11.綿貫との出会い(中学生時代)-3
中学三年生になっても、綿貫の命じるまま夢日記を書き続けていた。
最後のページまでノートが埋まると、家の本棚にしまわないで綿貫に預けた。当初、出し渋っていたノートも全て、綿貫の手元にある。大輝の部屋に置かれている夢日記は現行の一冊のみだ。過去に記したノートには興味を持たないから、綿貫に託しても問題ではなかった。ノートがどこに保管されて、どのように利用されているのか。そんなの大輝は気にも止めていない。毎日、浅い眠りの中で見る夢に忙しいからだ。
早々に睡眠導入剤なり、薬を処方されていた方が大輝の睡眠障害は深刻にならなかったはずだ。だが綿貫いわく、大輝の症状からすれば処方するに至らないそうだ。
中学最後の夏休みに、事態が急変した。家族旅行の帰り道、急に母親が、
「用事が出来たから、先生のところに行きましょう」
と、太輝は遊び疲れた身体を引きずられて、夕刻前に「くつがや」に着いた。その頃はもう、母を介しての診察はなくなり、綿貫と一対一での診察だった。
「大輝くん、時に人間は、安定と破壊、どちらを選ぶのが正しいと思うかね」
綿貫の問いは、遊び心を秘めておりながらも、どこか粘つくような声音だった。
「正しい、とは」
意図が不明な質問に大輝は、「はぁ」と首をかしげる。
「人間は生まれつき汚れていない、というのが持論でね。そこで、人間が普通にする行為は清浄だと思うんだ」
綿貫は目をぎらぎらと輝かせていた。
「だからこそ、夢を見るのはね、元々脳に埋め込まれていた正常行為なんだよ。君が夢日記を書くことは安定だ。そして私が恐れるのは、敢えて記憶を抹消してしまう自己の破壊行為なんだ」
精神科医とは思えない奇天烈な発言をする。どこの精神科医も同じなのだろうか。
「どう、思うかな。正直に言ってごらん」
大輝は逡巡する。答えるよう強要されている、そう恐怖を覚えた。
「そんな難しいこと、考えていませんでした。ぼ、僕なんか」
大輝に本音を打ち明けるよう、綿貫がはやし立てる。精神科医として、この対応は減点ではないだろう。
「安定、だと思います」
動悸が激しくなった。綿貫の期待に応えられる正解、自分は提供できただろうか。安定安定、と大輝は声に出して言う。
「うん、よくぞ、教えてくれたね。それでいいんだよ、君は合格だ」
綿貫のぶよぶよした手が、大輝の頭を包む。じんわりとした静電気が頭蓋骨から脳に伝う、何かが、大輝に宿る気がした。
「素晴らしい子だ、大輝くん。君はね、お話が出来るんだよ、夢の中で会えるんだ、神さまに」
その日は面接日だったそうだ。母親が教えてくれた。大輝がふさわしい器だと、確認するための最終テストであった。
帰り道、空は朱く燃えがり、この世の終わりだと太輝は大げさに騒いだ。それもそうだ、十五歳の大輝にとって、あの日こそ自己の消滅だったのだから。同時に、新しい命を植え付けられた始まりでもあった。
夜に大輝は夢を見た。
ふくよかな体格、黒縁眼鏡、美しかった顔立ちが今や脂肪で覆われている、患者から先生と慕われる老人、綿貫の夢を見た。
自宅なのか、白い光が溢れている和室で、絨毯の上に木製の椅子が置かれている。そこに、洗いざらしのシャツとデニムを来た綿貫が座っていた。表紙がくたびれた、大輝の夢日記を読んでいる。綿貫は頬肉を盛り上げていた。籠もった笑い方をする。
「良い子だ、実に優しい子だ。この子なら、犠牲になってくれる」
夢の主の綿貫が、自分の夢の中で喋っている。それは本音か、夢の中だけの人格なのだろうか。大輝は分からなかった。
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