29.最後の審判ーダイダロス

「大輝、親父が死ぬ夢を見たんだろう」


 睦美の問いに、大輝は肯く。睦美と和絃は全てを知っている。綿貫が能力を持っていることも、それを太輝に授けたこと、太輝が他人の夢を見ていることも、なにかも把握していた。


「それは予知夢だ」

「そう、なんだ」

「分かったなら、それでいい」


 睦美の手が、綿貫の首から離れた。睦美の腕力によって持ち上げられていた上体を床に崩して、綿貫は激しく咳き込む。


「貴方の側近が帳簿をまとめてくれて、とても助かりましたよ」


 和絃の両腕は、未だに大輝の体を離さない。


「満場一致で、彼らも賛成してくれました、どうやら貴方は信心が足りなかったようですね。神を冒涜した者に、味方する者はいません」


 すらすらと言葉を継ぐ和絃が言い終わると、大輝のつむじに唇を押しつけた。まるで口づけみたいな、場違いな感情をこの場で見せた。彼らはどこまで『白庭』に通じているのだろう。


「ようやく、この人を独占できる」


 和絃の体温が急激に上がる。和絃の熱が布越しに伝わってきた。和絃の零した言葉を脳で咀嚼するには時間が必要だった。


「ほらっ、言ったとおりだ。こいつらは悪魔だ、睦美と和絃のほうが腐りきっている」

「先生、開澤さんがお見えでございます、お通しします」


 背後の開け放たれた扉から、後藤の声が侵入してくる。機械的な声音の彼女は、綿貫の返答を待たずに、この部屋に客人を通した。和絃が道を譲ると、開澤と名乗る男性が太輝に深く頭を下げた。


「開澤、なんでお前がここに」


 正式な団体ではない『白庭』でも、監査役として数人の幹部が配置されていた。大輝も開澤の名は知っていた。開澤は招かざる客なのか、綿貫は隠しようがないほどに狼狽えていた。


「綿貫さまは、これから私たちの監視の下で生活して頂きます」

「決定権は教祖の私にあるっ、何を持ってこの私を拘束するつもりだ」


 そう言えば、和絃との通話を切っていなかった。鞄にしまわれた携帯電話が、今までの経緯を記録しているはずだ。そうか、綿貫に触れられたことも伝わっているのだろうか。


「和絃さまと睦美さまのご意見です。相続はお二方に、新たな代表には、」


 これで綿貫と会う時間が最後となる、待ちに待った最終日なのに、大輝は純粋に喜び勇む気持ちになれなかった。


「大輝くんっ、どうか私を救ってくれ。君ならこの私を浄化してくれる」


 この期に及んで、下に出る綿貫の態度に辟易する。それでも、簡単に切り捨てられるほど、大輝は無情になれなかった。


 自分の意志で和絃の腕を解こうと、彼の盛り上がった筋肉に手を這わす。


「和絃、放して、先生と話したいことがあるんだ」

「分かった」


 和絃は、はっと手をどかした。小さく頷いたのか、和絃の前髪が首筋に当たる。視界が開けると、先ほどまでは威勢の良かった綿貫の、憔悴しきった顔が飛び込んでくる。綿貫は開澤によって外へ連れて行かれるところであった。


「僕では先生を救えません、先生は己が救済されたい思いより深く、己自身を愛されている」

「私は、大輝くんを愛してるんだ」


 誰かが唾を飲み込んだ。


「先生、いつか教えてくれましたよね。ダイダロスとイカロスのお話を。『そは危うき道なり、剃刀の刃の如し』です。ヒンズー教の経典からです。高く飛ぼうとしたイカロスのように欲求に従って行動に移すとき、精神をしっかり持たないと、衝動に駆られて破滅する危険から逃げられません。中間の高さを飛んだダイダロスは無事に向こう岸に着いた」


 最古のギリシャ、すぐれた技術者ダイダロスは自ら作り上げた翼を、息子のイカロスに捧げた。ダイダロス自身が作り出した迷宮から共に逃げて飛ぼうとした。イカロスは我を忘れ、太陽に近づきすぎて翼は焼かれた。彼は海へ落ちて消えた。


「僕にとって先生は、ダイダロスでした。空に高く飛び立とうとする自分をなだめてくれた、師でもありました」


 しかし、それも昔の話だ。大輝は続けた。


「先生は、高く望みすぎた」


 太輝は小さい頃から寝てばかりいる子供だった。自分たちの子供が他と少しでも劣るのが受け入れられない両親は子を憂い、ある男に救済を頼む。それを拒んだ子供は一度失敗をして、そら見たことかと綿貫に差し出される。太輝には選択権はなかった。それ以降、綿貫以外の医者に係ることも許されず、平凡な子供は普通を知らないまま成長していく。化け物が自分とうり二つの化身を作り出す行為は、まさに神への冒涜であった。だから、綿貫は神に罰せられて最後、子供たちに見捨てられた。

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