12.ニワトリの解剖

 十一月に生物の授業でニワトリの解剖をした。外は横殴りの雨だった。


 白衣を着た太輝は、動物の肉と臓器にはさみを入れる緊張から、汗ばんだ肌にワイシャツが張り付いて不快だ。実験室では冷暖房機のかび臭さと、肉の匂いが漂っている。

 あらかじめ、ニワトリの頭部は切り取られていた。死んだニワトリの形相は酷いらしく、生徒に嫌悪感を持たせないため、という理由のようだ。ニワトリの頭部はどこにいったかなんて考えたくもない。


 授業中、先生は教科書を読み上げる調子で喋る。


「魚やカエルに比べて、ニワトリの各器官の作りが人間に似ているんだ」


 いかに解剖の教材として適しているか、先生は説明した。皆は黙々と手を動かしていた。誰もかわいそうなんて口に出さなかった。太輝も、そうかニワトリはそういう役割なのか、とハサミを入れた。

 ピンク色の肉に包まれた骨の仕組みを勉強する、という目的なのは子供の太輝にも理解は出来ていた。だからこのニワトリの命をもてあそんでもいい、そう言い切るのはさすがに無理がある気がした。それでも『このニワトリがかわいそうだ』なんて騒いで、授業を中断させる勇気はなかった。

 授業の後、生物係の大輝は黒板を消して、照明を落としてからカーテンを束ねておいた。教卓で書き物をしている先生に、次の授業について聞く。


「来週も実験だから、早めに来てくれよ」


 また実験と聞いて、大輝は返事をするのに遅れる。


「沢村、どうした、ビビったか」


 先生が太輝の肩に手を置いて、太輝を落ち着かせようとした。この手でニワトリの首を絞めたのだろうか、と考えるだけで吐き気がこみ上げてくる。


「だ、大丈夫です」


 早く退散したい。どうして自分は生物係なんて引き受けてしまったのか、と内心ぐちる。


「それでは、失礼します」


 そそくさと退出していこうとしたら、先生に呼び止められる。


「沢村、少し教室に居てくれないか、先生な、トイレに行きたい」

「な、行けばいいじゃないですか」

「いやーそうはいかないんだよ、準備室にな」


 先生はちらりと横目で準備室を見やり、言葉を濁す。中学校の理科実験室に危険な薬品なんて保管されていないだろうに心配性だな。


「鍵をかけて行けばいいじゃないですか」

「必ず誰かがいないと駄目なんだ」


 大輝は半分だけ廊下に出していた体を、面倒くさそうに室内に戻す。


「見張り番ですか」

「そそ、だからよろしくな」


 言い終えないうちに、先生が出て行く。


「いやだな」


 情けない先生の後ろ姿を見送りながら、太輝は入り口近くの椅子に腰掛ける。理科準備室の扉が開いているなとぼんやり眺めた。管理不届きだ。万が一にも準備室の実験道具が盗まれたら大事だ。


「不用心だな」


 視線を外しても、胸が騒ぐからすぐに戻した。先生は何を隠しているのだろう。一度意識してしまえば、そこまでだ。


「しようがないな」


 準備室の扉を閉めなくちゃ、と大輝は椅子から腰を上げる。


「くさい」


 扉の隙間から獣の匂いが漂ってくる。どうしてだろう、大輝はうす暗い室内に体をすべらせる。部屋の机の上に、長方形の鳥かごが置いてあった。そこから匂いがするなと、中をのぞき見する。


「えっ」


 囚われているニワトリを一羽見つける。大輝が驚くよりも先に、人の気配を感じ取ったニワトリが羽根を舞いあげて騒ぎ始めた。甲高い奇声が大輝の未熟な良心に突き刺さり、咄嗟にかごに手を伸ばしてしまう。もしかしたら、このニワトリも実験動物なのだろうか、それならば助けたい。先生が準備室でニワトリをさばいている、なんて考えていた自分は気が動転していた。


 もう直ぐで触れる距離だった。


「やめなよ」


 背後から、誰かが大輝の腕を掴んできた。ぎょっと振り向くと、至近距離で和絃が顔を寄せていた。


「か、和絃」


 どうして、和絃がここにいるのだ。選択科目が太輝と違う。


「俺たちが逃がしても、なにも変わらないよ」


 もうすぐ先生が帰ってくる。早くかごの鍵を開けて、今すぐ放してあげたいのに。


「でも、この子だけは」


 先程まで、ニワトリを解剖していた罪悪感からか。日常生活で動物の肉を食べる行為に、一切の疑問を抱かない自らを恥じたのか。一羽だけでもいいから罪を贖いたかった。

 たとえ、窓から逃がしてニワトリをどうするかなんて計画はしていない。突発的で愚鈍な行為だとしてもだ。


「それは、どうかな」


 和絃の体で鳥かごがふさがれる。


「捕まりたくなかったら、暴れてでも逃げれば良いのにね。そう思わない?」


 和絃が問うた。電気を消したうす暗い室内では、和絃の横顔はぼんやりとでしか捉えられない。彼の表情は分からない。だが、声の固さは分かった。


「イヤなら、逃げるよ」

「そう、そうなんだ、ダイちゃんも?」

「なんだよ、それ」


 べつに自分は囚われていない。決して、このニワトリみたいに解剖されるのをただ待つような弱い存在ではない。それなのに、和絃は籠の中のニワトリと大輝を重ねてくる。


「逃げるに決まってる」


 唇を尖らせた大輝は、小さく吐き出す。大輝の苦痛なんて何も知らない和絃の、その意地悪な物言いが面白くない。


「どうかな」


 和絃は微かに揺れる鳥かごの鍵を開けようと、脱走防止鍵を解除してゲージを開放した。


「ほらね、ダイちゃん、分かった?」


 大輝は和絃を見た。和絃が振り返って、太輝と視線を合わせる。和絃の顔からは表情が消えていた。冷たい美貌から感情が遮断されている。それなのに、和絃の声のない悲鳴が聞こえてくる。


「ここがいいんだって」


 騒ぎ立てるくせに逃げようとしないニワトリは、いつの間にか優しく喉を鳴らす。


「ダイちゃんもこうやって、手懐けられたら駄目だよ」


 和絃は言葉を投げ捨てるみたいに吐き出した。

 先生の声がしたと思ったら、ニワトリは体を丸めて目を閉じていた。

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