14.誰よりも君よりも好きなのに
和絃は午前と午後で人格を変えるような、摩訶不思議でいて繊細な少年である。誰だって朝は眠いものだが、高校生のまとう空気にしては異質だった。
放課後、和絃はいつも皮肉屋な表情を見せる。
しかし翌朝になれば、昨日までの和絃はいなかった。
階段の下で和絃の姿を捉えた。朝の日射しが、マフラーを外した和絃の太い首筋に照らす。階段を上ってくる和絃は、心ここにあらずな放浪者として、大輝の瞳に映った。和絃はつむじを見せて、段差に注意を向けている。
踊り場ですれ違いそうになるから、太輝は自分から声をかけた。
「おはよう」
「うん」
他人行儀にあしらわれる。太輝は喉元に手を当てて、震える顎と舌を落ち着かせる。心が凍るというのはこういうことか。
大輝は喉を大きく開いた。
「和絃、大丈夫?」
階段を上る和絃の広い背中に向けて呼びかけた。大輝の声が届いたのか、和絃が足を止めて振り返る。
「おはよう」
一呼吸置いて、もう一度だけ言った。
「ダイちゃん」
大輝の声で我に返ったのか、和絃が勢いよく顔を上げた。長い前髪がハラリと高い頬骨を囲う。一度も髪を染めていない頭に手を添え、まばたきをする和絃の瞳から朝の光が零れた。清潔だ、透徹した美は漂白されている。どうか、うみで腐り始めている大輝の心を清めて欲しい。
「おはようダイちゃん、おはよう」
覇気のない掠れ声とともに、彼の尖った喉仏が上下する。
「ダイちゃん!」
あはは、と和絃は無邪気に笑い声を上げて二段降りた。次に、突然大輝の肩を強く抱き引き寄せた。
「うわっ、なんだよ」
何気ない友人としての触れ合いが、ジェットコースターに早変わりする。本来ならばゆらゆらとたゆたう安堵感を得られる接触すら、肉と神経に衝撃が走る。梅雨明けもしたというのに彼の指は冷たい。それも次第に、大輝の肩からじんわりと体温が伝わる。和絃の発する熱に、大輝の心は締め付けられた。和絃から離れないといけない。自分が傷つかないように守らないといけない。
「和絃、重いしウザい」
言い訳を連ねて、和絃の腕から逃げる。と、和絃は残念そうに目尻を下げる。太輝の肩に回していた手を後ろに隠した。そんな彼の反応に、自惚れでも良いからと優越感に浸りたかった。
「ダイちゃんごめん、半分寝てた」
「眠そうだね」
和絃の眼が眠たげだ。
「あっ、そう見える? いやさ昨日、夜更かしちゃってね」
「そ、そうなんだ。早めに電話、切ったのにね」
遠回しに詮索する。どうせ和絃は暗い自分を見せたくなくて、ふざけて返してくるに決まっている。案の定、顔を近づけてきた和絃は眉を上げて、
「エロいのみてたから」
と、悪戯に口角を上げる。
「うわー、見たくない、和絃の趣味って独特だからな」
こういう時の自分は、どうしても他者との違いを覚える。大輝は和絃の示す性的な話に一ミリもついていけない。同級生たちがぎらぎらと夢中になる女性の体やイヤらしい行為など、卑猥な類いの話が怖かった。彼らの輪では自分だけが性的に疎い、といつも鼻で笑われていた。
「独特って、なにそれ。ダイちゃんがうぶなだけだって、今日ダイちゃんの部屋で勉強会を開こうか」
「いいから、朝からそんな話は聞きたくない」
「えーいいじゃん、何物にも染まらないダイちゃんって面白いのに」
大輝の反応が面白いのか、和絃はこの手の話をよく振ってくる。
「なんか和絃、ウザい、しつこい男は嫌われるって聞いたよ」
「えー酷い」
ぼんやりと流れる日常を、夢うつつで身をゆだねる。
「ほら、行こう」
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