼の肌に触れてしまえば、大輝は降参するしかなかった。恐怖心よりも、捨てきれない和絃への愛しさが勝る。「嫌いじゃない」そう伝えたい。


 太輝は言葉を紡ごうにも、打ち上げられた魚みたいに口を動かすだけで、唾液が溢れてくる。


「僕は、和絃を」


 語尾が震える。自分のたどたどしい声が情けない。馬鹿の一つ覚えみたいにかぶりを振る。そんな大輝に何を思ったのか、和絃が立ち上がった。


「今まで、俺はダイちゃんだけを見てきた、ダイちゃんが夏休みに千葉に行ったとき、実は俺も着いていったんだ。君から離れたくなくて、ずっと遠くから見ていたよ、睦美も付いてきた」

「和絃、本当に、あそこにいたんだ、どうして」


 夢は嘘をつかない。大輝の見た夢は全て、実際に誰かの記憶を元に作り出した夢だ。深層心理、願望、トラウマ、何だって言える。それでも和絃と睦美はあの夏に千葉の海を見た。


「やっぱり、俺の夢を見ていたんだね。嬉しいよ」

「和絃、気持ち悪くないの」

「嬉しいよ、ダイちゃんが夢の中でも俺を見ていてくれて」


 和絃本人の口から明るい声を聞けた。太輝の中で歓喜が起こる。それはシャボン玉がはじけた時みたいに、腹の底から脳にブワッと走った。常人ならば自分の夢を覗かれて恐怖を抱くはずだ。それなのに和絃は、少女みたいに頬をバラ色に染めている。


「俺は、ダイちゃんの監視を親父から命じられていたんだ、出会った頃からだ、君と同じ高校に通ったのも全て親父の命令だった。あの子に手を出す奴がいたら始末しろとね」


 笑っているのか、和絃の声が弾む。


 初耳であった。始末とは一体どういう意味を持つのかを、和絃に聞こうとした。それも和絃の前髪が彼の顔に陰を作ったから、太輝は口を閉じた。


「でもね、俺はダイちゃんと出会ってから、君に恋をしたんだ、俺はただの君の熱狂的な信者だ、もう狂っているんだ、だから監視の役目も好都合だった。親父からの命令も快く受け入れてた。はっ、何も知らなかったくせに」


 最後のつぶやきは、和絃が自身に矛先を向けた批判なのか。

 太輝を苦しめた綿貫の死を忌む場所で、彼の息子から告白された。嬉しいはずなのに、太輝は戸惑いを隠せなかった。太輝の反応に、和絃は狼狽えるように泣いた。和絃は双眸に涙を溢れさせながら笑う。彼の乾いた笑い声が部屋に響き渡る。


「睦美を紹介したのは俺の判断だった。早くダイちゃんを助けたくて、俺一人ではあの男を、あの人でなしを始末できないって、情けない、大切な子が俺の親父に何をされてきたのか、まさか手を出す奴が自分の親父だとは思わなかったよ」


 大輝の目の前で、血管の浮いた拳が重く揺れている。


「睦美は最初こそダイちゃんを敵視していたと思う、自分の方が適任者だとね。あいつはおべっか使いだから、あんな親父に好かれようとしていた、本当に馬鹿だよあいつは」


 和絃が顔を上げた。怒りの矛先を見つけられず、憤りを感じているようだ。


「いや、本当の馬鹿野郎は俺だ、こんな俺がダイちゃんを好きだなんて、ふざけるなだよね」


 和絃は両目いっぱいに涙をたたえ、顔を歪ませている。血走った目をして大輝を見下ろしてくる。


「ダイちゃん、好きなんだ、愛してるんだ」


 苦悶の表情で和絃が声を絞り出す。


「ごめんなさい、駄目なんだ、ダイちゃんを諦められない。ごめんなさい、ごめんなさい」


 和絃は、今日何度目かの「ごめん」を零した。


「今じゃなくて、良かったのに」


 蛇口を閉め忘れた水道みたいに、大輝の口から本音が零れてしまう。


「今日は、和絃のお父様が亡くなられた日だよ、僕はもう先生に汚されたよ、どうして今なんだよ」


 死者を弔う聖域、教祖が眠る棺に背を向けて、皆が大輝に目移りをする。怖かった。人の意識はこうも移ろいやすく儚いものか。和絃の告白も、今夜でなければ純粋に喜べた。

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