16.冬の屋上

 今日も和絃と睦美に交じって、屋上で昼を過ごしていた。

 屋上を使い始めて半年がたつ。Dクラスの教室でも暖房が動いているのに、雨が降らない限り、どうしてだか三人は毎日のように屋上に集まる。空は憎ったらしいくらいに晴れている。明後日から冬休みだというのに、太輝の心は曇天だ。


「寒いね」


 制服の上にコートを羽織って、手をすり合わせる。マフラーを教室に忘れた。取りに戻ろうと考えたが、教室と屋上の往復時間が惜しかった。


「そうだね、ダイちゃん、ほら、これを飲みなよ、温かいよ」


 和絃がペットボトルのカフェラテを渡してきた。太輝は受け取って、先ずは手元を暖めた。和絃の唇に触れたものに口を当てると、下唇が濡れる。珈琲の味なんてしなかった。ただ和絃の感触だけが太輝の薄い皮の上に残った。うっとりしていたら、穏やかな顔の和絃と目が合う。瞬時に、自分は罪を犯しているのかと怖くなった。


「ありがとう」


 ペットボトルを和絃に返した。和絃はまだ中身のあるそれを口につけず、両の手のひらで包んだ。和絃の隣に座る睦美は、サンドイッチとタラコおにぎりを食べ終えた。指についた米粒を舐め取った。


「冬休みは予定でもあるのか」


 何と無しに睦美が聞いてくる。


「そうだね、この時期はどこも人がいるから家にいるかな、和絃は?」

「俺も同じ」

「そうなんだ、てっきり海外に遊びに行くんだと、」


 太輝が言い終わる前に、睦美が口を挟んでくる。


「海外なんかよりも、お前ら勉強しろよな」


 もうすぐクリスマスなのに、睦美と和絃からはそれらしい色っぽい話は出てこなかった。


「さすが睦美さん」


 感心すると、睦美がおかしそうに笑う。ふと風邪みたいな悪寒が背筋を走る。昨夜の夢で見た二人の発狂した笑い声、それに意識を傾ければ吐き気がこみ上げて、胃がキリキリする。食欲がわかない。母親手製の弁当を半分胃袋に押し込むが、あとは残した。「ごめんなさい」と心の内で謝って弁当箱の蓋を閉じた。


「ダイちゃん」


 友を気遣う和絃の声に、大輝は頭を上げる。黒のマフラーを巻いた和絃と視線が合わされば、光を湛える彼の瞳が暗くよどむ。だから大輝は笑ってごまかす。


「午後は持久走だからね、どうせお腹がすくから残しておく」


 実際、五限目が体育なのが幸いした。ほんの些細な心の揺れを、和絃は気に留めてくる。それが嬉しいと同時に、うっとうしかった。友達思いの和絃に優しくされても、それが自分にだけ向けた特別な善意だとしても、この暑さの中では正常な思考が働かない。


「ダイちゃん、睡眠不足なんでしょ?」

「僕も夜更かしっ」

「嘘だ」


 言い訳を繰り出した大輝に、和絃は間髪入れず言いのける。今朝の踊り場で大輝が弱みを見せたからか、和絃は一向に引かない。


「眠るのが怖いって、ダイちゃん、言ってたよね?」


 数時間に太輝が吐き出した弱音を、和絃は覚えていてくれた。そんな彼の思慮深いところが好きだ。これが初恋だとしてどうせ叶わない、独り相撲をしていても。自分が傷つくだけだから、と自己評価の低さを言い訳にしてもだ。それを上回る勢いで和絃への「好き」が溢れる。


「気にしないで」


 何も虚勢を張らなくても、大輝が完璧な男ではないのは、和絃にだって知っているはずだ。


「でも」

「寝過ぎるとゲームできないでしょう、その時間が惜しいって事だよ」


 肩に手を掛けた和絃から顔を背ける。


「なにしてんの」


 大輝たちのやりとりを傍観していた睦美が「お前ら喧嘩でもしたのか」と笑ってなだめてくる。


「お前らさ、昼間っからなに? 和絃もウザいし、沢村を甘やかしすぎだろ」


 自分もそう思う。と、睦美の小言に大輝も乗っかかりたい。それなのに睦美は、


「沢村、眠れないんだってな。和絃から聞いた」


 そう真面目な顔をした睦美は正面から、ぐいっと顎を突き出す。この話を中断する気がないのか、神妙な声音で追求してくる。


「そうなんだよ、俺はただ、ダイちゃんが心配で」


 援軍が来たと言いたげに、和絃が太輝の隣で大きく頷く。

 物心ついたときから大輝は眠る時間が好きな、傍から見れば鈍臭い子供であった。だからか中学二年まで、大輝が同じ台詞を吐いても、和絃は笑い飛ばしていた。

 それがどうして今になって、和絃の考えが変わったのか。和絃は大輝の保護者を気取る。そんな和絃の真意を暴きたい。和絃の注意が自分に向かうのが嬉しかった。それなのに素直に喜べない自分がいる。


「なんなんだよ、今さらだろう。僕が寝不足なの昔からだし」

「沢村、その言い方はないだろ、こいつだって珍しくも自分以外の心配をしてるんだぞ」


 和絃を指さす睦美を見た。どこか刺のある口調に、大輝は背を正す。睦美の反応はどこも不思議ではない。和絃が心配性なだけだ。


「そうだね、心配させてごめんなさい、和絃、ごめん」


 これが正しい礼儀に違いない。その一心で、大輝は顔を傾けて、和絃に向き合う。指摘された通り、大輝が間違っていた。


「なんでだよ、ダイちゃんはなにも、なにも悪くないのに」


 テーブルに食べかけのサンドイッチを置いた和絃が立ち上がる。肩を怒らせて、顔をこわばらせていた。

 どうして大輝を気に掛けるのか。和絃を動かす原動力はどこから湧いてくるのか。お願いだから、教えて欲しい。


「だ、大丈夫だよ和絃、病院にも通っているし」


 太輝はあれから「くつがや」で月二回のカウンセリングを受けている。当然、和絃に言い伝えてあった。


「その年で病院って」


 睦美の反応で、瞬間的に大輝は視線を机に落とした。まだ投薬を受けていないだけ幸せなはずだ。


「睦美っ、お前、相変わらず胸くそ悪い奴だな、黙っていろよっ」


 心配してくれた和絃は、睦美の反応を指摘する。大輝にとってデリケートな話だ。


「わ、悪い」


 和絃と睦美に気づかれないよう、テーブルの下で拳を作る。同情をされたからではなく、居たたまれない思いからであった。


 それからは兄弟の会話が四方八方に飛びながらも、大輝の意見も引き出そうとする。だから太輝は、流し聴きもできずに疲れた。自分は空回りをしていなかったか。あいにくと自分は、話術で巧くごまかせるほど要領は良くない。和絃と睦美が気を利かせてくれて、早々に屋上で解散した。

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