17.夜の電話-1

 その夜、風呂を出た太輝は自室に戻った。

 タオルで髪を乾かしながら、ベッドに腰を下ろす。毛布の上に放り投げたままの携帯電話から、メッセージを受け取った通知音が鳴る。


「和絃か」


 携帯電話の画面を確認しても、メッセージの本文を開こうとしなかった。恋しい和絃からのメッセージを通知欄に放置したまま、大輝は湿るタオルを肩から提げた。


「出たくない、やだな」


 部屋の照明がチカチカと点灯する。電灯の寿命が切れたのか、目線を天井に上げる。暖色の光が、大輝のぼんやりとした頭をより鈍化させる。和絃に返事もせず、大輝は白いクロスの天井を見つめていた。まぶたが重く、自然と目線が下がり始める。

 再び携帯電話から着信音が鳴った。大輝は目をすがめて携帯電話を掴んだ。


「大丈夫」


 自分以外の夢を見る条件は、当日に相手の身体に触れて、その人の名が一致するときであった。三年間、毎日のように自分以外の夢に放り込まれてきた。そうやっていると、これらの条件こそ筋が通る気がしてきたのだ。


 昨夜、睦美が現れた理由もそれだろう。いままでの時間の累積を思えば、至極単純な仕組みにむなしさを感じる。と共に、能力とでも呼んでいいのか、厄介な脳の誤作動を起こしてしまった原因に思いを巡らす。あの日だ。夕日が真っ赤に染まった十五歳の夏、綿貫の診察を受けた夜から太輝は夢を見つけた。綿貫だ。あの男が太輝をこんなにした。この能力さえあれば教祖になれたのも納得だ。

 どうしようもなく憎いのに、綿貫に対して憐れみも感じていた。夢の中の綿貫は、とても孤独だったからだ。『この子なら、犠牲になってくれる』その言葉が全てを物語っていた。だからといって綿貫を許すことはできない。太輝はあまりに無知だった。この能力を操縦しようにも、自分のものにしようにも、心が追いつかなかった。心が汚れていないと言えばかわいらしいが、現実はそうきれいなものではない。


「和絃、助けて」


 通話ボタンを押そうとする指先が硬直して、小刻みに震えてしまう。それでも、大輝には和絃からの電話を切る選択肢は毛頭なかった。


「はい」

『あっ、ダイちゃん。いま、大丈夫?』

「うん、部屋に戻ったところ」


 電話先で、クスリと和絃の笑う声が聞こえた。


『そうなんだ、なら、俺からの、まだ見てないでしょ』

「う、うん、まだ読んでない」


 未読のメッセージのことだろう。和絃は律儀にも、電話を掛ける前に確認をしてくる。


『あ、そうなんだ、やだな、謝らないでよ。いやさ、睦美がね』


 睦美の名が出て突然、心臓が跳ね上がる。まさか、今夜から新たに睦美も参加してのグループ通話を始めたい、とでも言いたいのか。


「うん」


 太輝は太ももに手を置き、ズボンの布をたぐり寄せる。


『睦美も一緒に話したいって。ダイちゃん問題ない?』


 問題は大ありだ、これ以上、夢の中に出てくる人物の情報を知りたくはなかった。それも和絃の兄である睦美と学校の外で仲を深めたくない。気力が湧かない。自分はそこまで陽気者ではない。


 自身が見たい夢をカタログみたいに選べたのなら、どれほどまでに幸福か。和絃の夢を覗く好奇心すら、いまや木っ端みじんに消え失せていた。和絃の夢に忍び込み、見たくないものまで見なければならない。ただの傍観者でありながらも、共犯者でもあった。夢を通して、和絃と魂の交合をしているのだ。そう得もしれぬ高揚感があった。それも睦美を紹介されてから、罪悪感が勝った。夢の内容は日を追うごとに破壊的で、暴力的な映像が増えてきた。和絃はこんな惨い夢を見ている。そう思うだけで気が狂いそうだった。

 だからこそ、和絃だけで手一杯なのに、友人を増やせば自分がどうなるか解りきっている。それも睦美は和絃の夢にでてくる常連だ。以前まで知りたいと胸を騒がせていた和絃の深層心理も、いま以上に踏み込むなんて自殺行為だと恐れた。


「ぼ、僕と?」


 大輝は、あからさまに狼狽える。


『そうなんだよ睦美がどうしてもって、俺はイヤなんだけどさ、あいつ、いま待機してるよ』


 いつもならば、大輝が自分以外と話せば不機嫌となるのに、和絃は遠回しに睦美を交えようと進めてくる。和絃の強引さに大輝は、どこか違和感を覚えていた。それでも大輝は目を閉じて、「和絃の願いだ」と意を決する。


「うん、解った」


 なにが解っただ。大輝の内情を知らない者は皆、口を揃えて非難するに決まっている。途端に自己嫌悪に陥る。大輝は、一呼吸置く間もなく取り繕う。


「僕で良ければ、おっ、お願いします」


 また通話先で和絃が笑う。これは本人が意図せず零した乾いた笑い方だ。


『やめておこうか』


 なんて冗談めかして言うから、大輝は続けて、


「話したい」


 そう口をはさんだ。


『へー、ダイちゃんって、睦美みたいなのが良いんだ』


 和絃は機嫌を損ねたようだ。なにが「良い」のだろうか。

 彼の問いに大輝は必死にかぶりを振る。


「なんだよそれ、ほら睦実さんが待っているようだし、早く進めろよ」

『睦実さんって、言った? たった、二ヶ月だけ年上のあいつに、さん付けかよ』


 異母兄妹だからだろうか。和絃はあからさまに睦美に対して、嫌悪を匂わせる。それにしても、和絃が二ヶ月と妙にこだわるから、大輝の方がおかしくなってきた。和絃からすれば笑い事ではないのに、弱みを見せてくれるだけで心がざわつく。


 大輝は小さく笑う。


『あっ、なに笑ってるのっ』


 和絃は聞き逃さなかったようだ。


「気にしないで」

『まったく、それじゃあ』


 和絃は釈然としないまま、話題を切り替える。

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