24.最後の審判-贅沢

「お客さん、到着しましたよ」


 初老の男性運転手が到着を告げた。化粧直しをしていた由比が顔を上げて、建物に着いたことに気がつく。由比の平坦な横顔を、隣に座る大輝は黙って盗み見していた。だから、到着したのだと大輝も知る。


「ああ、もう着いたの。ありがとう」


 病院の入った建物は、山肌を背に鎮座していた。坂の途中で停まるタクシーは、斜めに傾いている。大輝が先に降りて、後部座席のドアに手を添えた。財布を大きく開けて会計をする由比が降りるのを、太輝はじっと待っていた。

 財布の中身が丸見えだ。今日はいつにも増して札束の数が多い。大輝はいやな物を見た、と車内から目をそらす。


「すみませんね」


 恐縮する運転手の声が聞こえたので、再び大輝は視線を戻す。運転手に釣りを多く手渡す由比の手がキラキラと光っていた。緑色の宝石がはめ込まれた指輪が、日の光を反射している。まぶしくて大輝は目を細めた。

 毎朝見る和絃の瞳よりも、それは俗っぽい光を湛えていた。高価な装飾品を贅沢にもてあそぶほど、沢村家は裕福ではないはずだ。会社員の父親と専業主婦の母親、それに私立の中学に通う雪子もいる。

 ふと苦い感情がこみ上げてくる。タクシー運転手に余分な額を手渡している由比は、宝石やブランド物のワンピースを着飾る。美容院なんて毎月行っている。そんな余裕はどこから、だれから提供されているのか。嫌でもそれらの価値を値踏みしないよう顔を背けた。

 それでも由比は、家庭の中では一般化された母親像からはみ出していない。通院の日にだけは、艶めいた顔を見せる。女性とはこうも切り替えができるのかと感服した。どちらも本当の顔なのだろうか。自分もそうやって違う顔を使いこなせたらいいなと、母親を気持ち悪がるよりも、尊敬の眼差しを向けた。


「お待たせ」


 タクシーが去るのを待って、由比は歩き出した。


 十一階建ての建物は一見すると、定住者向けのマンションである。この建物を綿貫は一棟買いをして、団体が活動する拠点にしていた。リゾートマンションが連なる町特有の、買い手が見つからない物件を、教団はうまく利用しているわけだ。宗教団体関係者が住まい、出入りしていても、実は正式な宗教法人の届け出をしていない。綿貫が町の政治関係者と手を組んでいると教団では噂が立っている。それは暗い陰口ではなく、誉れ高いと団体関係者が自慢していたのを大輝は聞いたことがある。

 建物のエレベーターは、四基設置されており、源泉掛け流しの大浴場も完備されている。本当にリゾートマンションを改造して再利用する綿貫の術は、商魂がたくましい。

 外見は心療内科の経営する療養所だ。ひなびた観光地に異質な集団がひとつ紛れ込んでいる。五階以上のベランダには洗濯物が干されているから、住戸として利用されているのだろう。ベランダで花壇に水やりをする老夫婦の姿も、穏やかな日常として風景に溶け込んでいる。彼らが信者という概念を持ち合わせていなくても、この家に住んでいる限り、団体の一員であることに違いなかった。


「こんにちは、暑いですね」


 フロントと病院は四階部分に置かれていて、常駐する管理人に由比が二言ほど挨拶を交わす。大輝は後ろをついて行く。玄関口の郵便受けには、病院名が印字されている。初診の患者からすれば、それだけでうさんくささを感じないだろう。現に数世代に渡ってこの土地に住まう周辺の住民たちが、何かあれば綿貫を「先生」と呼んで相談に訪れる。

 通路側を歩けば、各戸の玄関扉が残されている。が、そちらは利用されていないようだ。大輝と由比が出入りするのは違う階の扉だった。複雑な構造に訝しむ者は、大輝ただ一人だけなのかもしれない。

 この建物に入ってしまえば、洗脳されて監禁でもされるのだろう。と、先入観を抱く時期はとうに過ぎていた。それもそうだ。大輝は『白庭』の二世信者であるからだ。物心つくよりも前から、この建物に出入りをしていた。


 自分は才能もなく秀でた容姿もしていない。だから平凡な人間だ、と不満を垂れていた時が、今や懐かしい。存分に異質な環境で育っていたわけだ。

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