25.最後の審判-虚栄

 自分たちは選ばれた人間だ。他とは違う。


 そう感じさせる特殊な空間が、『白庭』には必要であった。宗教建築とは聞かれたら、せいぜい連想できるのは広義な解釈で見る、寺と教会くらいなものだ。それらは厳かな巨大建造物で、一歩足を踏み入れたときの浮き世とは違う別世界に圧倒されるものだ。そこは唯一、神の存在が近い。聖なる空間のはず。だから演出も大げさとなるであろう。


 いっぽう『白庭』は簡素な作りであった。

 綿貫は「ここに神はいない」と説く。何よりも信者に説得力を抱かせたのは、神の不在だった。予知夢を見る能力は神から授かった頂きであり、綿貫はただ神の代弁者に過ぎない。「私は神の力を借りているだけです」と、信者の集会で綿貫は講釈をしていた。


 皆の心に「神」は存在するが、直接、手助けはしてくれない。


「神は皆の心にいる、私が代わりに声を拝聴します。貴方にその覚悟がおありなら」


 だからこそ、神の声を綿貫自身が独自に解釈し、慕う信者達に与える。というのが『白庭』の哲学というわけだ。


 病院の出入り口は、信者と一般患者、どちらとも違う扉が用意されていた。各玄関が私道の方向に面していて、団体と無関係の一般人はフロントから入る。主に使用されている部屋は四階にあった。一般患者はラウンジを横目にして、病院名の掲げられた表札を確認して磨り硝子の自動ドアに消えていく。

 しかし『白庭』関係者はその扉を通り過ぎて、突き当たりのエレベーターを上がって、最上階の部屋に向かう。第二診療室の表札が掛かった赤い扉が、信者の専用出入り口となっていた。


 これで互いに通される待合室も異なる。そのため、信者たちが綿貫と面会する際に一般患者からも怪しまれないですむ。『白庭』関係者達は無意識のうちに、一般人に擬態化している。だから不審なところは見受けられないのだ。自分たちが新興宗教団体の信者という自覚があるのなら尚更、赤い扉から出入りする特権のほうを選ぶだろう。


 無論、大輝たちも赤い扉から入る。大輝は毎回、この扉を見ると大げさにため息をはいてしまう。あいにくと大輝だけは、優越感を微塵も抱いていなかった。


「大輝、またため息なんて」


 先を歩く由比の叱責にうんざりする。どうせ明確な反省なぞ期待されていない。そうと分かっていてか、扉の前に立ち止まる由比の後ろ姿に、小さな謝罪の言葉をぶっきらぼうに投げかける。


「ごめん」

「先生の前ではしっかりなさい、その猫背もやめなさい」


 太輝は背を正した。戦いはこれからだ。不抜けていてどうするのだ。


 マンションドアの赤い扉を開けるには、専用のカードキーが必要であった。関係者のみに支給されている鍵なので、扉に設置されているリーダーにカードキーをかざし、セキュリティを解除させる。電気錠が解除されて、この赤い扉の向こうに入れる。出入りをする者は事前に、団体に連絡を入れるのが決まりだ。大勢が一つの部屋に出入りすれば怪しまれるので、人数を制限させる算段である。そうでなければ、警察にとって格好の餌食となるだろう。多少なりとも後ろめたい感情を持っているわけだ。それならば用心するに超したことはない。『白庭』の上層部に、警察関係者がいるそうだ。スパイではなく、純粋な信者だそうだ。この世は腐っている。


「失礼します」


 インターホンなんてないのに、由比は神妙な声を漏らす。オートロック操作盤にカードキーをかざす動作に無駄がない。大輝は口を閉じてため息をかみ殺す。


「先生は診療中なの?」

「大輝は平日って初めてでしょう。この時間は受付時間外だから、先生は休んでいるみたいよ。大輝が来たら応対してくれるみたい」


 まるで平日に来たことがあるみたいな口ぶりだ。


 由比は扉の取っ手を手前に引き、大理石の床を歩いて行く。数歩進んだ先に、受付窓口がある。顔なじみの三十代女性の後藤が、大輝たちに向けて微笑む。


「こんにちは沢村さん、本日はどうされました」


 一般受付と同じ、白いブラウスに白衣を羽織った制服を、後藤も着用している。由比と大輝に、それぞれに後藤が目を動かす。最後は由比に止まる。事前に連絡済みだというのに、再確認だと後藤は問いかけてくる。


「先生とお話がしたいんです。お忙しいところ、お時間を空けて下さり、有り難うございます」


 いつも通り、由比が答える。


「そうでしたね、先生でしたら奥の部屋でお休みになっているところです。お席で少々お待ちください」


 スニーカーのゴム底の踏み込みが硬く、居心地が悪い。言われたとおりに備え付けのソファに腰を下ろす。と、由比はまた手鏡を取り出して、身だしなみを整え始める。

 太輝は目を横に動かして盗み見する。由比の額に小さな汗が浮いている。大輝と同じく、由比も緊張すると汗をかく。大輝の癖は由比から来たと一目瞭然である。

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